1000円で1pのカード、200p貯めるのに今回は10ヶ月かかった(´ヘ`;) といっても、そのほとんどは
毎日のゲームと時々のアンケだけど(´・_・`) 前回は9ヶ月、前々回は7ヶ月で貯められたのに(-ω-、)
「手品先輩」はハトさんが出てきた(;_;) 「SHIROBAKO」の再放送でも録画視聴するかのう(ノ_-;)ハア…
起きた時から頭がズーンと痛い上に気持ち悪い(+_+) 気持ち悪いのは消えるも依然として頭痛が(+_+)

【読んだ本】

田中登&松村雄二(責任編集)『戦後和歌研究者列伝─うたに魅せられた人びと』(笠間書院,2006)

田中登「21 樋口芳麻呂──失われた物語を求めて」で引用されている(本書302頁)、樋口芳麻呂の
『平安・鎌倉時代散逸物語の研究』(ひたく書房,1982)に寄せられた久曾神昇の序文を孫引きm(__)m

    (樋口教授の業績は)既に著書十数部、論文百数編に達している。
    中でも特に傾注すべきは、和歌と物語の接点の研究である。
    今まで和歌と物語とは、別々に研究せられ、両者の交錯の究明が不十分であった。
    教授は、和歌における深い造形[ママ]をもって、「物語二百番歌合」
    「風葉和歌集」所載の逸文などを再吟味、物語を考覈[こうかく]せられたので、
    先人の企て及ばなかった斬新な成果を得られたのである。例えば、
    幾百年にわたり、問題となりながら、解明できなかった「みかはにさける」の如きも、
    「あやしくも所たがへに見ゆるかなみかはに咲ける下野の花」(古歌)に気づけば、
    直ちに所違えを主題とする物語と知られる筈である。全く気づかなかったのは、
    和歌研究と物語研究とが、いささか遊離していた為と考えるべきであろう。

「今まで和歌と物語とは、別々に研究」され「和歌研究と物語研究とが、いささか遊離していた」由、
国文学者でも物語研究者は和歌に詳しくないのではと書いたのが裏書きされたオホホホ!!♪( ̄▽+ ̄*)

ただ、本書巻頭所収の松村雄二「戦後和歌研究素描」によると、桑原博史(昭和8年生)は樋口芳麻呂
(大正10年生)よりも後の世代だし、「和歌史研究会(和歌史研)」の同人だな(本書9頁)(@_@;)

・桑原博史は国文学者だけど物語文学が専門で和歌には疎いのではないかヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.so-net.ne.jp/2019-05-24

・伊勢タンの秀歌「散り散らず」を桑原博史(校注)『新潮日本古典集成 無名草子』が謎の解釈(゚ロ゚;)

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.so-net.ne.jp/2019-05-29