読書の厄介なところは、〈馬脚を露わす〉を実感させられるような本である〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)
東京都シガンシナ区住民としては各施設が緊急事態宣言にどう対応するのかを早く知りたい(@_@;)
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全て「取得できませんでした」と表示されるようになったので更新されても分からぬ(´;ω;`)ウッ…

【読んだ本(バカチン)】

坂井孝一『源実朝 「東国王権」を夢見た将軍』(講談社選書メチエ,2014)

源実朝の辞世と思われてる歌(中西進『辞世のことば』[中公新書,1986]等)が『吾妻鏡』に出てて
(ただ、偽作説もある)、五味文彦&本郷和人(編)『現代語訳 吾妻鏡8 承久の乱』(吉川弘文館,
2010)の注71が『拾遺和歌集』の菅原道真の有名な歌「などを本歌とする」と記していたので(同書
207頁)、むしろ式子内親王の『新古今和歌集』入集歌にそっくりであること、また源実朝の和歌の師
である藤原定家による本歌取りのルールにも違反しているから本歌取りとは言えないこと等を以前に
指摘した(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2017-11-05 )オホホホ( ^^)/~~~~ ピシッ!

    東風吹かば にほひおこせよ 梅の花 主[あるじ]なしとて 春を忘るな(菅原道真)

    ながめつる けふは昔に なりぬとも 軒端の梅は われを忘るな(式子内親王)

    出ていなば 主[ぬし]なき宿と なりぬとも 軒端の梅よ 春を忘るな(源実朝?)

この実朝の辞世とされる歌、実は在原業平、藤原清正、式子内親王、菅原道真の4首のコラージュ和歌
に過ぎなかったけどね(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-04-22 )(^_^;)

ところが、坂井孝一の『源氏将軍断絶 なぜ頼朝の血は三代で途絶えたか』(PHP新書,2021)の記述
には顔を顰めてしまったけど(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-04-15 )、
本書261~262頁の実朝の辞世と言われてる歌についての論評には呆れてしまったエッ(゚Д゚≡゚Д゚)マジ?

    ・・・/「軒端の梅」といえば、『新古今』時代の女流歌人、式子内親王の詠歌
    「ながめつる 今日は昔に なりぬとも 軒端の梅は われを忘るな」(『新古今』
    「春歌上」部五二歌)に思いいたる。しかし、「ながめつる」詠は菅原道真の
    著名な和歌「東風吹かば にほひおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春を忘るな」
    (『拾遺』「雑春」)を意識して詠まれた歌でもある。道真の「東風吹かば」詠は、
    結句が「春を忘るな」である点、梅の花に語りかけている点、主がいないとしている
    点で、「出でていなば」詠により近似している。/・・・

式子内親王の「ながめつる」の歌は「梅の花に語りかけてい」ないだと∑( ̄ロ ̄|||)ニャンだと!?

手元の各注釈書の訳を引くけど、「梅の花に語りかけている」じゃんヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!

石田吉貞『新古今和歌集全註解』(有精堂,1960)

    こうやって、つくず[ママ]くと物思いをしながらお前をながめた今日は昔となってしまい、
    私は死んでしまっても、軒端の梅よ、お前だけは私を忘れてくれるなよ

窪田空穂『完本新古今和歌集評釈』上巻(東京堂出版,1964)

    嘆きをもって向かっていた今日という日は昔となり、我は故人となっても、
    人は忘れようとも、汝軒端の梅は我を忘れるなよ。

久保田淳(校注)『新潮日本古典集成 新古今和歌集 上』(新潮社,1979)

    わたしはじっと物思いに沈みながら軒端の梅を見つめている。わたしが死んで
    この今日という日が昔のことになり、人は忘れてしまっても、
    梅はわたしを忘れないでおくれ。

田中裕&赤瀬信吾(校注)『新日本古典文学大系11 新古今和歌集』(岩波書店,1992)

    じっと見入っている今日は昔になってしまうとしても、軒端の梅は私を忘れずに
    また来年は咲いておくれ。

峯村文人(校注・訳)『新編日本古典文学全集 43 新古今和歌集』(小学館,1995)

    物思いをしながら見入っていた今日という日は、わたしが亡くなって昔になって
    しまっても、軒端の梅の花だけは、わたしを忘れてくれるな。

久保田淳(訳注)『新古今和歌集 上』(角川ソフィア文庫,2007初版)

    じっともの思いにふけりながら見つめている今日は昔のことになってしまっても、
    軒端の梅はわたしのことを忘れないでおくれ。

久保田淳『新古今和歌集全注釈 一』(角川学芸出版,2011)

    じっともの思いにふけりながら見つめている今日は昔のことになってしまっても、
    軒端の梅はわたしのことを忘れないでおくれ。

「ながめつる」の語釈で久保田・全注釈が「見つめていたものは軒端の梅である」と指摘するように
(峯村、窪田、石田の各語釈も同旨だし、久保田・集成の訳も上記の通り)、この式子内親王の歌は
「梅の花に語りかけている」以外になく、坂井孝一は和歌の読解力に難ありオホホホ( ^^)/~~~~ ピシッ!