調べものをしていて本の書名を「Yahoo!」で検索しただけなのに、すぐに「Yahoo!ショッピング」から
「あなたへのおすす商品」として検索した本を買わせようとメール来るのがウザいんですがヾ(`◇´)ノ
暖冬でも老化が進んでるので去年より電気ストーブ使ってるから年末年始はTV視ないで電気代節約(;_;)

【読んだ本】

末次由紀『ちはやふる』(講談社BE LOVE,2018)39巻

主要登場人物の1人「大江奏」についてwikiは「古典おたくで、百人一首や歌に関して造詣が深い。」と
説明してるし、その母親も本書63頁で「好きな和歌」として和泉式部の歌を挙げて力説してた( ̄◇ ̄;)

    「とどめおきてだれをあわれと思うらん 子はまさるらん子はまさりけり」

仮名遣いが複数個所も間違っているのは御愛嬌だが、『和泉式部集』(宸翰本)にも入っている同歌を
野村精一(校注)『新潮日本古典集成 和泉式部日記 和泉式部集』(新潮社,1981)120頁から、詞書と
口語訳も併せて引くよん(⌒~⌒)

     小式部内侍みまかりて、むまごどもの侍るを見て

    とどめおきて たれをあはれと おもふらん 子はまさりけり 子はまさるらん

      私も子も残して先立ってしまって、いったいお前は誰のことが一番気がかり
      だったろうか。誰にもまして子供たちのことであるはずだ。今、子である
      お前に先立たれた私の気持ちがそうなのだから―――。

詞書から、和泉式部が、子の小式部内侍が孫達を遺して亡くなってしまった時に、詠んだ歌と判る(;_;)

さて、お気付きか? 大江奏の母親が挙げた歌とは違うことにC= (-。- ) フゥー そう、第四句と第五句が
逆じゃんか(⌒~⌒)ニヤニヤ ちなみに、野村・前掲書の「付録 宸翰本所収歌対照表」によると(227頁)、
『和泉式部集』の「松井本」も、この「宸翰本」と同じで「こはまさりけりこはまさるらん」の由(^^)

『和泉式部集』(正集)を清水文雄(校注)『和泉式部集・和泉式部続集』(岩波文庫,1983)で見ると、

    留め置きて誰をあはれと思ひけん子はまさるらん子はまさりけり

第四句と第五句は大江奏の母親の挙げた歌と同じだけど、第三句が「思ひけん」で違うね(⌒~⌒)ニヤニヤ

大江奏の母親、『和泉式部集』も披かずに和泉式部の歌を語るなんて片腹痛いわオホホホ!!♪( ̄▽+ ̄*)

大江奏の母親は、おそらく勅撰集『後拾遺和歌集』から、同歌を引いたのだと思われる( ̄ヘ ̄)y-゚゚゚
久保田淳&平田喜信(校注)『新 日本古典文学大系8 後拾遺和歌集』(岩波書店,1994)によるなら
(藤本一恵[全訳注]『後拾遺和歌集(二)』[講談社学術文庫,1983]もほぼ同一である)、

     小式部内侍なくなりて、孫どもの侍りけるを見てよみ侍りける

    とゞめおきて誰をあはれと思ふらん子はまさるらん子はまさりけり

たまたま高橋貢(全訳注)『古本説話集(上)』(講談社学術文庫,2001)の「和泉式部歌事 第七」を
読んでたら同歌が出てきて、下句が「子はまさりけり子はまさるらん」と逆だったから気付いた(^_^;)
ちなみに、藤本・前掲書によると『栄花物語』も「子はまさりけり子はまさるらん」となってる由^_^;

さて、橋本不美男&有吉保&藤平春男(校注・訳)『新編日本古典文学全集87 歌論集』(小学館,2002)
所収の『古来風躰抄 下』に載る、有吉保による同歌の訳にびっくり∑( ̄ロ ̄|||)にゃんじゃそりゃ!?

    私の娘は母と子とを残して 今頃あの世でそのどちらをいとしいと
    思っているだろうか きっと我が子を思う心のほうが勝っていることだろう
    この私も孫よりも我が子を思う心のほうが勝っていることであるよ

「孫よりも」というのは「自分の母よりも」の間違いだと小生は思うのだけど、如何だろうか(´ヘ`;)

何故か腰が痛い(+_+) 明日は「MAJOR 2nd」のアニメ、一挙放送だけど、電気代節約で視られぬ(-ω-、)