言い訳じゃないけど、坂本九の名曲「明日があるさ」が頭の中でエンドレスに流れてるんだよね(-ω-、)

【読んだ本】

紀田順一郎『にっぽん快人物烈伝』(旺文社文庫,1985)所蔵本

「画家」の4人目の伊藤晴雨は副題も「責め絵に殉じた町絵師」で性的な逸話が主ゆえ大人しめのを^_^;

    彼は六、七歳のころからサディズムを感じるようになった。その動機は、学校の教室で、
    おしゃべりの女生徒が、教師に行儀がわるいのを叱られ、黒板ふきを投げつけられ、
    ワッとばかりに泣きくずれたことがある。紅ぬりの櫛がハタリと机の上に落ち、
    前髪がバラリと乱れて飛んだ。彼はその姿に、たとえようのない魅力を感じた。

芸術新潮1995年4月号の特集「幻の責め絵師 伊藤晴雨」の中で「・・・昭和30年前後、晴雨自身の演出
のもとに、川口博氏が数回にわたり撮影したもの。」も紹介され、ほぼ同じ構図の伊藤晴雨の責め絵も
並べられたりしてて、非常に興味深い(^^) その中の写真のキャプションを引いておこっと(〃'∇'〃)

    責めの写真を撮ることは、晴雨にとって〝実験〟の意味も持っていた。
    浮世絵春画の乱れ髪を有り得ない〝絵空事〟と批判したのも、そうした実験を重ね、
    リアルな乱れ髪を描こうと腐心する晴雨ならではのことだったろう。

何故か本書が紹介していない逸話を、未読なんだけど団鬼六『外道の群れ 【責め絵師】伊藤晴雨伝』
(幻冬舎アウトロー文庫,1997)から引いておきましょうかねぇ( ̄ヘ ̄)y-゚゚゚

    私[団鬼六]が伊藤晴雨に更に一つ、興味を持ったのは晴雨と竹久夢二との出会いである。
    晴雨が生涯、二度と手に入れる事はないだろうと惚れ切ったお葉――彼女は美術学校の
    モデルであったが、晴雨とただれ切った愛人関係を続け、後に竹久夢二と恋愛関係に陥って
    晴雨のもとから離れた。つまり、晴雨は竹久夢二に惚れた女を寝とられる事になるわけだが、
    この時の晴雨の狂おしい嫉妬と悲しみが想像出来るのである。竹久夢二も絵師である。才能
    と名声と地位とそして女に恵まれた美人絵画家であり、大正ロマンを代表する抒情派画家で
    あった。/お葉とは竹久夢二が新たにつけた名前で晴雨の愛人時代の彼女の名前は兼代で
    あった。夢二はお葉を得て、彼女をモデルにした数々の名作を発表する事になる。「黒船屋」
    「山の茶屋」「女の四季」等、夢二の美人画の代表作はすべてお葉がモデルではないかと
    いわれている。夢二の画風はお葉によって息づいたといえるだろう。

この「うそつきお兼」こと永井兼代が竹久夢二と出逢って一緒に暮らしたのが有名な菊富士ホテルゆえ、
やはり未読の近藤富枝『本郷菊富士ホテル』(中公文庫,1983)を拾い読みすると更なる事実も(´・_・`)

    兼代は洋画家藤島武二のもと専属モデルで名作「芳蕙」は兼代をモデルとしたものであった。

こうなると、これまた未読の青江舜二郎『竹久夢二』(中公文庫,1985)も関連個所を拾い読みし始め、
気が付くと、もう夕方じゃん∑( ̄ロ ̄|||)なんですと!? 今日予定してた風呂掃除は( ̄◇ ̄;)アレレ!?

開き直るわけじゃないけど、風呂掃除が一日遅れたからといって、別に問題ないよねぇ C= (-。- ) フゥー