この人の本はブックオフに行く度に見かけたけど一度も手に取らなかった小生の予見能力( ̄^ ̄)エヘン

【読んだ本】

江橋崇『ものと人間の文化史189 百人一首』(法政大学出版局 ,2022)

長さん様から本書の存在を教わり(「221226昨日買った本&読んだ本」コメント)、また江橋崇が
遊戯史学会で活動していることも教わった記憶(^_^;) 江橋崇は大昔に法セミ(法学セミナー)誌で
知ったけど、憲法学の研究者は小生の中でイメージが悪く(例外もいて、すぐ思い付くのは橋本公亘
や奥平康弘かな)、また『百人一首』は和歌や歌人に関心があるだけで、カルタ(かるた)には全く
興味ナシオン主権なので、本書は読む気にならなかった(^_^;) 偶々手に取ってパラパラ眺めたら、
〈第1章 「百人一首歌かるた」の誕生〉の「2 関西に生じた乱気流」で吉海直人のことを取り上げ
てメチャ厳しく批判しているのに目が留まった(^_^;) 手元にある『百人一首』の注釈書等を見ると
吉海直人の論文や著書が引かれたり挙げられてて、『百人一首』に関する編著もあるので学界でも
それなりの地位を占めてるのだろうし、またブックオフの110円の雑本棚にメチャ通俗的なタイトル
の一般向けの文庫本が必ずあるから売れっ子なのだろう(^_^;) この節の冒頭(本書41~42頁)から
引く(^_^;)

    /昭和五十九年(一九八四)末の私の発見と、その後の東京の研究会、「かるたを
    かたる会」とその周辺での検討から五年ほど後、平成二年(一九九〇)に、同志社
    女子大学教授の吉海直人は「百人一首歌かるた」の成立にも関わる「発見」を行い、
    「平成最大の発見」としてその成果を誇示した。平成という年代が始まった直後に、
    この年代の期間がその後何十年続くかも予測されないのに、その数十年を予見しても
    これに勝る業績は出てくるはずがないという恐ろしい予見能力に驚いた。また、その
    「平成最大の発見」が、誰かほかの研究者の仕事への評価であればまだしも、ご本人
    の論文の自己評価だというのだから呆れた。そして、その高慢な自己評価の中で私の
    仕事をそしられたのであるから、いい迷惑もあった。・・・

笑えるけど、こーゆーところが売れっ子になる所以なんだろうね(^_^;) ちなみに、この節の〆の件
には、「吉海は、結局、東京ではよく知られていた知見を、自分の新発見だと主張すること以外には
新しい学術情報の発見、報告に至らずに終わっていたのである。」(本書57頁)という一文が(^_^;)
〈第3章 初期「百人一首歌かるた」の遊戯法〉の〈3 「百人一首歌かるた」遊戯法の多様な発達〉
からも引いておきたい(本書188頁)(^_^;)

    ・・・平成十六年(二〇〇四)の[論文]「『花かるた』の始源と現在」で、吉海直人
    は「漢詩かるた」が中国起源であると断定したうえて、それが日本の「いろはかるた」
    の「ルーツなのかもしれない」と書いた。「漢詩かるた」が「いろはかるた」のルーツ
    だというのはとんでもない方向違いの憶測で即座に否定されるが、その前提として
    「中国の漢詩かるた」の存在を主張しているのには驚いた。「漢詩かるた」は江戸時代
    前期(一六五二~一七〇四)、日本社会での新考案であって、日本文化の香りが高い
    この「かるた」がそれ以前に中国に存在したことを示す史料は、日本にも、中国にも
    まったく存在しない。そのようなことを主張した研究者は日本にも中国にもまったく
    いない。「漢詩かるた」中国起源説は史料的な根拠のまったく存在しない論者固有の
    ファンタジーであった。私は当時このことを厳しく指摘した。合せて、この論文で、
    花札の牡丹に蝶の図柄は「中国の『荘子』に、荘周が夢で蝶となって牡丹に戯れたと
    いう故事があり、おそらくそこから生まれた中国的な構図と見て間違いあるまい」と
    した[吉海の]主張も、先人の研究によって、そもそも『荘子』では蝶となったとしか
    書かれておらず、この故事が日本に伝来した後に、まず山吹などさまざまな花に戯れる
    図像が生まれ、それが牡丹に戯れる図像に集約したのであり、「牡丹に蝶」の構図は
    日本発祥であることが明確に指摘されているところを誤読し引用した、中国の古典に
    暗く、先人の業績を学ばないで独善的な自説を述べる、二重の間違いと見て間違いある
    まいと指摘した。それに対してこの論者は、一言の弁解もないままに、また一片の訂正
    記事もないままに、花札の研究世界から退場した。・・・

その後「・・・この人が自己に固有の誤りを学界全体に存在した誤解のように取り繕って自己の責任
を回避したことと、[反省の弁も無いまま]日本起源説に改説・・・」した(本書189~190頁)こと
も紹介(^_^;) 騙されて、この人の本を買っちゃう人もいるから、カルタで騙る・・ヘ(__ヘ)☆\(^^;

[追記240501]

吉海直人の改説にはパターンがあるらしいので、本書の88~89頁と100頁から順に引いておく(^_^;)

    /その後、「歌かるた伊勢市発祥説」は開陳されることがなかったが、同人による
    平成二十年(二〇〇八)の『百人一首かるたの世界』という著作では、「歌かるた
    伊勢起源説」を「こういったまことしやかな説明によって、『歌かるた』の起源が
    捏造されたと考えているのです」と切り捨てた。驚くべき転向と書きたいところだが、
    この書籍の著者はしばしば自説が論破されると転向し、その際に、自説の誤りを
    世間一般の誤解だとすり替えたり、他人の学説のようにして切り捨てたりする癖が
    ある人なので、またかと思い、別に驚きはしなかった。この人以外には伊勢起源説
    を唱えた「まことしやかな」研究者を知らない。いずれにせよ、大幅な改説である。
    /・・・


    ・・・/ただ一ついえることは、こういう時期遅れの論文を発出することで、筆者は、
    以前に唱えていた「貝覆起源説」を正誤不明と言って投げ出し、私たちが唱えてきた
    「しうかく院考案説」にすり寄ってきたということである。かつて、私たちがこの
    新説に触れると、「素人の妄説」扱いで黙殺し、時には同席する機会もあった研究会
    の席では、反論でも批判でもなくただ不快そうに表情を歪めて沈黙していたというのに、
    いったいどうしたのであろうか。ただ、この論文の筆者はこれまで幾くたびもこの方法
    をとってきた。それは、①旧来の通説を主張して、新説を批判し、素人論と罵倒して
    無視する。②新説が有力になると、ある時突然に旧説を検証抜きに切り捨てて新説に
    近づく。③次には、旧説を学界に広く蔓延していた捏造、妄説と罵倒して自分は本来
    新説であったことを主張する、というのがいつもの順序である。またその術を使うの
    ですか、とも思える。/・・・