読書の厄介なところは、もしかしたら美魔女の可能性があることである〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

    ・・・/クレオパトラはオクタヴィアヌスを訪ねて、エジプト王国保全の道を
    探ろうとした。オクタヴィアヌスはそれをことわり、エジプト女王に敬意を
    表するために自分のほうから出向く、と答えた。そして、オクタヴィアヌスは
    来たが儀礼的な挨拶を述べたにとどまった。三十九歳のクレオパトラは、
    かつてカエサルとアントニウスの心を捉えたころの色香を失っていた。・・・

酒井傳六『古代女王ものがたり』(文春文庫,1986)によると、美魔女ではなかったのかなぁ(@_@;)

【読んだ本】

森本茂『大和物語の考証的研究』(和泉書院研究叢書,1990)所蔵本

『平中物語』の第9段は男と女の歌の遣り取りが続くが、最後の2首が『大和物語』の第46段にあり、
女は「閑院の御」であることが判る(男はモチ平中こと平貞文である)(^^) 気になるのは、清水好子
(校注・訳)『平中物語』(片桐洋一&福井貞助&高橋正治&清水好子[校注・訳]『新編日本古典
文学全集12 竹取物語 伊勢物語 大和物語 平中物語』[小学館,1994]所収)が、贈答歌の途中の1首
「いまよりは富士の煙もよにたえじ燃ゆる思ひの胸にたえねば」に次の頭注を付してること(@_@;)

    富士山は、当時噴煙していた。「思ひ」の「ひ」に「火」を掛ける。

『源氏物語』でもそうだけど(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-04-06 )、
富士山が「当時噴煙していた」とする根拠はあるのかな(@_@;) 森本茂は本書の「第一章 大和物語
の人物考証」の「第二節 閑院の御」において次のように述べている(@_@;)

    ・・・閑院の御と交渉のあったこれらの人々の生存年代から推定すると、閑院の御は
    延喜前半のころ(九〇一~九一〇)が女盛りであったようで、『古今和歌集目録』に
    いう「延喜頃之人」は信じてよかろうと思う。逆算すると、元慶年間(八七七~八五)
    のころの生れと考えられる。/・・・

閑院の御が「女盛り」だった「延喜前半」に執筆された『古今和歌集』の仮名序には、今や富士山は
噴煙を出してないとあるので(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-04-05 )、
清水好子の頭注は何か裏付けがあってのものなのか気になった次第である(@_@;)

本書は「閑院の御と交渉のあったこれらの人々」の一人として平中を挙げ、次のように記す(@_@;)

    ・・・『大和物語』の第四十六段にみえる平貞文(平中)は、・・・などの説があるが、
    萩谷朴氏が『平中全講』の平中伝記で考証されたのによれば、延長元年(九二三)に
    五十歳ないし五十六歳で没し、生年は貞観十年(八六六)ないし十六(八七四)のころ
    であろうといわれる。/・・・

でも、萩谷朴『平中全講』(同朋舎,1959初版→1978復刊)の第9段の「評」(評論)には次のように
記されてるのだが、疲労困憊でぼんやり頭痛もするので吟味・検討する余裕はナシオン主権(@_@;)

    女の方からまず歌を贈るということも非常なことであるが、その内容といい、
    如何にも年長の女が、若い男性に誘いかける実態がよく知られる。

[追記210502]

疲れてて引用すべきとこを間違えた(ノ_-;)ハア… 萩谷朴・前掲書の「証」(考証)にこうある(@_@;)

    ・・・ともかく、「閑院の御」とは、藤原忠房・源昇・貞文等と交渉のあった女性で、
    貞文よりは却って年長であったと考えられる。・・・