8月分の電気代が判明したキタヨキタヨヽ(゚∀゚=゚∀゚)ノキチャッタヨ-!!!!!! 7月分よりも10%増だったヒィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ
今年はかなり使っている気がしてたけど、昨年の8月分より「1日あたり5%減少」とはね( ̄◇ ̄;)マジッ!?
冷房のガンガン効いたブックオフで『ダイヤのA』『ダイヤのA act2』を全巻立ち読みしたいぞ(-ω-、)

【読んだ本】

樋口芳麻呂(校注)『王朝秀歌選』(岩波文庫,1983)所蔵本

『古今和歌集』の歌人、あまりメジャーじゃない人を挙げるべきだったかと反省しつつ寝床に入ると、
何故か閃いたのが藤原敏行の名(@_@;) とはいえ、その歌を思い出せず、枕元の本書を披く(@_@;)
奥村恆哉(校注)『新潮日本古典集成 古今和歌集』(新潮社,1978)による口語訳も補っておく(^^)

     『三十六人撰』(藤原公任)

    秋来ぬと目にはさやかに見えねども 風の音にぞ驚かれぬる

      景色を見ているだけでは、はっきりとわかりかねるが、風の音を聞くにつけ、
      ふと、秋が来ているのだな、と気づかされた。

    ひさかたの雲の上にて見る菊は 天つ星とぞあやまたれける

      おそれ多い殿上で拝見する菊の花は、さすがに天空の星と見誤るほどの見事さです。

    心から花の滴にそほちつつ うくひずとのみ鳥の鳴くらむ

      自分から花の雫に濡れておきながら、つらいことには羽がちっとも乾かないなどと、
      あの鳥は何で鳴くのであろうか。

     『俊成三十六人歌合』(藤原俊成)

    秋来ぬと目にはさやかに見えねども 風の音にぞ驚かれぬる

    秋萩の花咲きにけり高砂の 尾上の鹿は今や鳴くらむ

      秋萩の花が咲いた。高砂の山ほとりに棲む鹿は、もう鳴いていることだろう。

    ひさかたの雲の上にて見る菊は 天つ星とぞあやまたれける

     『時代不同歌合』(後鳥羽院)

    秋来ぬと目にはさやかに見えねども 風の音にぞ驚かれぬる

    秋萩の花咲きにけり高砂の 尾上の鹿は今や鳴くらむ

    明けぬとて帰る道にはこきたれて 雨も涙も降りそぼちつつ

      夜が明けたというので、女と別れた帰り道、雨も涙も、
      まるでしごきかけるように激しく降りに降って…。

     『百人秀歌』(藤原定家)

    住の江の岸に寄る波よるさへや 夢の通ひ路人目よくらむ

      住の江の岸に寄る波、その夜の夢の中で往き来する時までも、
      あなたは人目を避けて、私と逢っては下さらないのであろうか。

     『百人一首』(藤原定家)

    住の江の岸に寄る波よるさへや 夢の通ひ路人目よくらむ

目利きの歌人たちが選んだ藤原敏行の秀歌6首で一番優れているのは、単に小生の好みかもしれないが、
「秋来[き]ぬと・・・」の歌かと(´・_・`) だけど、藤原定家は『百人一首』に選んでない(´ヘ`;)

島津忠夫(訳注)『新版 百人一首』(角川ソフィア文庫,2008新版16版)を今日確認して安心(^_^;)

    ・・・敏行の歌としては、「秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞ
    おどろかれぬる」(古今集・秋上)の歌が秀歌として知られている。公任の
    『三十六歌仙』にも、俊成の『三十六人歌合』にも、後鳥羽院の『時代不同歌合』にも
    この歌があげられている代表作なのだが、定家は『八代抄』以外には取りあげていない。
    逆に公任の『三十六歌仙』にも俊成の『三十六人歌合』にもまったく取りあげられていない
    この歌[「住の江の・・・」]を『自筆本近代秀歌』に取りあげ、あえてこの百首にも
    推しているのである。女の立場に身を置いて、忍ぶ恋の嘆きをよんだこの歌は、
    晩年の定家好みの作だったといえよう。・・・

定家の歌風や歌への好尚には変化があるけど、晩年になって恋歌が好きなんてキモ・・ヘ(__ヘ)☆\(^^;
とまれ、『百人一首』はそれぞれの作者の代表作が選ばれてるわけではないことを再確認v( ̄∇ ̄)ニヤッ