いつも新品の本を送料無料で注文した翌日には届けてくれる某ショップ、5日の朝に注文して今朝やっと
発送通知が届くも、夜になってもクロネコは伝票番号未登録(ノ;ω;)ノ ~┻┻ (/o\) ミドリン ナカナイデー!!
午前中ちょっと歩き廻っただけでダウンし帰宅(+_+) 午後再び歩いて、経口補水液を結局2本も(-ω-、)
曇ったりしても33度あったから今日もブログ書く気ナシオン主権(._+ )☆ヾ( ̄ヘ ̄; )プープル主権は?

【読んだ本】

佐藤俊樹『桜が創った「日本」─ソメイヨシノ 起源への旅─』(岩波新書,2005)所蔵本

東大教授で一流の社会学者だが、西行の家集『山家集』を「歌集」と記し、『平家物語』の桜町中納言
を「桜町大納言」と誤記するなど( https://yomubeshi-yomubeshi.blog.so-net.ne.jp/2019-05-24 )、
和歌や古典に関しては無教養のくせに本書のお蔭で先日も朝日新聞土曜版でコメントしてた著者(^_^;)

本書の「書き換えられる歴史」なる節見出しでの一文に「お前も書き換えてんじゃん!」と笑う(^_^;)

    昭和一〇年、佐藤太平は『櫻の日本』でこう書いている。

      我国の桜の本源地は、なんと云っても大和地方であって、
      この処を母胎として、山桜は吉野より八重桜は奈良より四方に
      移動繁殖されていた。尤もこれら吉野や奈良の外にも古くから
      関東には常陸の桜川、奥州の束稲山などあったが、しかし大体
      桜は西方より東方へ移動しつつあった。桜は都府をなす処必ず
      繁栄していたもので、文化の移動とともにその運命を
      共にしている感がある。

    ヤマザクラは西日本に自生する。つまり、吉野にも他の場所にも同じように
    生えていたはずだが、それが吉野という始源からの伝播に読み換えられていく。
    その後の「八重桜」は今の奈良八重桜を頭においているのだろうが、これは
    カスミザクラがただ八重咲きになったものだ(川崎哲也前掲)。/八重咲きは
    桜にはよくある変異で、桜の自生地ならどこにあってもおかしくない。例えば
    兼六園熊谷や佐野桜は八重咲きのヤマザクラである。中世の京都では吉野のヤマザクラを
    移植した事例がいくつもあるし、「いにしへの奈良の都の八重桜……」の歌で
    知られるように、わざわざ奈良から八重桜を運んで鑑賞したりもしたが、
    だからといって、列島中のヤマザクラや八重桜が奈良県から来たわけではない。/
    桜の精神論はそこもあっさり飛び越える。最も旧いヤマザクラや八重桜が
    吉野や奈良に見出される以上、それが最も純粋で、最も自然で、最も日本らしい。だから、
    他のヤマザクラや八重桜は、その始源から流れ出したものでしかありえないのだ。
    『櫻の日本』は各地の名所の由来をていねいに考証した本で、伝承の真偽も検証しているが、
    桜の歴史全体では新たな起源の物語を紡ぎだしている。/・・・

更に先に進むと、〈想像される「歴史」〉という見出しの節に次の件があって苦笑させられたぞ(^_^;) 

    ・・・桜の精神論が植物学や史料をしたがえる巨大な観念の物語をめざしたのに対して、
    戦後の桜語りの多くは植物学や史料と無関係に思いつきや想像で「歴史」を語る。・・・

『百人一首』でも有名な伊勢大輔タンの「いにしへの奈良の都の八重桜けふ九重ににほひぬるかな」
を例に挙げて「わざわざ奈良から八重桜を運んで鑑賞したりもした」などと記していること自体が
〈史料と無関係に思いつきや想像で「歴史」を語る〉ことじゃねーかヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!

伊勢大輔タンの同歌と中宮彰子による返歌(実は紫式部が代詠したもの)を詞書ともども、久保木哲夫
(校注・訳)『私家集注釈叢刊2 伊勢大輔集注釈』(貴重本刊行会,1992)による訳も併せて引く(^^)

      女院の中宮と申しける時、内裏におはしまいしに、奈良から僧都の八重桜を
      参らせたるに、今年のとり入れ人は今参りぞとて紫式部の譲りしに、
      入道殿聞かせ給ひて、ただにはとり入れぬものをとおほせられしかば

    いにしへの奈良の都の八重桜今日九重に匂ひぬるかな

      殿の御前、殿上にとり出ださせ給ひて、上達部、君達ひき連れてよろこびに
      おはしたりしに、院の御返し

    九重に匂ふを見れば桜狩り重ねて来たる春かとぞ思ふ

       女院[彰子]がまだ中宮と申しあげた時分、宮中にいらっしゃった折に、
       奈良から僧都が八重桜を献上したところ、「今年の受け取り手は新入りの人なのよ」
       と言って紫式部が譲ったのを、入道殿[道長]がお聞きになって、「何もせずには
       受け取らないものなのに」とおっしゃったので

     昔の奈良の都の八重桜が、今日は九重の宮中で、いちだんと咲き匂い、
     美しくかがやいていることです。 
     
       殿の御前(入道殿)が、その桜を殿上の間にお取り出しになって、上達部や君達と
       連れ立ってよろこびを申しにいらっしゃったところ、女院の御返し

     いま宮中で美しく咲き匂っている八重桜を見ると、桜見物をする春が再びやってきたかと
     思われることです。

第一に、この歌の詞書(『伊勢大輔集』の異本の詞書も含めて)には奈良から献上されたあるだけで、
京都が取り寄せて「わざわざ奈良から八重桜を運ん」だとは記されてない〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

この歌の詠作事情として、「わざわざ奈良から八重桜を運んで鑑賞したりもした」ことを示す「史料」
が存在するなら示してみろや(ノ ̄皿 ̄)ノ┫:・’.上東門院彰子が奈良の寺院から八重桜を無理に
植樹しようとした話が『沙石集』にあるけど鎌倉中期に書かれた仏教説話集だしオホホホ( ^^)/~~~~ ピシッ!

第二に、もし「鑑賞したり」するために「わざわざ奈良から八重桜を運ん」だとするなら、このように
「桜見物をする春が再びやってきたか」と驚くような返歌など詠まないはずオホホホホ!!♪( ̄▽+ ̄*)