読書の厄介なところは、「芥川の再来」が芥川賞候補作にもならぬことである〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)

【読んだ本】

新潮社編『歴史小説の世紀 地の巻』(新潮文庫,2000)

面白い小説を読みたいので、選書の指針にと百目鬼恭三郎『現代の作家一〇一人』(新潮社,1975)を
パラパラ読んでると、ある作家の作品に目が留まった(^o^)丿

    ・・・彼の出世作「冥府山水図」は、発表当時、「芥川の再来」といった絶賛を
    浴びたのであり、・・・/・・・/・・・初期の作風は、芥川龍之介・中島敦の
    系統に属する物語性の強いものであった。たとえば、「冥府山水図」は、芥川の
    「秋山図」とバルザックの「知られざる傑作」をあわせたような中世中国の画人の
    物語だし、・・・/が、まもなく、・・・現代の小市民のいじましい日常を描く
    小説に方向転換してしまった。/龍之介・敦風の物語は、深い学識と、それを
    支えるつよい文体を必要とする。おそらくは、若い三浦には重荷に過ぎたのだろう。
    ・・・

過度の期待は良くないと思いつつ、本書所収の三浦朱門「冥府山水図」を読んでみたけど、たしかに
面白い作品で、読ませるヤッタネ!!(v゚ー゚)ハ(゚▽゚v)ィェーィ♪ ただ、ラストは「小市民」を描くという後年の
三浦朱門の萌芽のようで、余韻は無い(^_^;) 本書巻末の「歴史小説から日本人を考える」と題された
座談会(秋山駿&勝又浩&曾根博義&縄田一男)による評は参考になる(本書792~793頁)(⌒~⌒)

    勝又 次の三浦朱門『冥府山水図』だけれど、これもまた超真面目なクチだね。ただ、
       芸術と人生という問題を真正面からやってて、非常に好感がもてる。

    縄田 僕もとても面白く読みました。まず、理想と現実があり、それを止揚するもの
       として芸術があって、さらにそれを朽ちさせるものとして時間があるという設定。
       そして主人公の恐れは、止揚されて真実に近づくことへの恐れみたいな……。

    勝又 芸術は自然を超えられるかとか、われわれは時というやつの下職なんだという
       ようなところが、何か後の三浦さんにまでずっと通ずるものがある。

    曾根 中心のテーマは自然と芸術、どちらがすぐれてるかということでしょう。
       ところが最後になって時間というものが入ってくる。それでちょっとわかりにくく
       なってくるけど、その分ふくらみが出る。

    秋山 さっきから歴史に真面目という話が出てきているけれど、これは珍しいんだよ、
       芸術に真面目なんだ。さすが第三の新人、芸術か思想か、芸術か社会かですよ。
       私小説家とは違った意味で、ちゃんと芸術なんだ。私もこれを書かれた時に読んで、
       いいなと思ったな。

本書472頁の作者紹介に〈・・・『画鬼』を改題した本篇が「展望」に転載され、注目を浴びる。〉と
あるし、〈1950年第17次『新思潮』に参加し、1951年の「冥府山水図」で「芥川の再来」と呼ばれ、
1952年「斧と馬丁」で芥川賞候補となり、作家活動に入る。〉云々とwikiにも「芥川の再来」とある
のに、この作品は芥川賞の候補作にすら選ばれてない(@_@;) 本書493頁に「(昭和二十六年九月号
「展望」発表)」と記されてるので、第26回芥川賞の対象になるはずだけど、『芥川賞全集 第四巻』
(文藝春秋,1982)で確認しても候補作にはなってないし、同書巻末の「芥川賞選評(第26回)」でも
銓衡委員は誰も言及してなかった(@_@;) ちなみに、候補作でなくても選評で取り上げられることが
あって、この回も銓衡委員の坂口安吾が、〈これは候補作品ではありませんが安岡章太郎氏(前回の
候補作「ガラスの靴」の作者)の作品が二ツ目にとまったので読みましたが、小品ながら、どちらも
筋の通ったものだと思いました。前作一ツの場合とちがって、三ツ並べてみると、安心のできる作者
だと思いましたが、「宿題」(文學界二月号)も特に力作、傑作というわけではないので、強いて
芥川賞にスイセンしたいとは思いません。〉と選評の最後で述べてる(^_^;) なお、「宿題」は第27回
芥川賞の候補作となるも落選(三浦朱門の「斧と馬丁」も候補作に)(^_^;) かつて芥川龍之介も参加
してた「新思潮」に三浦朱門も参加してたので「芥川の再来」と呼ばれた(だけな)のかな(@_@;)