目が覚め、起床時間には早いから、もう一眠りしようかどうしようか思案し始め、まばたきをすると、
一瞬にして一時間も経ってしまうのは、もしかして瞼がタイムマシンのスイッチかもヒィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ
過去には遡れないから、タイムマシンじゃないか(-ω-、) サイボーグ009の加速装置かも(〃'∇'〃)

【読んだ本】

橋本不美男&有吉保&藤平春男(校注・訳)『新編日本古典文学全集87 歌論集』(小学館,2002)所蔵本

藤原長能(蜻蛉日記の作者の弟・歌人)が、詠んだ歌を藤原公任に批判されたショックで食べられなり、
亡くなった話は有名で、この逸話からは、当時の歌壇においては藤原公任が権威だったこと、あるいは
和歌の社会的機能などが読み取られてきた(^^) 本書所収の源俊頼(勅選集である金葉和歌集の撰者で
超一流の歌人)の歌論書『俊頼髄脳』(橋本文美男訳)を拾い読みしてたら、この話も出てきた(^-^)

    ・・・公任卿は、[長能が]詠み上げた歌を一度聞いただけで、深くも考えず
    「春は三十日だけか」とだけ言われたのを聞いて、長能はその説明を聞きもしないで、
    そのまま退出してしまった。こうして、その翌年になり、長能が病気をして、
    危篤状態になったと聞いて、公任卿は、見舞いに使者を長能のもとにやったところ、
    長能はこう言った。「喜んでお見舞いをお受けいたします。ただしこの病気は、
    去年の三月に[公任が]歌会をお催しなされた夜に、公任卿が私の歌に対して、
    春は三十日だけかとおっしゃったので、私としては情けないことだなと
    感じられたのですが、その気鬱のため病気となって、その後は、なんとしても
    食物も食べることができなくなって以来、身体が、このようになってしまったので
    ございます。」と公任卿に伝えた。そして次の日には死んでしまった。このことを
    知って公任卿は、たいへんにお嘆きになられたと聞いている。そうであるから、
    これほどに歌に執心している人の詠んだ歌などは、多少不審な表現があったとしても、
    非難すべきではないという実例として、書いておくのである。

目が留まったのは最後の一文(´・_・`) このエピソード自体は色んな本に出ていて、百目鬼恭三郎も、
『新古今和歌集一夕話』(新潮社,1982)では能因法師の歌の回(能因法師は藤原長能の歌の弟子)や
『乱読すれば良書に当たる』(新潮社,1985)の『俊頼髄脳』を取り上げた一篇などで紹介しながら、
上記引用の最後の件には触れてなかった(@_@;) 百目鬼恭三郎は週刊文春連載の書評欄「風の書評」
で知られ、同書評は向井敏『本のなかの本』(中公文庫,1990)は次のように評されている(^^)

    ・・・「風」は世にはびこる愚書駄本珍説空論を木端微塵に粉砕し、
    世間を甘く見てぬくぬくしていた著者たちの心胆を寒からしめた。   

百目鬼恭三郎は書評で一切容赦しなかったから、源俊頼の上記自戒にも目を留めなかったのかしら^_^;
同連載の最終回の結語は、次の通り(『続 風の書評』[ダイヤモンド社,1983])(^^)

    この欄はこれで終わる。風はやんだ。著者諸君、枕を高くして眠りたまえ。

いい天気だったけど喉が痛むのと午後は超眠かったのでサボってダラダラと本を読んでた(+_+)