「この本は現在お取り扱いできません。」だと∑( ̄ロ ̄|||)ニャンですと!?毎日Amazonチェックして
昨日もあったし今朝ギフト券1000円獲得の目処が付いたのに(ノ;ω;)ノ ~┻┻ (/o\) ミドリン ナカナイデー!!

【読んだ本】

伊藤梅宇(著)亀井伸明(校訂)『見聞談叢』(岩波文庫,1940)所蔵本

本書の第四巻の353「藤原恒子、不開の門」を再引用(漢字は新字体で)〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

    花山院即位の時より、関白頼忠の女と為平親王の女と大納言藤原為光の女恒子を
    召して、弘徽殿において女御とす。其恒子を愛、三人の女御はあれどもなきがごとし。
    恒子病で死。帝悲傷甚しく、狂疾の様になり玉ひ、出家の志出来、藤原道兼、僧巖久を
    御供に召して、寛和二年六月二十二日の夜貞観殿の小門よりしのび出て、花山寺にて
    僧となる。御年十九、安倍晴明何心もなく、庭に出でゝ天象を見、天子退位をさるべき
    象ありと。をどろき急に内へ参りければ、帝既にのがれ出で給へり。それより後に
    貞観殿の御門を不開[あかず]の門と名けてひらかずと云ふ。

先日は次の如く記した(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-01-13 )(´・_・`)

    ・・・そもそも「貞観殿の小門」を「不開の門」と言うのか未確認だけど
    (wikiの「偉鑒門」の項には〈「玄武門」「不開門(あかずのもん)」とも
    呼ばれた(『掌中歴』)。花山天皇が出家した際にここから出てたことから
    門を閉め以後開かれなくなったか、と『拾芥抄』にある。〉とある)、・・・

第三巻の233「大内裏總郭御門」に絶句(一部の漢字は新字体で)∑( ̄ロ ̄|||)ニャンじゃそりゃ!?

    ▲東門四つ 上東門 陽明門 待賢門 郁芳門 ▲南門三つ 美福門 朱雀門 皇嘉門
    ▲西門四つ 談天門 藻壁門 殷富門 上西門 ▲北門三つ 安嘉門 偉鑒門 達智門
     拾芥鈔に曰、上西門上東門の舊名を西曾廂門東曾廂門と云ふ。偉鑒門の舊名玄武門と
    云ふ。俗にこれをあけずの門と云ふ。花山法皇出家の時この門より出で給ふ。その不開
    と云ふ。

巻末「索引」に立項されてる「八代集」も、第四巻の366「和歌所」の方では正しい説明だったけど、
同じ第四巻の301「三代集、八代集、二十一代集」の方は「古今、後撰、拾遺(これを三代集と云ふ)
後拾遺 金葉 詞華[ママ] 千載 後花園院の飛鳥井中納言雅世の奉覧せられし新續古今集をあわ
せて八代集と云ふ。その後、後堀河院の時、藤原定家新勅撰を撰し玉ひ、後嵯峨院の時、院宣にて、
藤原爲家、續後撰を撰し玉ひ、・・・後圓融の勅にて、藤原爲藤、藤原爲重、新後拾遺を撰、合せて
二十一代集とす。」となってるぞ( ̄◇ ̄;) 新古今集が欠落してる上に、21番目の勅撰和歌集である
新続古今集を下命した「後花園院」は室町中期だから歴史感覚がちょっと変かと(@_@;) もしかして
書写した人が新続古今集の件の場所を間違えたか?と思ったら、本書の底本は自筆本ヒィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ
同じ書物に同一事項に関する正確な記述と不正確な記述がフツーに同居とは、頭が悪いのか(@_@;)
言わば江戸時代のwiki?まとめサイト?のような本書、披く度に間違いが見付かるのも一興か(^_^;)