図書館に行ったら4800円の本が欲しくなっちゃった(ノ_-;)トホホ… 遣り繰り上手としては楽天のセールで
現在6倍のショップに注文すべきなのかしら(´ヘ`;) 別のショップが10倍やるまで待つべきか(-ω-、)
待ってたら在庫切れになるかも((;゚Д゚)ヒィィィ! うーん・・・とりあえず格付けチェック視るp(・ω・*q)

【読んだ本】

紀田順一郎『にっぽん快人物烈伝』(旺文社文庫,1985)所蔵本

「芸能人」の4人目は「ラッパ節にかけた演歌男」こと添田啞蟬坊[あぜんぼう]、御存知かしら(@_@)

    ・・・明治三十八年(一九〇五)『ラッパ節』が当たり、以後『ああ金の世』
    『ゼーゼー節』などで世相を痛烈に諷刺し、社会演歌のジャンルを形成した。
    大正初年以降は、『マックロケ節』『ノンキ節』『豆粕ソング』で庶民の自嘲と
    怒りを歌い、・・・

云々と冒頭の人物紹介にはあるけど、小生はその名を見たことあるだけ(^_^;) 坪内祐三『新書百冊』
(新潮新書,2003)が、添田知道『演歌の明治大正史』(岩波新書,1963)を取り上げた件で見た^_^;

    演歌というのは、いまある演歌のことではない。いわゆる「書生演歌」だ。もともとは
    街頭での新聞の読売、すなわちニュースのひろめ役からはじまった。それに節をつけて
    聞かせたのである。/・・・/そしてその演歌は明治十年代末から二十年代初めの
    自由民権運動と深く結びついていたのである。ところが、添田知道がこの新書を執筆当時、
    歴史家たちはそのことを問題にしようとしなかった。そこに添田は憤慨する。/・・・/
    なのに一般の歴史書や文化史研究ではそのあたりのことがないがしろにされている。
    そのことに対する不満が、添田知道をして(しかも彼は父添田啞蟬坊と共に親子二代続く
    演歌師だった)、この小さな大著を執筆させることになったのだろう。

「大著」の二文字に傍点、略した部分は『演歌の明治大正史』からの引用文(^_^;) 坪内祐三の同書、
付箋を貼ったところを中心に久しぶりに再読したけど、やはり面白いねぇ(〃'∇'〃) 松浪信三郎が、
白水社の「クセジュ文庫というのは訳がひどいから、読み終わったあとで〝クセジュ[我レ何ヲカ
知ル]〟とつぶやきたくなるので、その名がついているんだ」という「つまらないギャグ」を授業で
話したとか^_^; 『私の体を通り過ぎていった雑誌たち』(新潮文庫,2008)もそうだけど、坪内祐三
は自伝的エピソードを交えながら、本や雑誌のことを語ってるから、ホント読ませるよね(〃'∇'〃)

    第二章でも述べたように岩波新書の黄版の刊行が始まったのは私が浪人時代の
    一九七七年五月のことである。刊行と同時に、私は、若気の至りで、岩波新書
    黄版の全揃えを目指した。だから例えば、その22番の『治安維持法』が盗作問題で
    発売と同時に絶版処分になったのを発売日の夕刊で知った私は、すぐに自転車に
    飛び乗り、小田急線の経堂駅に向った。駅の近くに岩波新書をたくさん揃えている
    大きな本屋が二軒ある。どちらかに行けば見つかるだろう。しかしどちらの店でも
    既に回収されていた。ならば、あの店、と私は機転をきかせて、左翼系の(たぶん)
    オヤジがやっている小さな店に向った。あの店も岩波新書がそこそこ揃っているから
    ・・・・・・。そして見事ゲットした。

陣内孝則が正解だと、つまらないなぁ(^_^;) タケモトピアノのCМが視られるから好きだ(〃'∇'〃)