dボタンで週間天気を視ると、最高気温は明日は35度、明後日は37度と表示されているよヒィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ
ただ、身体が慣れちゃったのか、33度とかあった室温も28度程度に下がれば、全く寝苦しいこともなく、
近所に救急車が2回来たらしいけど全く気付かずに朝まで熟睡(^_^;) でも、寝不足なのは変らない(+_+)
22時半~23時に消灯も4時半に目が醒めるため(´ヘ`;) 更に早く寝るため更新を早めなきゃp(・ω・*q)

【読んだ本】

橘健二&加藤静子(校注・訳)『新編日本古典文学全集34 大鏡』(小学館,1996)

和歌、漢詩、管絃、どれをとっても一流だった大納言の藤原公任、実はゾンビまで造っていたそうだが
(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.so-net.ne.jp/2019-03-08 )、他方で、その性格に問題あり
としか思えぬ言動も伝わってる(´・_・`) ただ、自身の言動を反省して圭角がとれたとする逸話もあり、
本書115頁の口語訳で引く__φ( ̄^ ̄ )メモメモ

    ・・・/こうして一条天皇がご即位されましたので、御母君の女御(詮子)は后に
    お立ちになって、入内なさいましたが、その時、この大納言(公任)は行啓の護衛を
    近衛の次官としてお務めでいらっしゃったところ、女房装束を美しく出した車から
    扇を差し出して、「もしもし、ちょっと、ものを申しあげたい」と、ある女房が
    申しあげましたので、「何事ですか」と言って、車のそばへお寄りになりますと、
    進内侍が顔を差し出して、「お姉君のうまず女のお后は、どちらへおいでですか」と
    お問いかけ申しました。大納言は、「先年の、あの私の失言を根に持っておられるのだな。
    自分ですら、どうもまずかったと気が咎めていたことなのだから、これもしかたないことだ。
    我が身が恥ずかしく消え入りたいばかりだったよ」と後日おっしゃいました。しかし、
    人柄が万事にわたってよくなっていかれましたので、何事につけても、疎外なされる
    ようなこともなく、あの進内侍の過ちだということで、けりがつきました。/・・・

円融天皇の女御だった姉の遵子が立后され入内する際、ライヴァルである女御の詮子がいる邸宅の前で
「この女御はいつ立后なさるのか」などと放言した公任(昨日の記事)、その後、一条天皇が即位して
生母の詮子が皇太后となり、その行啓に随行したところ、皇子を産めなかった姉の遵子を「素腹の后」
と詮子の女房から皮肉られたので、自身の過去の言動を反省し、その人柄が良くなったという(´・_・`) 

『大鏡』は歴史物語であって、この逸話も史実かどうか判らないんだけど、少なくとも、公任は性格に
問題があり、その後は良くなった、と思われていたみたい(^_^;) しかし、そうなると、一昨日の説話は
どうなるんだろう(@_@;) あの説話はこの逸話より後の出来事のはずで、どう解釈すべきかな(@_@;)

個人的な話だが、昨日と今日の公任の逸話、記憶にあったので、本棚を漁ったところ、海音寺潮五郎
『悪人列伝 中世篇』(文春文庫,2006新装版)の「藤原兼家」で少なくとも読んでたことが判明(^_^;)
海音寺潮五郎の史伝文学は、マジで流石と言うか、ホントに何でも書いてあってタメになる(〃'∇'〃)