何故か心身ともに、メチャメチャかったるくて、今日は全く何もしないで終ってしまったぞ(ノ_-;)トホホ…

【読んだ本】

小林秀雄『モオツァルト・無常という事』(新潮文庫,1961→1967改版)所蔵本

文芸評論の神様として、その難解な文章が大学入試に出題され、多くの受験生を悩ませたとか(@_@;)
亡くなった年に始まった週刊文春の人気連載「萬流コピー塾」の投稿者には同姓同名の20歳が( ̄◇ ̄;)
「デートにこぎつける」というテーマで「老いも若きもおりまぜて、はっ、踊ろじゃないか」と投稿し、
破門第一号となるも、「懐中電灯」というテーマで「今までの検便では物足りないとお思いの貴兄に、
まるごと一本入ります」(毒)で名取第一号になるなど、詳しくは糸井重里『(ぶんこ版)糸井重里の
萬流コピー塾』(文春文庫,1988)を参照されたいが、本書収録の一篇「西行」のラストを引く(-ω-、)

       風になびく富士の煙の空にきえて行方も知らぬ我が思ひかな

    これも同じ年の行脚のうちに詠まれた歌だ。彼が、これを、自讃歌の第一に推した
    という伝説を、僕は信ずる。ここまで歩いて来た事を、彼自身はよく知っていた筈である。
    「いかにかすべき我心」の呪文が、どうして遂にこういう驚くほど平明な純粋な一楽句と
    化して了[しま]ったかを。この歌が通俗と映る歌人の心は汚れている。一西行の苦しみは
    純化し、「読人知らず」の調べを奏でる。人々は、何時とはなく、ここに「富士見西行」の
    絵姿を想い描き、知らず知らずのうちに、めいめいの胸の嘆きを通わせる。西行は遂に
    自分の思想の行方を見定め得なかった。しかし、彼にしてみれば、それは、
    自分の肉体の行方ははっきりと見定めた事に他ならなかった。

       願はくは花の下にて春死なんそのきさらぎの望月のころ

    彼は、間もなく、その願いを安らかに遂げた。

「風になびく」の歌は『西行法師家集』の「恋」に入ってるけど(久保田淳&吉野朋美[校注]『西行
全歌集』[岩波文庫,2013])、久保田淳『新古今和歌集全注釈 五』(角川学芸出版,2012)も〈この
「思ひ」がいかなる種類のものであるかは単純ではない。『西行上人集』で恋の部に入っているのは
おそらく後人の所為で、一応恋の思いと解したのであろうが、むしろ人間の生そのものに対する情念と
見た方がよいのであろう。〉とし問題ないが、最後の「間もなく」は誤りヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!
     
・西行の「願はくは」は辞世の歌どころか「晩年」に詠んだ歌ですらないヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!
    
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