チョー厳しく書評したら本人や関係者から釈明コメントを頂戴したこともあるブログに1年3ヶ月ぶりに
コメントが今朝あり一瞬びっくり( ̄◇ ̄;)エッ!? 名前をよぉーく見たら、吹き出しちゃったけど(^_^;)
某ブログのコメント欄に「素晴しいコレクションですね(゚o゚;)」と書き込んだら、ブログ主さんから
〈「過ぎたるは猶及ばざるが如し」という言葉を・・ (^_^; 〉という返信コメントと一緒に「過ぎたる
は猶及ばざるが如し(スギタルハナオオヨバザルガゴトシ)とは - コトバンク」というリンク先までが
載ってたことが( ̄□ ̄;) 純金の元名古屋嬢キャラだから、おバカさんと思われたのかも(ノ_-;)ハア…
他山の石や反面教師としようにも上から目線になりがちなので、コメントの遣り取りは難しい(-ω-、)
昔ノーパソに「謙虚!」と大書した付箋を貼って書いた論文の被引用度が高かったのを思い出す(^_^;)

【読んだ本】

深沢眞二&深沢了子編『芭蕉・蕪村 春夏秋冬を詠む 秋冬編』(三弥井古典文庫,2016)所蔵本

昨日の藤原実方の説話は本書の冬の「枯野」がテーマの章の最初に紹介されてるけど、「枯野」なら
芭蕉の辞世の句が有名(^^) 陸奥で客死した藤原実方の塚の話は『おくのほそ道』にもあるけど(本書
も紹介)、その芭蕉の辞世吟と藤原実方の塚とを媒介する話として、本書は西行の和歌を挟んでた(^^)
それは新古今和歌集の哀傷歌に入っている次の歌(歌番号793)で、

    朽ちもせぬ その名ばかりを とどめ置きて 枯野のすすき 形見とぞ見る

この歌&その詞書(珍しく長文)を本書は次のように訳してる(スラッシュ以下が歌の訳)(^^)

    (陸奥に参りましたところ、野中に目立つ墓[原文は「塚」]がありましたので、
    人に尋ねましたら「これは中将の墓と申します」と答えますので、「中将とはどの人だ」
    と尋ねますと、「実方朝臣のことです」と言うのです。それで、冬のことでしたから、
    霜に枯れ果てたすすきがほのぼのと見渡せますのが、折から物悲しく感じられましたので
    /歌詠みとしての不朽の名声だけを残して、実方中将の生涯はこの枯野に朽ちはてた
    という。いまは、その枯野に生えている薄を、実方中将の形見として見るばかりだ。)

窪田空穂『完本新古今和歌集評釈』中巻(東京堂出版,1964)が、この歌のポイントを解説してた(^^)

    一首の中心は、むろん人間の無常で、その名ばかりを留めて、その人は、
    枯野のすすきを形見としているというのである。そこには目に立つ塚があって、
    それが形見であるべきであるに、塚はいわず、ほのぼのと見えわたる一面の
    すすきの方を形見として見たのである。ここに、作者の心があるといえる。

「作者の心」を見逃さず、こうやって解り易く説明してくれている窪田空穂は素晴しいね(^^) なお、
この歌は、その詞書は微妙に違うけど、山家集(西行の代表的家集)にも入ってる(歌番号800)(^^)

この詞書をストーリー化して組み込んでいるのが『西行物語』で、桑原博史(全訳注)『西行物語』
(講談社学術文庫,1981)の〈現代語訳〉を引くと、

    ・・・とある野中を通るときに、わけのありそうな墓が見えたので、草を刈っていた男に、
    /「あれはどういうお墓ですか」/とたずねたところ、/「これが実方の中将と申しあげた
    人のお墓です」/というのを聞いて、あわれに思い、/

      名前ばかりは朽ちはてずに語り伝えられているが、今は枯野のすすきを
      その人のはかない形見として見るばかりだ。

もう1つ歌が添えられてるけど、藤原実方とは実は関係がない歌(山家集の歌番号764)ゆえ省略(^_^;)

さて、上記ストーリーは新古今集&山家集の詞書と比べると省略部分があり、桑原博史は次の指摘^_^;

    『山家集』をはじめとする歌集の方の詞書は、「霜枯れの薄、ほのぼの見え渡りて」
    [本書の訳だと「霜に枯れ果てたすすきがほのぼのと見渡せますのが」]とあるのは、
    実景であるかもしれぬが、悲運の貴公子の面影を浮びあがらせる美的感覚がある。
    『[西行]物語』の散文は、その点が貧弱である。

原文を比べると『西行物語』の味気なさはヨリ鮮明になるけど、ソレを理解するための補助線として、
久保田淳『新古今和歌集全注釈 三』(角川学芸出版,2011)を引くと(「ぼの」は原文では記号)、

    「霜枯れの薄ほのぼの見えわたりて」という部分には、おそらく
    「薄」「穂」→「ほのぼの」という技巧が意識されているのであろうが、
    しかも景を彷彿させる。和歌も沈痛な調べを湛えている。

この『西行物語』の作者は和歌に対して見識が無いから、気付かずに削除しちゃったんだろうね(+_+)
その結果、『西行物語』で描かれている藤原実方の塚の前での西行の話は、新古今集や山家集に比べ、
気が抜けたサイダーや融けたアイスクリームみたいな類いになっちゃったわけさね C= (-。- ) フゥー

また『西行物語』を散文として「貧弱」と評するのは厳しいように見えるけど、実は当然のこと(^^)
『西行物語』を西行の生涯と和歌についての伝記物語などと紹介している人は、読解力がないのか、
本書の各段の〈観賞〉や巻末の「解説」を読まずに〈現代語訳〉の部分だけ読んだ輩だろうね(^_^;)
前にも引用したけど、桑原博史曰く、

    現在、わたしたちは西行を、かなり文学的な面から見ようとしている。しかし、
    『物語』が造形した西行の生涯は、宗教者としての色彩を色濃く持っている。
    そういう宗教者が、和歌という方法によって自己の苦しみを吐露し、神仏に
    祈りをささげ、救済されるに至った、そういう精神過程を書こうとしたのである。

『西行物語』は、西行を宗教人・求道者に仕立て上げ、その「伝記を通じて仏教の教理を人々に説こう
とする目的もあって執筆された」もので、西行の名前、生涯、和歌をテキトーに摘み食いした代物^_^;
サイドバーの「検索ボックス」で「西行物語」を検索したらヒットした記事の一つにも書いてた(^_^;)

    それにしても、物語作者がフリーダムすぎるね(@_@;) 例えば、西行の恋の歌を
    「出家遁世の心境を吐露したもの」としちゃうとか、メチャクチャな転用が多すぎる^_^;
    「年たけてまた越ゆべしと思ひきや命なりけり小夜の中山」の歌を、「西行がはじめて
    小夜の中山を越えたときの歌」としちゃってて、辛口の訳注者も「これはあるいは
    『物語』作者が、この歌の内容をよく理解していなかったためであろうか。」と
    呆れてた(@_@) 西行の生涯に2回あった陸奥への旅を物語作者が一つにまとめちゃった
    のには意味があって(ネタバレ防止!)、物語の性格にも関係があるんだけどさ^_^;

なお、残念なことだけど、桑原博史の〈観賞〉や「解説」に幾つか誤りがあることは既に指摘済だし、
しつこいようだけど、本書『芭蕉・蕪村 春夏秋冬を詠む』を奨めているわけではありません(-ω-、)

夕方まで雨は止まなかった(+_+) 寒さは昨日ほどではなかった^_^; 今日も用事が片付かぬ(-ω-、)