ブックオフに目当ての本あるも110円じゃないからスルー(´・_・`) 大人の階段上った( ̄ヘ ̄)y-゚゚゚

【読んだ本】

元木泰雄『河内源氏 頼朝を生んだ武士本流』(中公新書,2011)

wikiの「平忠常の乱」の項から引くが、「実資は陣定において、頼信を推薦」の典拠は何だ(@_@;)

    ・・・/事件の報は朝廷に伝えられ追討使として源頼信・平正輔・平直方・中原成通が
    候補にあがった。右大臣・藤原実資は陣定において、頼信を推薦した。頼信は常陸介
    在任中に忠常を臣従させており、事態の穏便な解決のためには最適と考えられた。
    他の公卿も同調するが、後一条天皇の裁可により検非違使右衛門少尉・平直方と
    検非違使左衛門少志・中原成道が追討使に任じられた。直方を追討使に抜擢したのは、
    関白・藤原頼通だった。・・・

倉本一宏編『現代語訳 小右記15 道長薨去』(吉川弘文館,2022)の巻頭の「本巻の政治情勢と実資」
という内容紹介&簡単な解説に「道長の死後半年を経た長元元年(一〇二八)六月、東国で平忠常の
乱が勃発した。」(本書15頁)とあるけれど、同書には上記の「陣定」の条は見当たらない(@_@;)
国際日本文化研究センターの「摂関期古記録データベース」で検索すると、『小記目録』の長元元年
(1028年)6月21日条に「二十一日。忠常を追討する使の陣定の事〈頼信・正輔・直方・成通等。〉」
とあるだけで、あとは源経頼の日記『左経記』の同日条に次の件があった(@_@;)

     二十一日、甲申。

    内に参る。右大臣・内大臣・中宮両大夫・権大納言・左衛門督・源中納言・
    春宮権大夫・左右兵衛督・左宰相中将・新宰相等、参入す。左仗に於いて、
    下野に居住する平忠経等を追討すべき人々、上達部の申す伊勢前守頼信朝臣、
    事に堪ふる由を定め奏す。「而るに右衛門尉平朝臣直方・志中原成通等
    〈共に検非違使。〉を以て遣はすべき由を仰す。右大弁、勅を奉りて伝宣す。
    則ち史に仰す」と云々。・・・

「頼信を推薦」したのは「右大臣」実資だけでなく「内大臣」藤原教通等も含む「上達部」(@_@;)

元木泰雄も本書の33頁で〈・・・/この時、右大臣藤原実資以下の公卿たちは、追討使の候補として
前伊勢守源頼信、検非違使平直方、同中原成通、平正輔らの名を挙げて審議した。・・・公卿たちは
頼信を「事に堪ふる」(追討使を担当する能力がある)として推挙するに至った。・・・〉と記して
おり、出典(『左経記』からだろうけど)を明記しないのは良くないが、実資だけが「頼信を推薦」
とは解してない(@_@;) 朧谷寿『清和源氏』(教育社歴史新書,1984)も、『左経記』の上記の条を
引用した上で、「これによれば源頼信を追討使にという声が強かったようであるが、・・・」と記し
ており、実資だけが「頼信を推薦」したとは解してない(@_@;) 上記のwikiの「平忠常の乱」の項の
筆者が実資推しか、実資推しの歴史書の記述の引き写しか、どちらにしてもミスリードかと(@_@;)