恋人に恵まれなかったら、オーみどりん、オーみどりん(^o^)丿ヾ(-_-;)オイオイ...懐かしいネタを・・・
20年前には「指導教授に恵まれなかったら、オー人事、オー人事」が院生の間で流行りましたね(^_^;)

【読んだ本】

森田悌(全現代語訳)『日本後紀(上)』(講談社学術文庫,2006)

日本後紀は六国史の一つ、つまり、勅撰の正史なのに、延暦16年4月丙子(21日)の条の現代語訳に、

   僧正善珠が死去した。行年七十五。皇太子安殿親王(平城天皇)が善珠の肖像を描き、
   秋篠寺に安置されている。皇太子が病気の時、『大般若経』を読誦して霊妙な効験を
   もたらし、抽賞されている(延暦十六年正月に僧正に任命されていることを指すので
   あろう)。法師は俗姓が安都宿禰で、京の人であった。民間の噂によれば、「僧正玄昉は
   太皇太后藤原宮子と密通し、善珠法師は密通により生まれた子である。(略)」という。
   善珠は師を求め研鑽したが、遅鈍で学問を身につけることができなかった。しかし、
   はじめ唯識論を読み、反復することにより、ついに三蔵(経蔵・律蔵・論蔵のことで、
   仏教典籍の総称)の奥深い教理を理解し、教理や学説に通暁するようになった。
   大器晩成とは、このような人のことであろう。

勅撰国史が太皇太后の密通という「民間の噂」を載せてるなんて凄くないですかねヒィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ

善珠に対する人物評も、坂本太郎『史書を読む』(中公文庫,1987→3版1992)の「日本後紀・続日本
後紀」に「『後紀』の人物伝は長所と共に必ず短所を挙げ、批評は辛辣をきわめている。」とあった
通りだね(171027読んだ本)(^_^;) 同書に、この「日本後紀に横溢する批判的精神は、この[藤原]
緒嗣の豪毅な精神の現れと私は推測する。」とあったが、本書「まえがき」にも次のようにある(^^)

   『日本後紀』には御製和歌が数首引かれており、国風文化の揺籃期に関わる
   という面もある。先に六国史の記事は坦々とした事象・事件を記すのみの
   様相が強いとしたが、『日本後紀』は編者の一人藤原緒嗣の個性に依るらしく、
   官人の伝記を記述するに当たりすこぶる遠慮のない人物月旦を行っている。
   『日本後紀』は文化史の看点からも興味深い内容となっているのである。

全三巻の本書が三冊とも美品、しかもネットの相場より少し安い値でブックオフにあって、1割引券で
買おうか先月末にメチャ悩んだ(@_@;) でも、人名索引も事項索引も付いてないからスルー(-ω-、)

図書館で借りて拾い読みしてて、気になった点を指摘すると、先ず、本書巻頭「凡例」に「訳文内に
訳者注を( )で囲んで施した。」とあり、上記現代語訳には4ヶ所あるけど、その中の「(略)」は
原文に「云々」とあるのを訳したものであって「訳者注」ではないね(´・_・`) 紛らわしいよ(-ω-、)
次に、語釈や解説が無いのは致命的∑( ̄ロ ̄|||) 例えば、同年冬10月庚申(8日)の条の現代語訳に、

   啄木鳥が前殿へ入った。明日、天皇は交野に行幸する予定であったが、
   この不審事のため、とり止めた。

どうして「不審事」なのか解説してくれないと現代人には分らんよ(^_^;) スルーして正解か(´・_・`)

700本124817 v.s 69本123127_φ( ̄^ ̄ )メモメモ 秋篠寺の前は何回も歩いたなぁ(´・_・`)