PCの前で一時間以上も頑張って無い知恵を絞ってはみたけど、結局なーんも思い付きませんm(__)m
【読んだ本】
町田甲一『大和古寺巡歴』(講談社学術文庫,1989)所蔵本
書の良し悪しは語れないが、本書の表紙カヴァー等の「大和古寺巡歴」という字は素晴しい(〃'∇'〃)
「まえがき」に「なお、題簽の字は、旧版のために、西川寧先生に御揮毫賜わったものである。」(^^)
たしか週刊誌の短文の新刊紹介に、和辻哲郎『古寺巡礼』(岩波文庫,1979)を批判しているとあって、
発売直後に購入した本書(^_^;) 今まで「国宝 薬師寺展」の際に「薬師寺」を読んだ程度だったけど、
今回「東大寺」や「法隆寺」から摘み読みしたら、メチャ知的面白さを感じたし、共感したよ(⌒~⌒)
・・・/[1949年1月26日の]法隆寺金堂の罹災、壁画焼損の報は、世界を震撼させた。
世界に誇る法隆寺の壁画をそれこそ一朝にして焼いてしまったのである。しかし、当時、
自由党と民主党の保守合同計画を強力に推進中だった首相の吉田茂は、当日、
民主党総裁の犬養健と会談していたが、法隆寺の不幸については、ついに一言の談話すら
発表しなかったし、当時の文部大臣(だれだったか忘れてしまったが)が現地に急行する
ということもなかった。レオナルドのモナ・リザが盗難にあった時のフランス政府の態度
とは、大変な違いがあった。/あの悲劇的な戦争にも無事に生きのこり得た、われわれ
日本人が世界に誇りうる数少ない、唯一といっていい、優れた芸術品を、われわれの世代に
一朝にして失ったという痛恨、悲しみは、私たちにとってきわめてきびしいものであった。
その日、私はいつものように、大学の研究室にいたが、午[ひる]近いころ、突然
和辻(哲郎)教授が一人の新聞記者を伴って、私たちの研究室に入って来られ、「君、
法隆寺の壁画が焼けたことを知ってるか」と言われたとき、私はまず愕然とし、そして
茫然とした。悲しみと怒りが、こみ上げて来たのは、それからしばらく経ってからであった。
その日、私は研究室の机の上に両肘を置いたまま、ほとんど終日、自失の状態ですごした。
私の脳裡には天智九年の法隆寺焼亡の凄じい光景が、まるで映画でもみるように展開された。
木村武山の名作といわれる「阿房宮炎上」の絵が、ふと鮮やかに浮かび上ってもきた。/
・・・
一説には金堂の壁画保存のために行なった壁画模写事業が原因で壁画そのものを失ってしまったという
「運命の皮肉」や、その背景・遠因となった政府の壁画複写事業への支援の少なさ等々も詳述していて
マジで読ませる(;_;) ただ、その3日前の1月23日に、第24回総選挙があったばかりだからねぇ(^_^;)
法隆寺の秘仏とされていた救世観音、その像容は明治時代にフェノロサらによって明らかにされたが、
フェノロサの『東洋美術史綱』(有賀長雄訳)の一節を本書は引いている(^^) その中に次の一文(^^)
像形は人体より少し大なるも背後は中空なり。
和辻哲郎・前掲『古寺巡礼』は「それは等身より少し高いが、しかし背はうつろで、・・・」と訳すが、
この「背後は中空」「背はうつろ」を鵜呑みにし妄説を展開した曲学の徒も本書は批判ヒィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ
・・・なお、この文の中でフェノロサが「背後は中空なり」と書いているのは、
おそらく金堂の釈迦三尊の両脇侍の場合と混同して誤っているのであろう。この像は、
後に詳述のように像身は台座の蓮肉部まで丸彫りの一木彫成像である。これを
梅原(猛)氏は、像背を確かめもせずに、「救世観音の体は空洞であることである。
つまりそれは、前面からは人間に見えるが、実は人間ではない。背や尻などが、
この聖徳太子等身の像には欠如しているのである。云々」と記して、「怨霊説」の
有力な前提の一つにしている。実物をみないでものを書くのならば、せめて写真ででも
確かめるぐらいの労は当然払うべきであり、真面目な新説の提唱であるならば、
その論拠については、前もって充分なる学問的検討が必要であろうと思う。/・・・
・・・/本体は、頭部より蓮肉部まで樟材の一木をもって彫成されている(像高
一七九・九センチ)。梅原猛が、この像の体は空洞であるといい、「前面からは
人間に見えるが、実は人間ではない。背や尻などが、……欠如している云々」と
記したあと、つづけて、「この精密な傑作を、技術的未熟さのために、あるいは
手間をはぶくために、背後をつくらなかったとは考えることが出来ない。これは
故意に背後をつくらなかったとしか考えられないのである」と記し、さらに
聖徳太子等身の像の中身を空にしたのは、「明らかに、人間としての太子でなく、
怨霊としての太子を表現しようとしたからであろう。云々」と記しているが
(『隠された十字架─法隆寺論─』)、これは大変な誤りであり、背面もつくられており、
飛鳥時代の仏像に像内を中空にした木彫像などは一体もないのである
(梅原はこの像を天平の作としているが、もちろん、これも大きな誤りであり、
また天平時代の木彫像にも中空の例は一例もない)。/梅原は、この像を実際に
みていないばかりでなく、背面を撮った一葉の写真すらみないで、
金堂の釈迦三尊の脇侍と誤って混同してしまったフェノロサの一文をそのまま
引いてしまっているのである。立論の前提が、全くの誤りであるとなると、
これを前提とした解釈が何の意味ももたないことはいうまでもないことである。/・・・
途中から呼び捨てだけど、気持ちはよぉーく解る(^_^;) ただ、内刳りで像内に空洞を作るのは平安以降
に多いけど、法隆寺の百済観音は飛鳥後期作でも内刳りで「像内を中空にした木彫像」のはず(@_@;)
とまれ、救世観音は内刳りを施されてないいので、梅原猛のデタラメぶりは充分論証されてる(⌒~⌒)
さて、梅原猛の単行本『隠された十字架─法隆寺論─』を1972年に出版したのは新潮社なんだよ(゚ロ゚;)
しつこいようだが、週刊新潮2016年10月20日号で、新潮社は自社の校閲部を「超一流」と自画自賛(-"-)
手前味噌で恐縮だが、新潮社の校閲部と言えば、出版業界では“超一流”として
知られた存在。
校正は字の誤りや誤植を正すだけだが、校閲は内容の誤りを正したり不足な点を補うことまでやるよ(^^)
同社常務も自慢( http://magazine-k.jp/2015/07/09/libraries-are-not-ememy-of-the-books/ )(-"-)
新潮社の校閲は伝統もあり、20年で一人前という本当のプロの校閲者が50人以上、
もちろんほかにも大勢の社外校正者がいます。校閲の経費で年間8億以上です。
それだけ高品質の本を出さなければいけない。
『隠された十字架─法隆寺論─』が「超一流」校閲部のチェックを経た「高品質の本」かよヾ(`◇´)ノ
【読んだ本】
町田甲一『大和古寺巡歴』(講談社学術文庫,1989)所蔵本
書の良し悪しは語れないが、本書の表紙カヴァー等の「大和古寺巡歴」という字は素晴しい(〃'∇'〃)
「まえがき」に「なお、題簽の字は、旧版のために、西川寧先生に御揮毫賜わったものである。」(^^)
たしか週刊誌の短文の新刊紹介に、和辻哲郎『古寺巡礼』(岩波文庫,1979)を批判しているとあって、
発売直後に購入した本書(^_^;) 今まで「国宝 薬師寺展」の際に「薬師寺」を読んだ程度だったけど、
今回「東大寺」や「法隆寺」から摘み読みしたら、メチャ知的面白さを感じたし、共感したよ(⌒~⌒)
・・・/[1949年1月26日の]法隆寺金堂の罹災、壁画焼損の報は、世界を震撼させた。
世界に誇る法隆寺の壁画をそれこそ一朝にして焼いてしまったのである。しかし、当時、
自由党と民主党の保守合同計画を強力に推進中だった首相の吉田茂は、当日、
民主党総裁の犬養健と会談していたが、法隆寺の不幸については、ついに一言の談話すら
発表しなかったし、当時の文部大臣(だれだったか忘れてしまったが)が現地に急行する
ということもなかった。レオナルドのモナ・リザが盗難にあった時のフランス政府の態度
とは、大変な違いがあった。/あの悲劇的な戦争にも無事に生きのこり得た、われわれ
日本人が世界に誇りうる数少ない、唯一といっていい、優れた芸術品を、われわれの世代に
一朝にして失ったという痛恨、悲しみは、私たちにとってきわめてきびしいものであった。
その日、私はいつものように、大学の研究室にいたが、午[ひる]近いころ、突然
和辻(哲郎)教授が一人の新聞記者を伴って、私たちの研究室に入って来られ、「君、
法隆寺の壁画が焼けたことを知ってるか」と言われたとき、私はまず愕然とし、そして
茫然とした。悲しみと怒りが、こみ上げて来たのは、それからしばらく経ってからであった。
その日、私は研究室の机の上に両肘を置いたまま、ほとんど終日、自失の状態ですごした。
私の脳裡には天智九年の法隆寺焼亡の凄じい光景が、まるで映画でもみるように展開された。
木村武山の名作といわれる「阿房宮炎上」の絵が、ふと鮮やかに浮かび上ってもきた。/
・・・
一説には金堂の壁画保存のために行なった壁画模写事業が原因で壁画そのものを失ってしまったという
「運命の皮肉」や、その背景・遠因となった政府の壁画複写事業への支援の少なさ等々も詳述していて
マジで読ませる(;_;) ただ、その3日前の1月23日に、第24回総選挙があったばかりだからねぇ(^_^;)
法隆寺の秘仏とされていた救世観音、その像容は明治時代にフェノロサらによって明らかにされたが、
フェノロサの『東洋美術史綱』(有賀長雄訳)の一節を本書は引いている(^^) その中に次の一文(^^)
像形は人体より少し大なるも背後は中空なり。
和辻哲郎・前掲『古寺巡礼』は「それは等身より少し高いが、しかし背はうつろで、・・・」と訳すが、
この「背後は中空」「背はうつろ」を鵜呑みにし妄説を展開した曲学の徒も本書は批判ヒィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ
・・・なお、この文の中でフェノロサが「背後は中空なり」と書いているのは、
おそらく金堂の釈迦三尊の両脇侍の場合と混同して誤っているのであろう。この像は、
後に詳述のように像身は台座の蓮肉部まで丸彫りの一木彫成像である。これを
梅原(猛)氏は、像背を確かめもせずに、「救世観音の体は空洞であることである。
つまりそれは、前面からは人間に見えるが、実は人間ではない。背や尻などが、
この聖徳太子等身の像には欠如しているのである。云々」と記して、「怨霊説」の
有力な前提の一つにしている。実物をみないでものを書くのならば、せめて写真ででも
確かめるぐらいの労は当然払うべきであり、真面目な新説の提唱であるならば、
その論拠については、前もって充分なる学問的検討が必要であろうと思う。/・・・
・・・/本体は、頭部より蓮肉部まで樟材の一木をもって彫成されている(像高
一七九・九センチ)。梅原猛が、この像の体は空洞であるといい、「前面からは
人間に見えるが、実は人間ではない。背や尻などが、……欠如している云々」と
記したあと、つづけて、「この精密な傑作を、技術的未熟さのために、あるいは
手間をはぶくために、背後をつくらなかったとは考えることが出来ない。これは
故意に背後をつくらなかったとしか考えられないのである」と記し、さらに
聖徳太子等身の像の中身を空にしたのは、「明らかに、人間としての太子でなく、
怨霊としての太子を表現しようとしたからであろう。云々」と記しているが
(『隠された十字架─法隆寺論─』)、これは大変な誤りであり、背面もつくられており、
飛鳥時代の仏像に像内を中空にした木彫像などは一体もないのである
(梅原はこの像を天平の作としているが、もちろん、これも大きな誤りであり、
また天平時代の木彫像にも中空の例は一例もない)。/梅原は、この像を実際に
みていないばかりでなく、背面を撮った一葉の写真すらみないで、
金堂の釈迦三尊の脇侍と誤って混同してしまったフェノロサの一文をそのまま
引いてしまっているのである。立論の前提が、全くの誤りであるとなると、
これを前提とした解釈が何の意味ももたないことはいうまでもないことである。/・・・
途中から呼び捨てだけど、気持ちはよぉーく解る(^_^;) ただ、内刳りで像内に空洞を作るのは平安以降
に多いけど、法隆寺の百済観音は飛鳥後期作でも内刳りで「像内を中空にした木彫像」のはず(@_@;)
とまれ、救世観音は内刳りを施されてないいので、梅原猛のデタラメぶりは充分論証されてる(⌒~⌒)
さて、梅原猛の単行本『隠された十字架─法隆寺論─』を1972年に出版したのは新潮社なんだよ(゚ロ゚;)
しつこいようだが、週刊新潮2016年10月20日号で、新潮社は自社の校閲部を「超一流」と自画自賛(-"-)
手前味噌で恐縮だが、新潮社の校閲部と言えば、出版業界では“超一流”として
知られた存在。
校正は字の誤りや誤植を正すだけだが、校閲は内容の誤りを正したり不足な点を補うことまでやるよ(^^)
同社常務も自慢( http://magazine-k.jp/2015/07/09/libraries-are-not-ememy-of-the-books/ )(-"-)
新潮社の校閲は伝統もあり、20年で一人前という本当のプロの校閲者が50人以上、
もちろんほかにも大勢の社外校正者がいます。校閲の経費で年間8億以上です。
それだけ高品質の本を出さなければいけない。
『隠された十字架─法隆寺論─』が「超一流」校閲部のチェックを経た「高品質の本」かよヾ(`◇´)ノ