いくら「革命」を志していたとしても吊るし上げをして自己批判させようとするのはねヒィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ
その夜、一年前に発覚し社会に衝撃を与えた連合赤軍事件の惨劇が脳裏をかすめなかったのか(@_@;)

【読んだ本】

萩尾望都『一度きりの大泉の話』(河出書房新社,2021)

    前書き(そもそものきっかけ)

    1 出会いのこと──1969年~1970年

     大牟田から高校卒業まで/増山法恵さんと知り合う/
     『なかよし』でデビュー。 竹宮惠子先生にお会いしました/
     「私は名前を出さないの」 増山さんの『ヴィレンツ物語』と落とし穴/
     『ケーキ ケーキ ケーキ』を描く/
     月刊誌『COM』岡田史子さん カフカ ヘッセ 本の話/

    2 大泉の始まり──1970年10月

     三島由紀夫事件

    3 竹宮惠子先生のこと

     美人で明るくて親切で才女

    4 増山さんと「少年愛」

     「漫画は競争しなくていい」/増山さんと「少年愛」 『雪と星と天使と…』/
     『雪の子』の実験/増山さんの指導と評価/佐藤史生さん大泉に来る/

    5 『悲しみの天使(寄宿舎)』

     映画『if もしも…』/映画『悲しみの天使(寄宿舎)』/
     学校はその空間がすでにサスペンス/山岸涼子先生 大泉に来る/
     竹宮先生のクロッキーブックに描かれた『風と木の詩』/

    6 『11月のギムナジウム』

     『小夜の縫うゆかた』/
     『11月のギムナジウム』 1971年8月頃 女子校、男子校のバージョン/
     レイモン(レーモン)・ラディゲの小説の『肉体の悪魔』/
     『ポーの一族』のキャラクターの構想/

    7 1971年~1972年 ささやななえこさんを訪ねる

     山岸涼子先生のアシスタントに行く/池田いくみさん 大泉に来る/
     城章子さん 大泉に来る/『あそび玉』を描く──史生さんとSF/
     「お前なんか、もういらねえよ」/北海道・野幌~芦別市 ささやななえこさんを訪ねる/

    8 1972年『ポーの一族』

     ささやななえこさん、山田ミネコさん、大泉に来る/
     『ポーの一族』を描き始める/城章子さん 再び大泉に来る/

    9 海外旅行 1972年9月

     ヨーロッパへ行ってみました/子猫を拾う 1971年秋/池田いくみさんの帰郷/

    10 下井草の話 1972年11月末~1973年4月末頃

     引っ越しました

    11 『小鳥の巣』を描く 1973年2月~3月

     夜、マンションに呼ばれる/貧血で倒れる/心因性視覚障害とグルグル回り/
     何年も経って/

    12 緑深い田舎

    13 引っ越し当日 1973年5月末頃

    14 田舎と英国 1973年

     洞爺湖へ池田いくみさんを訪ねました/英国ブライトンへ/

    萩尾望都(作画)イケダ イクミ イン・ホッカイドー(原作)「ハワードさんの新聞広告」

    15 帰国 1974年

    16 『トーマの心臓』連載 1974年

    17 『ポーの一族』第1巻 1974年

    18 オリジナルであろうと、原作ものであろうと

    19 アシスタントをお断りした話

    20 城章子さん、怒る 1975年

     山田のネコちゃんへのメール

    21 ──嫉妬──「少女漫画革命」に邪魔な存在とは?

    22 排他的独占愛

    23 鐘を鳴らす人

    24 BLの時代

    25 それから時が過ぎる 1974年~2017年

     『百億の昼と千億の夜』/『あぶない壇ノ浦』/スタジオライフの『トーマの心臓』/

    26 1974年~2017年の大きな出来事は

     モスクワの交通事故/母が改心する/山岸涼子先生、イタコになる/

    27 佐藤史生さんの幸福な時間

    28 大泉サロン? 知りませんが。

     1 戦後から1966~1967年あたりまで
     2 1967年~
     3 1972年 乙女チックラブロマンス

    29 お付き合いがありません

     読みましたか? いいえ。──外部からのアプローチ/懐かしくはありません/
     時は過ぎ行き、二度と戻ることはない/

    後書き(静かに暮らすために)

     「覆水盆に返らず」

    城章子「萩尾望都が萩尾望都であるために」

     大泉への三度の訪問/萩尾先生の変調/当時を知る人間として マネージャーとして/

読了(^o^)丿 二次被害が無くなりますよーに(;_;) 上梓理由が理由なだけに、そして、被害者の手記
ゆえ重い内容になるわけだが、だからこそか、元テキストがインタヴュー形式だったからか、随所に
笑い話を入れてくるので、(本書の主題に関わるもの以外の)思い出話はメチャ面白く読めた(^_^;)
例えば、本書293頁から(^_^;)

    ・・・12月から1月にかけてモスクワやレニングラードをめぐるバレエ、オペラ、
    コンサートの観劇ツアーがあったのです。それにお誘いを受けて一度ツアーに参加
    したら、その素晴しさに感動し、1980年、81年、82年と観劇に行ったのでした。
    81年のツアーは美内[すずえ]先生と先生の担当編集者も参加しました。みんな
    独身だったので、「独身おばさんトリオで毎年来ようね」と言ってたのですが、
    美内先生も女性担当も、その後ベターハーフを見つけて結婚。あの約束は何?/・・・

『ポーの一族』も面白いけど『トーマの心臓』の方が傑作と思う小生、「別冊少女コミック」編集者
(飯田吉明)から1~2年連載可能な長篇をと依頼されて始まった『トーマの心臓』だが、連載1回目の
アンケートが最下位で「連載をやめてくれ」と飯田吉明から言われてしまい、せめて一ヶ月は様子を
見ていただけませんか?と必死に説得し了解してもらったという話は驚いたし興味深かった( ̄◇ ̄;)
んで、本書222~223頁(^_^;)

    ・・・/私は木原敏江先生宅に駆け込み、「先生、アンケートが最下位なの、
    打ち切られそうなの、どうしたらアンケートって上がるの?」と泣きつきました。
    『マーガレット』のメイン作家で常にアンケート上位の木原敏江先生です。
    こんなこと聞いてすみません!/でも木原先生は慌てず騒がず、「少女漫画は
    華やかにかっこよく描くといいと思う」/「どうしたら華やかになるの?」/
    「えーとね、まずドーンと主役のかっこいいアップを描くのよ。それから主人公を
    引き立たせる美しい花を描けば、もっと画面が華やかになるわ。私は今のモーサマ
    の絵も好きだけど」/な、なるほど。花とアップ。/「お顔も明るく晴れやかに。
    まつげも魅力的に描くのよ」/ま、まつげ。木原先生のまつげは力強い。あんなに
    力強く描けるだろうか。/「わかったわ、ありがとう、頑張ります」/

    /まつげはなかなかうまく描けませんが、美しい花なら、植物図鑑を見て、この花
    美しいなあと描くと、[手伝いに来ていた]城(章子)さんが「何、その葉っぱ」
    「え、花と葉っぱだけど。主人公を引き立たせる美しい花のつもりで」「センセ。
    それ、なんの花?」「ええと、空木[うつぎ]かな?」「そんな地味な花描いて、
    全然引き立たない」「ええ~~」/これでまた最下位間違いない。とほほ。/
    という見当違いの努力をしながら、なんとか最下位脱出を目指して原稿を描いて
    いました。/・・・

だが、『ポーの一族』の単行本第1巻が発売されて初版3万部が3日で売り切れたということで、〈編集
会議では「アンケートの取れない『トーマの心臓』をすぐ終わらせて『ポーの一族』を再連載させろ
という意見が出ました。〉と本書232~233頁にもあるし、『トーマの心臓』のアンケート結果は依然
として芳しくなかったようで「見当違いの努力」が続いたか(^_^;) 「実は『ポーの一族』は連載中は
ほんとに評判が悪くて、エドガーという主人公も、怖い、冷たいと、なかなか少女の読者には好きに
なってもらえませんでした(たしかに冷たいですもんね)。」と本書233頁にあるし、雑誌と単行本で
読者が違うのかな(@_@;) 代表作とされる両作品が連載中に評判が悪かったことは、芸術新潮2019年
7月号の画業50周年大特集「萩尾望都 少女マンガの神が語る、作画のひみつ」の「忘れがたき編集者
との出会い」でも語られてて(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-11-10 )、
〈「ルパン三世」「宇宙戦艦ヤマト」「機動戦士ガンダム」などといった超人気アニメの一番最初の
TVシリーズの視聴率が低迷した原因(裏に人気番組あるいは視聴層には内容が難解といった放送時間帯
やターゲットの選択ミス)ははっきりしてるが、「ポーの一族」の連載時の不評は何故だろ(@_@;)〉
と書いたが、他の漫画家の連載作品は雑誌読者層にマッチして人気が取れたということかな(@_@;)
本書を読了して(山岸涼子は読んでたけど)木原敏江と佐藤史生の作品を読んでみたくなった(^_^;)
大昔、「プチフラワー」を購読していた頃、掲載されていたはずなのに、読んだ記憶が無い(@_@;)
同誌掲載の読み切りの短篇を気に入って、その単行本を即購入したのは、西炯子と上杉可南子(^_^;)