赤川次郎を2冊ほど読んだことは、我が読書人生の汚点ということになるのかなエッ(゚Д゚≡゚Д゚)マジ?

【読んだ雑誌】

ノーサイド1996年3月号所蔵誌

小林信彦『本は寝ころんで』(文春文庫,1997)が「・・・浅田彰のツッコミが痛快、まるでインテリ
版〈噂の真相〉で、笑ってしまった。」と評していた、リテレール創刊号(1992年夏号)の浅田彰&
高橋源一郎の対談「批評の現在」の一部を原文ママで引く(^_^;)

    浅田 ・・・『ラストエンペラー』だって何ですか、あの回想シーンから始まる恥かしい
       筋立て! だからまず普通の映画批評が出るべきなのよ、基本的なレヴェルのが。
       その次に、淀川長治なら淀川長治が、『ラストエンペラー』は歴史とは何の関係も
       ない映画で、巨大な空間にほっぽり出された幼児を描いたものだって言えばいい。
       私自身もその昔、淀川家で実母と引き離されて育ったからよくわかる、とかって
       ……。(笑)

    高橋 それはいいんだよ。

    浅田 そう、すごくいいの。でも、ベースがないところで、そんな批評だけやってたら
       駄目ですよ。何かえらく正統的な話になってきて困っちゃうけど。(笑)

    高橋 しようがないよね、今日は編集長の陰謀によって、われわれは啓蒙派の親玉として
       振るまう役なんだから。(笑)

    浅田 新教養主義!(笑)

    高橋 岩波文庫を読めとかって言ったりしてね(笑)。でも、これは半分ぐらい本気も
       あるんだよね。自分がこんなこと言うようになるとは夢にも思わなかったけどさあ、
       岩波文庫を読めなんて。(笑)

    浅田 そう。

    高橋 『共産党宣言』を読めとかね、★一つだからとか。(笑)

    浅田 また、岩波書店も、赤川次郎なんかで「若者」に媚びたつもりになったり、
       『よむ』なんていうゴミみたいな雑誌を出したりするより、岩波文庫の品揃え
       さえちゃんとやっとけばいいの。他の文庫も同じ。とにかく近頃の人は老いも
       若きもヘンリー・ミラー一冊、読んでないんだもの。ヘンリー・ミラーを
       読まずにものを書くなって言いたいね。

    高橋 セックスについて何か書く時に、あらゆるセックス小説を読めとは言わないけど、
       ミラーとD・H・ロレンスくらいは一応古典ですから参考にして下さいって(笑)、
       あれだったら一日あれば読めますからなんて、恥ずかしくて書けないよな(笑)。
       でも実際にはそう言いたくなっちゃう作品多いしなあ。

この先では「それにしてもわれわれは啓蒙家になってしまいましたねえ。(笑)」、〈「前衛」の筈
だったのに。(笑)〉といった浅田彰の発言が更に笑いを誘うけど、新岩波文化人による赤川次郎の
評価はこんなもんだったなと、本誌本号の特集「ベストセラー再読」の中の井上ひさし&出久根達郎
&坪内祐三による座談会「ベストセラーはあとから読むのが面白い」を読んでたら思い出したので、
同座談会からも当該件を引いておく(原文ママ)(^_^;)

    出久根 最近の小説って、形容詞が非常に少なくなってきてますものね。昔は小説って
        いえば形容詞にこそ頭をひねったもんですが。

    坪内  あと、風景や自然描写もない。僕は週に一回短大生を教えているんですけど、
        卒論が「アン アン」や赤川次郎についてだったりする。赤川次郎のどこが
        好きかと聞くと、読みやすいと言うんです。たとえば手術するシーンは、昔は
        手術室がどうのこうの、医者の白衣がどうのと、周囲を描写して段取りを書いて、
        そうやって読者に臨場感を与えていくわけですけど、赤川次郎はいきなり
        「じゃあ手術だ」っていうんです。医師が手術をした、手術は成功だ、と。
        そこに細かな描写はなくて粗筋があるだけなんだけど、二十歳ぐらいの読者には
        その方が読みやすいらしい。情報があるとかえって混乱してしまうんですね。
        情報誌の場合でも『ぴあ』より『Tokyo Walker』の方が圧倒的人気です。
        『ぴあ』は情報が多過ぎると。

学生の頃は若気の至りで年間に何冊読破できるか挑戦してて、赤川次郎のミステリー小説も文庫本で
新品を2冊ほど試しに買って読んでみたことが(^_^;) たしかに読み易かったけど、毒にも薬にもなら
ない作品だなぁと思ったことも憶えてる(^_^;) もし時間が有り余ってたとしても・・・かな(^_^;)