図書館の本も書店で貰った紙カヴァーを付けて読んでるが(コロナ対策的にも良さ気)、欠点があり、
どんな表紙カヴァーだったか印象が薄くなって、既に読了済のを間違えて再び借りてしまう(-ω-、)
今週借りて来た本、「また、つまらぬ物を読んでしまったorz」に出てた(ノ ̄皿 ̄)ノムダアシ!┫:・

【読んだ本】

倉本一宏編『現代語訳 小右記4 敦成親王誕生』(吉川弘文館,2017)

倉本一宏(全現代語訳)『藤原道長「御堂関白記」(上)』(講談社学術文庫,2009)、高かったが、
つまんね(-ω-、) 小生側のレディネスの問題かもしらんが(´ヘ`;) 途中までしか読んでないけど、
「作文会[さくもんかい]」が多い印象(@_@;) 巻末の「用語解説」には次のようにある(´・_・`)

    散文である「筆」に対して、詩や賦などの韻文である漢詩を作る会合。

倉本一宏(日本歴史学会編集)『一条天皇』(吉川弘文館人物叢書,2003新装版)が研究紹介(´・_・`)

    ・・・/本間洋一氏によると、一条は村上天皇と並んで、王朝句題詩が形成され
    盛行する時期にあたり、詩文の興隆に大きく寄与したとのことである(「『類題
    古詩』(類聚句題抄)研究覚書」)。たしかに、一条はしばしば内裏において
    作文会を主催し、道長と並んで、王朝文化の外護者としての側面を持っていた。
    飯沼清子氏の集計によると、一条朝二十五年間に内裏において開かれた作文会は
    四十六回、特に長保・寛弘年間に四十四回で、道長邸で開かれた三十九回を
    上まわっている(「平安時代中期における作文の実態」)。/・・・

上には上がいるわけだが、藤原道長邸における寛弘2年(1005年)の作文会での出来事を(『小右記』
の同年3月29日条に〈・・・「左府に於いて作文有り。属文の卿相以下の文人、多く会す」と云々。〉
とあることが「摂関期古記録データベース」に)、本書3頁(同年4月)は次の如く記してる( ̄◇ ̄;)

     一日、戊寅。 作文会で伊周の詩に感涙/旬平座

    礼部[れいほう]納言(源俊賢)が伝え送って云ったことには、「昨日の作文会では、
    外帥[がいそち](藤原伊周)の詩は、句毎に感が有って、満座は涙を拭った。引出物
    〈「馬」ということだ。〉が有った」と。・・・

     二日、己卯。 道長・公任、和歌を贈答/河内国司申文

    前越後守朝臣(藤原尚賢)が云ったことには、「一昨日、左府(藤原道長)の作文会で、
    外帥の詩に述懐が有りました。上下の者は涕泣しました。主人(道長)感嘆しました。
    引出物が有りました。・・・

伊周の作品、知りたいよね(@_@;) ちなみに、前掲『一条天皇』は当時の状況を説明してる(´・_・`)

    ・・・/ところでこの頃、一条と道長は中関白家の復権に意を注いでいた。一条としては、
    中関白家を[中宮定子の子である]敦康[親王]の後見に相応しい立場に戻す必要を考えた
    のであろうし、道長としては、政権復帰の望みを絶った政敵に恨みを残されたくなかった
    のであろう。すでに長保四年(一〇〇二)に権中納言に復帰し(『公卿補任』)、この年の
    正月二十七日には除目の清書を奉仕していた隆家[伊周の弟]は、二月二十日には「左府の
    気色」によって勅授帯劒を聴されている。一方、一条は二十五日には宣旨を下して伊周の
    座次を、「大臣の下、大納言の上」と定めた。三月二十六日、伊周は昇殿を聴され、早速
    参内しているが、公卿社会の反応は、当然ながら冷ややかであった(『小右記』)。/・・・

こーゆー状況だったのに、伊周が作った詩に「満座は涙を拭った」「上下の者は涕泣しました。主人
(道長)感嘆しました。」というのだから、どんな作品だったのか知りたくなりませんかね(@_@;)
だけど、藤原実資は興味・関心が無いのか、その日記『小右記』には記録していないみたい(´ヘ`;)

こうなると、伊周の詩に「感嘆し」たとされる藤原道長の日記『御堂関白記』の出番ということで、
前掲『藤原道長「御堂関白記」(上)』を披いてみたキタ━━━━゚+.ヽ(≧▽≦)ノ.+゚━━━━!!!!

     二十九日、丁丑。 土御門第射儀/作文会

    巳剋の頃、帥(藤原伊周)が来た。土御門第の弓場殿において弓を射た。未剋から作文を
    行なった。題は、「花落ちて春、路に帰る」であった。

     一日、戊寅。

    辰剋の頃、人々は散会した。帥(藤原伊周)に引出物が有った。馬一疋であった。朝の間、
    小雨が降った。

倉本一宏(全現代語訳)『藤原道長「御堂関白記」(上)』(講談社学術文庫,2009)、つまんね(;_;)

[追記200830]

wikiの「藤原伊周」の項を見たら、「作品」として次の漢詩が出てたけど、題的にコレがそうかも(^^)

      題「花落春歸路」

     春歸不駐惜難禁 花落紛紛雲路深
     委地正應隨景去 任風便是趁蹤尋
     枝空嶺徼霞消色 粧脆溪閑鳥入音
     年月推遷齡漸老 餘生只有憶恩心

      — 本朝麗藻・巻上・春部、深を以て韻となす