日に何回もチェックしてるほど欲しい古本が、やっと1万以下で出品されたけど、どうすんべかな(@_@)
正直まだ値は高いし、コンディション説明が詳しくなく疑問の1つは質問して解決も、まだ不安(-ω-、)

【買った本&読んだ本】

丸谷才一『後鳥羽院 第二版』(ちくま学芸文庫,2013)

再びバリューブックス^_^; アマゾンに556円+送料等350円の906円で出品してたけど、楽天では813円
で送料無料だった(^^) 「良い」だけど、表紙カヴァーに少し切れ目の他は、36頁までパカっと開いて
形状記憶されてて表紙にも折れが出来てしまっている程度で、中身は「非常に良い」だったね(^_^;)

本書は2004年の同名単行本を文庫化したものなんだけど、「第二版あとがき」などを読んだ限りでは、
「第二版」ではなく〈増補版〉とした方が正確かと(^_^;) ただ、ある本に本書の最初(1973年)の
単行本の記述が引用されてたので比べたけど、表現が異なる部分があり、秘かに改訂してるかも(@_@)

「見渡せば 山もと霞む 水無瀬川 夕べは秋と 何おもひけむ」を取り上げた後鳥羽院についての回で、
百目鬼恭三郎『新古今和歌集一夕話』(新潮社,1982)は、次のように本書に言及していたよ(^_^;)

    丸谷才一『後鳥羽院』(日本詩人選)では、院が「見渡せば」という句が好きで、
    これを使った歌を十一首も詠んでいることをあげている。そこから丸谷は、この
    歌にも、古代の帝王風の国見[←本書は「国見といふ、高所から国土を見渡して
    讃美する農耕儀式は古代における天皇の行事」と説明]の気持ちがこめられている
    という新説をひき出して、注目を集めたのだが、水無瀬のような低い地形を思うと、
    国見を連想させられるのはよほどのことにちがいない。おそらくは、この歌の
    堂堂たる詠みぶりに魅せられたためであろう。この詠みぶりこそは、新古今時代の
    後鳥羽院の歌風なのである。

百目鬼恭三郎らしい痛烈な皮肉だなぁと思ってたけど、最近コレは本書の本質を衝いた批判の気が^_^;

ところで、丸谷才一と言えば、wikiの「百目鬼恭三郎」の項には、次のような記述がある(^_^;)

    1982年、丸谷才一が『裏声で歌へ君が代』を刊行した際、新聞の一面でこれを
    とりあげて絶賛したところ、江藤淳から同級生同士の仲間褒めだと厳しく批判された。

百目鬼恭三郎と丸谷才一は旧制高校や大学の学部・学科が同じなのは事実だけど、この江藤淳の批判を
根拠に両者が癒着していたかの如く言い立てているコメントを某ブログで数日前にも見かけたよ(^_^;)

百目鬼恭三郎は『風の書評』(ダイヤモンド社,1980)で、丸谷才一『食通知ったかぶり』を採り上げ、

    ・・・スッポン煮をスッポンのスープで煮たものと思っているくらい、
    料理の知識に乏しいのに、・・・

と酷評したり、上記のように皮肉っていた事実など、どう辻褄を合わせるのかな^_^; 他方、江藤淳も

    調べてみたところ、山崎正和氏はサントリー文化財団の理事であり、粕谷一希氏は
    同じ財団の評議員である。そして中嶋嶺雄氏は、『北京烈烈』(上下二巻・筑摩書房刊)
    によって、サントリー文化賞を受章している。なんのことはない、中嶋氏が粕谷氏の短文を
    「珠玉の短編」と持ち上げ、粕谷氏が山崎氏の文章を「不可欠の洞察」と称賛し、山崎氏が
    中嶋氏に賞を出すというふうに、この「徒党」の構造は円環をなしているらしいのである。

と同「ユダの季節」(同『批評と私』[新潮社,1987]所収)で記して、物議を醸したんだよね(^_^;)  

コレがどこまで当たっているのかは知らないし(中嶋嶺雄『知識人と論壇 今日的変貌の断面』[東洋
経済新報社,1984]には反論も載っている)、こーゆー「徒党」は小生の業界にも実際いるんだけど、
その色眼鏡で全てを見るのは如何なものかしら^_^; なお、よく百目鬼恭三郎の著作を引用するから、
信者と誤解されそうだけど、間違いやおかしな点などあれば、下記の如く容赦なく指摘してます^_^;

  『新古今和歌集一夕話』 ⇒ http://yomunjanakatsuta-orz.blog.so-net.ne.jp/2015-12-23

予報通り、午前中からポツポツと降り出して一日中、雨だった^_^;