被害者なんだし謝らなくてもいいだろと思いつつも、謝らなきゃという気持ちに被害者がなるのも理解
できる(-ω-、) 殺されずに済んだ被害者女性のコメントを夕刊で読んでて、ウルっときちゃった(;_;)

【読んだ本】

紀田順一郎『にっぽん快人物烈伝』(旺文社文庫,1985)所蔵本

「作家・評論家・ジャーナリスト」の3人目は、長谷川如是閑で「反骨のジャーナリスト」と副題(^_^;)

〈・・・「大阪朝日新聞」で天声人語欄を担当。さらには社会部長として全国中等学校優勝野球大会を
企画した。〉と略歴から_φ( ̄^ ̄ )メモメモ 正直、昔から全く興味の持てない人物なんだけど、城山三郎
『鼠~鈴木商店焼打ち事件』(文春文庫,1975)を読んで何回か取り上げた際に、米騒動を大阪朝日が
扇動した点について城山三郎が老如是閑に問い質したことは「161224読んだ本」に記してある(@_@;)

本書が紹介している逸話も興味なくて、外国人に英語を習おうとしたら、その月謝のあまりの高さに、

    彼は逃げるようにそこを出たが、翌日新聞社へ出勤しようとして靴をはくと、やけに
    ブカブカである。きのう外人先生の家から逃げ出すとき、あわててまちがえたのを、
    家に帰るまで気がつかなかったのだ。

ホントに靴を間違える人いるんだなぁと驚いた程度(゚ロ゚;) 慌てりゃ年齢に関係なく間違えるわな(^_^;)

続けて、4人目の永井荷風も読んだよ(^^) 「奇行・反俗・最後の文人」という副題が付いている(^_^;)

永井荷風らしいHネタもあって笑ったけど、それよりも個人的に衝撃を受けた逸話が2つあったぞ(゚o゚;)
ソレらを読んだら、永井荷風に対して小生が持ってたイメージが覆されて見直しちゃったもん( ̄◇ ̄;)

そのイメージを作った、石川淳「敗荷落日」同『安吾のいる風景・敗荷落日』(講談社文芸文庫,1991)
所収の有名な書き出しがコレ(@_@;)

    一箇の老人が死んだ。通念上の詩人らしくもなく、小説家らしくもなく、一般に芸術的
    らしいと錯覚されるようなすべての雰囲気を絶ちきったところに、老人はただひとり、
    身近に書きちらしの反故もとどめず、そういっても貯金通帳をこの世の一大事と
    にぎりしめて、深夜の古畳の上に血を吐いて死んでいたという。このことはとくに
    奇とするにたりない。小金をためこんだ陋巷の乞食坊主の野たれじにならば、江戸の随筆
    なんぞにもその例を見るだろう。しかし、これがただの乞食坊主ではなくて、かくれもない
    詩文の家として、名あり財あり、はなはだ芸術的らしい錯覚の雲につつまれて来たところの、
    明治このかたの荷風散人の最期とすれば、その文学上の意味はどういうことになるか。

この一文の存在は、これもまた有名な澁澤龍彦「絶対を垣間見んとして・・・・・・」同『三島由紀夫
おぼえがき』(中公文庫,1986)所収で知ったのだが、その書き出しは次の如し(@_@;)

    荷風散人が市川の陋巷に窮死したとき、石川淳氏の書いた「敗荷落日」という文章は、
    私にとっていまだに忘れがたい文章となっている。それは、文学者が文学者の死を
    あげつらうとはいかなることであるか、――いや、いかなることであるべきか、
    ということを私に教えたのである。/すでに精神がもぬけの殻となっていたと断ずる
    老荷風の屍に、石川氏のふるう批判の鞭は苛烈をきわめていた。この鞭は、しかし
    また同時に、ただちに我が身にはね返ってくる鞭でもあった。精神と精神との対決
    という場以外においては、文学者が文学者の死を批判する権利はまったくないのだ
    ということを、私は石川氏の文章により、ほとんど目のさめる思いで知らされた
    のである。
    
「貯金通帳をこの世の一大事とにぎりしめて」死んでいたと聞くと、流石の永井荷風も「すでに精神が
もぬけの殻となっていた」とするキビシー断定にも、どこか説得力を感じちゃうわけですよ(@_@;)
    
ところが、本書を読んでたら、次の2つの逸話が紹介されていたんだよねぇ∑( ̄ロ ̄|||)なんと!?

    荷風は二度ばかり焼け出され、そのたびに丸裸になったのにこりて、晩年はフロに
    入るにも全財産を入れた鞄から、コウモリ傘や靴までかかえていた。

    あるとき彼は貯金通帳を落としたが、額面が四千万円もあることがバレてしまい、
    新聞がさわぎたてたので、こういった。/「戦争中、心にもない便乗的な作品を
    書かずにいられたのは、貯金をしていたおかげです。すべからく作家というものは、
    質素をむねとして貯金をなし、悪い時代が到来したとき、筆を曲げずとも
    食いつなげるよう心がけておくべし」

「四千万円」という額に驚いたのも事実だけど、貯金してたから戦時中に「筆を曲げず」すんだという
永井荷風の言にはナルホドと感心させられたし、そうなると、永井荷風が亡くなった時、「貯金通帳」を
「この世の一大事とにぎりしめて」いたのも理解でき、それは笑えないことのように思えてきた(-ω-、)

今朝「アクセス解析」の「リンク先」に問題のブログからのがあったけど(問題の記事の前日の記事に
押していた小生のnice!からの訪問)、勿論、ブログ主本人によるものかどうかは定かではない(^_^;)
昨日の記事への反応か登録読者が1名減ったヒィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ 「筆を曲げず」にやっていくのは大変^_^;