一芸入試で合格も一年の必修の英語についていけない大学生の家教を学生課の紹介で昔した(@_@;)

【読んだ本】

宇野直人&江原正士『漢詩を読む 2 謝霊運から李白、杜甫へ』(平凡社,2010)

    ──高適(七〇一?-七六五)といえば、あの李白と杜甫が出会って旅をした時、
      一緒にいた〝第三の人物〟ですね。いったいどんな人だったんでしょう?

    ユニークな経歴の人です。おそらく中国大陸の東北、河北省方面の豪族出身で、
    若い時は定職につかず、正義を重んじ、弱きを助け、強きを挫く、いわゆる
    任侠の徒でした。

    ──何か自分を高揚させるものを求めていたんですね。

    ええ、それであちこち移動していたと思われますが、四十代前半頃、李白が
    朝廷を追われたと聞いて、面会しようと駆けつけました。

    ──そこに杜甫もいたと。

    はい。李白と杜甫は洛陽近辺(もしくはもう少し東)で会ったと言われますが、
    そこに合流するかたちになったのです。そして初対面で意気投合し、三人で
    旅行することになりました。酒を飲み、詩を作る、かなり豪快な旅だったよう
    ですが、高適は二人の話を聞くうちに刺激を受けたらしく、一念発起して勉強
    を始めます。それで四十代終わりに科挙に合格しました。

    ──けっこう晩年型ですよね。何かしら、二人にインスパイアされたんでしょうか。

    もともと彼は〝天下社会のため〟という心意気を強く持っていた人で、それを
    任侠の生活の中で発散させていた、それがこの二人と出会うことによってますます
    鞏固なものになり、官職を目指すに至ったんでしょう。それで見事及第して
    〝いよいよこれからだ〟と思っていた所に立ちはだかったのが、あの李林甫なんです。

    ──え?! あの悪役がここでも登場ですか!

    李林甫は科挙出身の教養ある書生型の人がよほど嫌いなのか、高適に正当な官職を
    与えず、低い官職につけました。しばらくすると、高適はその職を自らなげうって
    放浪の生活に戻りますが、やがて名将軍の哥舒翰に認められ、西域方面で勤務する
    ことになります。/・・・
     
本書の「六、辺塞詩の名手たち」の「気骨と慷慨の人──高適」という節からの引用(255~256頁)
だけど(聞き手は江原正士)、面白いし、勉強になる(⌒~⌒) ただ、高適が「科挙に合格」(本書
265頁にも「高適が科挙に合格した直後ですが、・・・」とある)とある点がチト気になる(@_@;)

高適について、渡部英喜『漢詩歳時記』(新潮選書,1992)は「・・・有道科に及第。」とするが、
松浦友久『中国詩選 三 唐詩』(社会思想社現代教養文庫,1972)や同『唐詩の旅 黄河篇』(同,
1980)はともに「有道科に推挙され、・・・」とし、駒田信二『漢詩名句 はなしの話』(文春文庫,
1982)も〈・・・有能な士を官吏に登用する「有道科」に挙げられて・・・」と紹介してる(@_@;)
「有道科」というのは知らぬが、「科挙」なら自薦で、「推挙され」「挙げられて」は他薦(@_@;)

本書とは無関係なんだけど、この高適の「有道科」についてネット上で質問している方がいて(⇒
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13235405453?__ysp=5pyJ6YGT56eR )、
shangxinyuemuという方が植木久行の紀要論文「唐代詩人新疑年録(1)」に「高適が・・・有道科
(制挙の一種)に及第し、すぐさま封丘の尉に任ぜられた」とあって、注で〈有道科は、毎年、春に
行われる常科[ ← 科挙のことを意味する]よりも評価の高い、天子自ら主宰する「制挙」(制科)
の一種であるらしい。〉と説明されていること等を紹介・回答されてて、非常に勉強になったm(__)m
そうは言っても、問題(小生の疑問)は全く解決していないんだけどね〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ