「一つの旅は終わり、また新しい旅立ちが始まる。さらばメーテル。さらば銀河鉄道999。・・・・・・
さらば少年の日よ。」を、城達也以外の誰がナレーションできるんじゃヾ(`◇´)ノ彡☆コノ!バカチンガァ!!
コメントに「これだけは、実写化しないでほしい。まず最初に、メーテル役を誰がするかで、日本で
内戦が起きかねない。」とあり、爆笑した(^_^;) 投稿した返信コメントを消しては書き直して再投稿、
コレを一つの返信コメントで何度も何度も繰り返しているよ(ノ_-;)ハア… 即レス主義の欠点か(-ω-、)

【読んだ本】

杉本苑子『西国巡拝記』(中公文庫,1980)所蔵本

ついに「第三十三番 華厳寺」を読了(^^)v 西国三十三ヵ所巡りのゴールである、谷汲[たにくみ]山
華厳寺だけど、その書き出しは次のようなものだった(^_^;)

    「美濃の谷汲山には幻滅しますよ」/とは、出かける前から幾人もの人に、
    苦笑まじりに聞かされていた言葉であった。

最後の寺だからと「宗教的な感動」を「期待したら裏切られ」るらしい(^_^;) というのも、

    谷汲山華厳寺は、たいへんはやっている寺なのだそうだ。三十三ヵ所ぜんぶを
    廻らなくても、一番と三十三番にだけ詣でれば、同じ功徳を得られるという
    お手軽風潮にもよるらしい。北陸のほうには一番那智寺の〝那〟と、三十三番
    谷汲山の〝谷〟をとって『那谷寺』と号し、当山一ヵ寺で万事O・Kと宣伝
    している上手[うわて]もあるらしいけれども、とかく、はやっているお寺
    というのは、俗臭が横溢しているものである。

苑子タン、例によって「民衆の意識の低さはやむをえないにしても、それを迎える寺側までが低劣な
次元のなかに自分を置いて、賽銭勘定にのみ汲々としているケースが多い。」云々とお怒り(-ω-、)
しかも、谷汲山では寺僕さんが「何でもない顔つき」でお賽銭を回収する場面に偶然遭遇(ノ_-;)ハア…

さて、名鉄線の谷汲駅から近く、あるいは大垣駅から国鉄樽見線、谷汲口駅で下車しバスで約15分と
あるけど、樽見鉄道なら本巣駅で下車し、某施設まで例によって延々と歩き、最短ルートをとったら、
目の前に川(?)があって渡れず、小生としては珍しく約束の時間に遅刻した嫌な思い出が(-ω-、)

長谷寺なんかとは違って「庶民的な門前町風景」だし、しかも、「堂や仏像には、仁王門にかぎらず、
とりたてて注目すべきもののない寺なのである。」由(^_^;) 「有名な〝精進落としの鯉〟は、本堂
きざはしの両方の柱に打ちつけてある。」ともあるけどね(^_^;)

    本堂の左うら手には子安かんのん堂と笈摺[おいずる]堂がならぶ。/ながいながい
    旅のあいだ、着通してきた白衣の袖なし――笈摺を、この御堂に納め、またもとの
    俗体に還って、巡礼たちはそれぞれの生活の場へもどってゆくのである。/洋服すがた
    が圧倒的に多くなってしまった現在、それでも年に、二十枚ほどの奉納があるそうだが、
    むかしは何万というかずが、うずたかく積まれたという。/「戦争中、軍部に供出した
    ときも、大八車に二杯あったといいますよ」/「軍に? なににしたのでしょう」/
    「大砲の筒みがきに使ったそうです」/腹がたった。木綿でも砂糖でも、うなるほど
    たくわえていた職業軍人の家庭を私は知っている。一軒でさえそうだったのだ。
    巡礼たちの祈りと思い出がこもった笈摺までを、油雑巾の代用に召しあげる必要など
    ないではないか。

苑子タン、激オコ(-ω-、) 「笈摺の発音が、折りヅルに通じるためか、あるいは諸願成就、満願結縁
のよろこびにあやかろうためか、笈摺堂には千羽ヅルもおびただしく奉納され、隣接、子安観音堂の
よだれかけとともに、愛らしいいろどりを香煙の水色に添えている。」ともあったけどね(〃'∇'〃)

少し歩いた(^_^;) 今夜こそ早く寝るぞo(-`д´- o)