古今和歌集、後撰和歌集から遺れた歌を拾った拾遺和歌集に倣って、今日は拾遺バカ集だぁヾ(`◇´)ノ
未確認だけど気温が30度あったらしいヒィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ この調子だと8月は40度超えそう((;゚Д゚)ヒィィィィ!
一方、20日に注文したい誘惑に耐えた1040円の本が960円に値下がりウキウキ♪o(^-^ o )(o ^-^)oワクワク♪
6分も協議したということは栃ノ心の踵は付いてなかったと譲らぬ審判委員がいてくれたのかも(-ω-、)

【読んだ本】

桑原博史(校注)『新潮日本古典集成 無名草子』(新潮社,1976)

しつこいようだが、週刊新潮2016年10月20日号で、新潮社は自社の校閲部を「超一流」と自画自賛(-"-)

    手前味噌で恐縮だが、新潮社の校閲部と言えば、出版業界では“超一流”として
    知られた存在。

同社常務も自慢( http://magazine-k.jp/2015/07/09/libraries-are-not-ememy-of-the-books/ )(-"-)

    新潮社の校閲は伝統もあり、20年で一人前という本当のプロの校閲者が50人以上、
    もちろんほかにも大勢の社外校正者がいます。校閲の経費で年間8億以上です。
    それだけ高品質の本を出さなければいけない。

こーゆー思い上がった連中の鼻はヘシ折ってやりたくなる性分なので、どんなに些細なミスであっても、
新潮社の出版物に関しては見逃すことなく、今まで拙ブログは指摘してきた次第オホホホ( ^^)/~~~~ ピシッ!

創立八十年記念出版である新潮日本古典集成の本書110頁、有名な歌人・清原元輔の娘であれほどの才媛
だったのに、清少納言は和歌を詠むことに関しては優れてなかったようだ、『後拾遺和歌集』にも少し
しか歌が入ってない云々という『無名草子』の本文に出てくる『後拾遺』に付された頭注二を引く(-"-)

    [『後拾遺和歌集』については]一〇二頁注◇参照。清少納言の歌は三首入集。

『後拾遺和歌集』に入った清少納言の歌は、「三首」じゃなく二首だぞヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!

本書の校注者の桑原博史は国文学者だけど、物語文学が専門で、和歌は専門じゃないっぽいね(@_@;)
だから、フツーは「家集」と表記すべきところを「歌集」と表記したりするなど、和歌は専門外という
臭いがプンプンする(-ω-、) 例えば、桑原博史(全訳注)『西行物語』(講談社学術文庫,1981)では
「『山家集』をはじめとする歌集の方の詞書は・・・」などと記述( ̄◇ ̄;) 『大辞林』は「山家集」
の項で「歌集。」としているけど、和歌の専門家は皆さん、『山家集』は「家集」と表記してる(-"-)

佐藤俊樹『桜が創った「日本」─ソメイヨシノ 起源への旅─』(岩波新書,2005)巻末の「桜のがいど
ぶっく・がいど」も、西行『山家集』岩波文庫を挙げ、「①いうまでもなく、日本史上屈指の桜マニア
の歌集。」と解題されてて、この優れた社会学者が和歌の専門書もろくに読まずに桜や和歌を論じてる
ことが判って興醒め(+_+) この「桜のがいどぶっく・がいど」は、小川和佑『桜の文学史』文春新書
(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.so-net.ne.jp/2019-04-21 )という拙ブログ史上最大級の
デタラメ本まで挙げてるから、和歌のことは全く解せない無教養な東大教授なんだろうC= (-。- ) フゥー

同書「あとがき」に「できるだけ原典で確認するようにしたが、・・・初歩的な誤りもまだまだあると
思う。勝手なお願いで恐縮だが、それらの点も御指摘いただければ幸いである。」とあるから書く(-"-)

    『平家物語』桜町大納言の逸話に「桜は咲いて七箇日に散るを」とあるように、・・・

「桜町大納言」は「誤り」であり、正しくは「桜町中納言」なんだよヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!

小生所蔵本は「第3刷」、第1刷、第2刷の読者どもは何故「指摘」しないんだヾ(`◇´)ノ彡☆フシアナカァ!!