誰も教えてくれないんだもん(-ω-、) いつのまにか、庭にある鉢の偽クリローこと、レンテンローズ
(別名「春咲きクリスマスローズ」)が咲いてたよヤッタネ!!(v゚ー゚)ハ(゚▽゚v)ィェーィ♪ 以前より草丈が低い
から本物だったりして(〃'∇'〃)テヘペロ もっと咲くから愉しみなりウキウキ♪o(^-^ o )(o ^-^)oワクワク♪
最後の更新から40日が経過したため、昨夕から本家ブログ「また、つまらぬ物を読んでしまったorz」
に広告が出るようになっちゃったので、ある記事にこのブログへのリンクを一つ「追記」することで
広告を消そうしたら、サイドバーの広告は消えたけど、ブログ下部の広告が消えない( ̄◇ ̄;)アレッ!?
管理ページの「設定」→「広告設定」を開き、「設定を保存する」を改めてクリック_φ( ̄^ ̄ )メモメモ

【読んだ本】

杉本苑子『西国巡拝記』(中公文庫,1980)所蔵本

昨夜は記事完成・更新が遅くなったため、今日はメチャ寝不足の超ダメダメ状態ゆえ、「第二十三番
勝尾寺」を読むのが精一杯(+_+) 運が良いのか悪いのか、今回はメモるような内容がない(ノ_-;)ハア…
強いてメモるとすれば、次の件ぐらいかなぁ(´・_・`)

   奥ノ院への登り道には、欠け損じた五輪塔、法篋印塔が、無数といっていいおびただしさで、
   落葉に埋もれている。目をみはるほどの美塔もあり、源頼朝、梶原景時、熊谷直実など、
   源氏の武将のための供養塔もまじる。源平争乱のまきぞえをくって焼亡したこの寺を、
   頼朝が大檀越となって復旧させたさい、工事の奉行をうけたまわったのが梶原、熊谷なのだ。

むしろ、ここに書かれてないことが気になる(-ω-、) 「180107読んだ本」の再掲再説になるけど、
本書の「第四番 槇尾寺」には、

   ただ、槇尾山縁起にひとつ、おもしろい話が載っている。欽明帝が病気にかかられたとき、
   葛城山中に修行している行満上人の噂を聞き、勅使を派遣して病気平癒の祈禱を命ぜられた。
   上人はお受けしなかった。役人風はいつの時代も同じらしく、勅使は感情を害して、/
   「日本国はすべて王土だから、そこに住んでいる者は勅命に背くわけにはゆかない」/と
   きめつけた。上人いわく、/「それならば土地の上に住みませんよ」/というわけで、
   フワッと空中に浮かんだきりになってしまった。あわてた勅使は不遜な言辞を謝罪して、
   ようよう上人におりてもらったという。

宮元啓一『日本奇僧伝』(東京書籍,1985)が、この勝尾寺の第六代目座主・行巡の逸話として紹介
している説話が酷似(@_@) それは貞観年間に清和天皇が重病となって、病気平癒の加持祈禱のため、
勅命で行巡を内裏に参内さすべく藤金吾を使者として派遣したところ、行巡は拒否(゚o゚;) 藤金吾は

   「この国土が続くかぎり、王(天皇)の臣下でないものはおらぬはず。師は俗世間をお捨てに
   なられたとはいえ、王地に住まわれていることは疑いありませぬ。でありますから、ただちに
   ここをお立ちになって、帝の恩に報ずるべきではないかと存ずる次第であります」/そこで
   行巡は、持っていた杖をまっすぐ地面に立てた。どうするのかと見ていると、その上にむしろ
   を乗せ[ママ]、軽々とそこに飛び乗り、悠然と坐して言った。/「拙僧はかくのごとく、
   王地に坐ってはおらぬ」/藤金吾も負けてはいない。/「さりながら、杖の下は王土では
   ござりませぬか」/すると行巡は、今度は、つつっと空中に浮き上がり、そこにじっと
   留まった。さすがの藤金吾も、これには仰天し、大あわてで戻り、内裏にこのことを奏上した。

結局は改めて勅を発し、参内せずとも陰ながら加護をたまわりたいと申し入れると、行巡は法衣一着
と数珠一つを献上して、その甲斐あって帝も平癒したと、元亨釈書や扶桑隠逸伝に載る説話を同書は
紹介(^^) 「どちらが元ネタか、あるいは第三の元ネタから両者とも派生したものか分からんけど、
行巡の方が面白い(^^)」と書いた通りなんだけど、本書の「第二十三番 勝尾寺」には出てない(..)

それにしてもメガネスーツの女はいつ登場するんだよヾ(`◇´)ノ彡☆ダガシカシ2ノバカチンガァ!!