「桜の樹の下には屍体が埋まっている!/これは信じていいことなんだよ。何故って、桜の花があんなに
見事に咲くなんて信じられないことじゃないか。俺はあの美しさが信じられないので、この二三日不安
だった。しかしいま、やっとわかるときが来た。桜の樹の下には屍体が埋まっている。これは信じて
いいことだ。」が、梶井基次郎「桜の樹の下には」(同『檸檬』[新潮文庫,1967]所収)の冒頭だけど、
淀野隆三「解説」によると昭和7年(1932年)3月24日午前2時に梶井基次郎は31歳で世を去った(-ω-、)

【読んだ本】

片桐洋一『古今和歌集全評釈(上)』(講談社学術文庫,2019)所蔵本

在原業平との恋愛を噂された藤原高子、清和帝の女御として陽成帝を産むも55歳で僧・善祐との密通を
理由に廃后ヒィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ 『古今和歌集』に選ばれた彼女の歌を本書の【通釈】と合わせて引く(^^)

     二条の后の春のはじめの御歌

    雪の内に 春は来にけり うぐひすの こほれる涙 今やとくらむ

      二条の后が、春のはじめという題でおよみになった歌

     折しも雪の降っているさ中に立春はやって来たよ。冬の間、凍っていた鶯の涙は、
     立春を迎えて、今やっと解[ママ]けているだろうか。

この歌を廃后の失意を詠んだとする解釈に対し、本書の【注釈史・享受史】は手厳しい((;゚Д゚)ヒィィィ!

    ・・・平安時代の和歌は・・・歌の作者の生の生活や生の感情をそのままに表出
    することはむしろ少なかった。従って、現代の学者が、その歌人の人生と歌の内容を
    直接的にかかわらせて理解しようとすると、思わぬ誤りをしてしまう。/・・・
    犬養廉氏の論文は、氏のずいぶん若い時のものながら、そのような誤りを
    おかしてしまった一つの例である。

「ずいぶん若い時のものながら」は、感心してるのではなく、〈若気の至りによる「誤り」で、その後
は流石に説を改めたよねぇ?〉という意を込めたのかと(^_^;) 「若い時」は思慮が足りないから(^_^;)

藤原高子=二条の后は前記理由で寛平8年(896年)に皇太后の位を停められて延喜10年(910年)に没も
天慶6年(943年)に名誉回復されたわけだが、『古今和歌集』が成立した延喜5年(905年)の時点では
后とは呼べなかったはずなのに、この歌の詞書に「二条の后」と表記されていることが論点に(@_@;)

奥村恆哉(校注)『新潮日本古典集成 古今和歌集』(新潮社,1978)の頭注は、次の如く解してる(^^)

    『古今集』が編まれた延喜時代には后位を停止されていた。ここに「二條后」とするのは
    『古今集』勅撰にあたって特別のはからいがあったものか。

これに対し、片桐洋一は本書の【語釈】と【注釈史・享受史】において次のような解答を記す(⌒~⌒)

    ・・・『古今集』の詞書の書き方を思えば、歌を詠んだ時期に后であれば、
    「二条の后」と呼ばれてよいと考えるべきであろう。この歌も寛平八年
    以前の作だから「二条の后」と表記されていると見てよいのではないか。

    ・・・【語釈】欄に述べたように后の位を停止される以前に詠まれた歌だったから
    「二条の后」と詞書に明記されたのであって、この歌が[犬養廉の解釈のように]
    后の位を停止された悲しみの中で詠まれたとは考えられない。寛平八年(八九六)の
    皇太后位剝奪以前の、おそらくは新春歌宴において披露された歌と見るべきなのである。

ところが、片桐洋一『原文&現代語訳シリーズ 古今和歌集』(笠間書院,2005)の脚注で変説した(゚ロ゚;)

    形式的には天慶六年(九四三)に復位したが、実質上は「古今集」成立のころには
    復権していたのであろう。

本書は、『古今集』に「二条の后」と表記されている事実から「寛平八年以前の作」と推定しただけで、
同歌が「寛平八年以前の作」であることを証明する根拠を示せてはいない(^_^;) それゆえ、「実質上は
・・・復権していたのであろう」から『古今集』は「二条の后」と表記したとするなら、廃后中の歌と
する犬養廉の解釈を否定できないじゃん(^_^;) 片桐洋一は1931年生まれゆえ、本書の原本を刊行した
1998年には67歳だったわけだから、もはや「ずいぶん若い時のものながら」云々とは言えないね(^_^;)
むしろ、74歳にもなると、前に自分が書いたこと、他人を厳しく批判したことなど忘れちゃったか^_^;
考えに考え抜いて出した結論は簡単に変えたりしないもんだけど、国文学者はコロコロ変説する(^_^;)

・『百人秀歌』が先とする通説に対して『百人一首』先行説を初めて提示した片桐洋一が変説だと(゚ロ゚;)

 ⇒ https://yomunjanakatsuta-orz.blog.so-net.ne.jp/2015-11-02