週刊現代6月8日号のグラビア〈我が輩は「立ち猫」である〉、一本足で立つ猫さんまでヒィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ
二足歩行を始めて、もし人類以上の進化を遂げたら、この星は〈猫の惑星〉になるかも((;゚Д゚)ヒィィィ!
既に猫さんの下僕となってる人間もいるけどv( ̄∇ ̄)ニヤッ 猫さんに仕えるのよオホホホ( ^^)/~~~~ ピシッ!
【読んだ本】
町田甲一『大和古寺巡歴』(講談社学術文庫,1989)所蔵本
他人様のブログにインスパイアされて、寝床で和辻哲郎『古寺巡礼』(岩波文庫,1979)を拾い読みし、
続けて本書に(⌒~⌒) 原文ママで引くけど、実に小気味好い論述ですな○ o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ
・・・とする説を唱え出した人がいる。とるに足らない説ではあるが、近ごろは
新しい説が出ると、自らその説の内容を十分に検討吟味することもなく新説として
紹介する人がいて、そのため専攻でない人がそれを鵜呑みにして、その結果、
頼りない新説でも、さも有力な説の如く定着して世をまどわかすことが少くない。
憂うべきことである。そこで、とるに足らない説だがそのとるに足らぬ説たる所以を、
少し論証しておく必要もあろうかと思う。そういう点から少し触れておくと、
この説は、・・・
この一節は、コピペして他の学問分野でも使えそうじゃない(^_^;)ヾ( ̄o ̄;)オイオイ笑い事じゃないぞ!
・・・竹山道雄は、この[法隆寺の]中門と南大門との間に、当初からいま見るような
間隔が保たれていて、南大門をくぐった地点から中門の姿が遠望でき「遠くから眺めながら
それに近よって」行ける門のように思い込んでおり、いわばそういう前提の上で、
この中門が多くの門と異なって、正面の中央に柱を立ててその左右に二戸を開く
独特の形式をもっていること(謎)について、『古都遍歴』の中で、まず次のように
記している。すなわち、/「・・・/この路をまっすぐ行けば、あの中央の柱に
つきあたつてしまう。行手の門は、なかば人を通すようであり、通さぬようでもある。
門でありながら塞いでいる。招じ入れる入口でありながら拒否している。
この柱はふしぎだった。それは吹き放ちの空間に立っているだけに、その膨らみが
生きているもののように見えるのだが、さながらこういっているかのようである
──ここは門である。しかし、なんじがこれを入ることはできぬ。」/・・・/
「ここは外界とは隔絶した領域だった。外の原始の自然の世界とは、はっきりと
限界をつけて考えられたにちがいない。人々はその限界を形の上で明示しようとしたに
ちがいない。中門は、この要求に答えて、この役目を果たしているのである。そういう
機能を果すために、この[中門の中央に柱という]形がえらばれたのである。」/
「これは門であるが、ただの開放的な通路ではない。閉鎖をも暗示している。
招きながら拒否している。・・・中門の中央の柱は、遠くから歩いてくる人間にむかって
いっている──『ここは門である。しかし、なんじがこれを入ることはできぬ』。・・・
「解釈も自由だし、表現の自由もあるが、一体、このような解釈に、どれほどの客観性と真実性がある
のだろうか。」として、ここでも「とるに足らない説だがそのとるに足らぬ説たる所以」を指摘(^^)
・・・/竹山道雄は、中門を、外界と隔絶した特別の領域を形のうえで明示したもの、
と解釈しているが、前述のように、南都六宗では、回廊の正面の門を中門といい、
外界と法域を限る築地に開かれたものが大門で、その方向によって南大門、東大門
などとよび、南大門がその正面の大門であった。だから「外界と隔絶した特別の……」
というのは、南大門についていうのならば、まだしも、中門についてはあたらないわけ
である。前にもふれたが、[法隆寺の再建前の]古い寺では南大門と中門はほとんど
相接して建てられていて、少くとも中門は、竹山がいうように、遠くから眺めながら
近よって行く門ではなかった。「招きながら拒否する」という言葉は、観念の遊戯的な
レトリックとしては面白いが、具体的にはほとんど説得力をもっていない。
「ここは門である。しかし、なんじがこれを入ることはできぬ。」という魅力的なフレーズの所為か、
釣られて飛び付いた人物がいることも本書は紹介している(^_^;)
・・・/梅原猛は、この竹山道雄の解釈をとりあげ、「[独文学者]竹山氏の着想の根底に、
ニーチェがあると思う」といい、ニーチェは彼の著書[で新潮文庫には竹山道雄訳もある]
『ツァラトゥストラかく語りき』に「この本は万人の本にして、如何なる人の本にあらず」
と書いたが、竹山は法隆寺の門にそのような言葉が書かれているのを見たのであろう、
といって、この中門は「万人の門にして、いかなる人の門にもあらず」なのだ、
と結んでいる。/・・・
「その説の内容を十分に検討吟味することもな」い梅原猛の著作の読者たちが、「それを鵜呑みにして、
その結果、頼りない新説でも、さも有力な説の如く定着して世をまどわかすことが少[な]くない」
という負の連鎖は続くC= (-。- ) フゥー ここで思い出したんだけど、武澤秀一『法隆寺の謎を解く』
(ちくま新書,2006)、図書館で借りて読んだのは間違いないけど、内容は忘れてしまった(ノ_-;)ハア…
二足歩行を始めて、もし人類以上の進化を遂げたら、この星は〈猫の惑星〉になるかも((;゚Д゚)ヒィィィ!
既に猫さんの下僕となってる人間もいるけどv( ̄∇ ̄)ニヤッ 猫さんに仕えるのよオホホホ( ^^)/~~~~ ピシッ!
【読んだ本】
町田甲一『大和古寺巡歴』(講談社学術文庫,1989)所蔵本
他人様のブログにインスパイアされて、寝床で和辻哲郎『古寺巡礼』(岩波文庫,1979)を拾い読みし、
続けて本書に(⌒~⌒) 原文ママで引くけど、実に小気味好い論述ですな○ o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ
・・・とする説を唱え出した人がいる。とるに足らない説ではあるが、近ごろは
新しい説が出ると、自らその説の内容を十分に検討吟味することもなく新説として
紹介する人がいて、そのため専攻でない人がそれを鵜呑みにして、その結果、
頼りない新説でも、さも有力な説の如く定着して世をまどわかすことが少くない。
憂うべきことである。そこで、とるに足らない説だがそのとるに足らぬ説たる所以を、
少し論証しておく必要もあろうかと思う。そういう点から少し触れておくと、
この説は、・・・
この一節は、コピペして他の学問分野でも使えそうじゃない(^_^;)ヾ( ̄o ̄;)オイオイ笑い事じゃないぞ!
・・・竹山道雄は、この[法隆寺の]中門と南大門との間に、当初からいま見るような
間隔が保たれていて、南大門をくぐった地点から中門の姿が遠望でき「遠くから眺めながら
それに近よって」行ける門のように思い込んでおり、いわばそういう前提の上で、
この中門が多くの門と異なって、正面の中央に柱を立ててその左右に二戸を開く
独特の形式をもっていること(謎)について、『古都遍歴』の中で、まず次のように
記している。すなわち、/「・・・/この路をまっすぐ行けば、あの中央の柱に
つきあたつてしまう。行手の門は、なかば人を通すようであり、通さぬようでもある。
門でありながら塞いでいる。招じ入れる入口でありながら拒否している。
この柱はふしぎだった。それは吹き放ちの空間に立っているだけに、その膨らみが
生きているもののように見えるのだが、さながらこういっているかのようである
──ここは門である。しかし、なんじがこれを入ることはできぬ。」/・・・/
「ここは外界とは隔絶した領域だった。外の原始の自然の世界とは、はっきりと
限界をつけて考えられたにちがいない。人々はその限界を形の上で明示しようとしたに
ちがいない。中門は、この要求に答えて、この役目を果たしているのである。そういう
機能を果すために、この[中門の中央に柱という]形がえらばれたのである。」/
「これは門であるが、ただの開放的な通路ではない。閉鎖をも暗示している。
招きながら拒否している。・・・中門の中央の柱は、遠くから歩いてくる人間にむかって
いっている──『ここは門である。しかし、なんじがこれを入ることはできぬ』。・・・
「解釈も自由だし、表現の自由もあるが、一体、このような解釈に、どれほどの客観性と真実性がある
のだろうか。」として、ここでも「とるに足らない説だがそのとるに足らぬ説たる所以」を指摘(^^)
・・・/竹山道雄は、中門を、外界と隔絶した特別の領域を形のうえで明示したもの、
と解釈しているが、前述のように、南都六宗では、回廊の正面の門を中門といい、
外界と法域を限る築地に開かれたものが大門で、その方向によって南大門、東大門
などとよび、南大門がその正面の大門であった。だから「外界と隔絶した特別の……」
というのは、南大門についていうのならば、まだしも、中門についてはあたらないわけ
である。前にもふれたが、[法隆寺の再建前の]古い寺では南大門と中門はほとんど
相接して建てられていて、少くとも中門は、竹山がいうように、遠くから眺めながら
近よって行く門ではなかった。「招きながら拒否する」という言葉は、観念の遊戯的な
レトリックとしては面白いが、具体的にはほとんど説得力をもっていない。
「ここは門である。しかし、なんじがこれを入ることはできぬ。」という魅力的なフレーズの所為か、
釣られて飛び付いた人物がいることも本書は紹介している(^_^;)
・・・/梅原猛は、この竹山道雄の解釈をとりあげ、「[独文学者]竹山氏の着想の根底に、
ニーチェがあると思う」といい、ニーチェは彼の著書[で新潮文庫には竹山道雄訳もある]
『ツァラトゥストラかく語りき』に「この本は万人の本にして、如何なる人の本にあらず」
と書いたが、竹山は法隆寺の門にそのような言葉が書かれているのを見たのであろう、
といって、この中門は「万人の門にして、いかなる人の門にもあらず」なのだ、
と結んでいる。/・・・
「その説の内容を十分に検討吟味することもな」い梅原猛の著作の読者たちが、「それを鵜呑みにして、
その結果、頼りない新説でも、さも有力な説の如く定着して世をまどわかすことが少[な]くない」
という負の連鎖は続くC= (-。- ) フゥー ここで思い出したんだけど、武澤秀一『法隆寺の謎を解く』
(ちくま新書,2006)、図書館で借りて読んだのは間違いないけど、内容は忘れてしまった(ノ_-;)ハア…