世の無知に乗じれば売れるのよオホホホ( ^^)/~~~~ ピシッ! グラドルもムチムチが人気・・ヘ(__ヘ)☆\(^^;
勝つためには負け続けなさいオホホホ!!♪( ̄▽+ ̄*) 監督解任&一部コーチの2軍へ配置転換まで(-"-)

【読んだ本】

土田直鎮『日本の歴史5 王朝の貴族』(中公文庫,1973初版→2004改版)所蔵本

    此の世をば我世とぞ思ふ望月の 欠けたることもなしと思へば

土田直鎮は「技巧に走」らず「心情をきわめて率直明快に吐露し」た歌と解していたとはね( ̄◇ ̄;)

    ・・・/この望月の歌が、和歌としてどれほどの水準のものかは知らないが、これが
    道長の当時の心情をきわめて率直明快に吐露していることは確かである。高慢とか、
    不謹慎とか、文句はいくらでもつけられもしようが、万事に技巧に走り、小うるさかった
    当時に、これほどすなおに日本晴れの心境をあらわした和歌は珍しい。しかもこの歌は、
    道長の作としてのみ格調も高く、味わいもあるところに特色がある。/・・・

一流の歌学者・歌人の藤原清輔が歌学書『袋草紙』で「秀歌」としているのを「知らない」ようで、
その「技巧」も見落とすことなく現代語訳化している小沢正夫&後藤重郎&島津忠夫&樋口芳麻呂
『袋草紙注釈 上』(塙書房,1974)の通釈で引くオホホホ( ^^)/~~~~ ピシッ!

    ・・・/大体すぐれた歌に対して、それに劣るような返歌はしないのがしきたり
    なのである。つまらぬ返歌をするような連中は、恥辱としないのだろうか。/
    『小右記』にいう〔寛仁二年十月十六日威子が後一条天皇の中宮になられた条。
    威子は藤原道長の三女である〕、「前関白道長が盃を手にし、進み出て上座に
    すわった。摂政頼通がその座を退いたので、道長は右大臣公季に向かい、
    三四度の献酬ののち戯れて『右大将(実資)よ、盃を頼通に勧めてくれ』と
    いわれた。予は盃を執って頼通に勧め、頼通は公季に渡し、公季は道長に献じ、
    道長は公季に返した。かような順序で盃が返ると、道長が予を呼んで『和歌を
    よもうと思うがきっと返歌をしてくれ』といわれたので、予は『どうして返歌を
    申し上げないことがありましょう』と答えた。ふたたび道長は『私の自慢の歌だよ』
    といって、こうよまれた。

     ──この世は私の世、この夜[よ]も私の夜だ。もちづきはあのとおり欠けないし、
       さかずきは絶えずめぐっているし。

    予が『見事なお歌でございます。お返しのしようがありません』と申し上げたので、
    一座じゅうの者はひたすらこのお歌を誦した。それは元稹の『菊の詩』に白楽天が
    唱和することなく、深くこれを歎賞したようなものであった。終日道長の歌を吟詠し、
    公卿たちは彼に迎合した。予も数度吟詠したが、道長は満足して予の返歌しないことを
    特に責めなかった。深夜の月明のころ、各自は酔って退出した。」以上のことを
    今考えると、これが秀歌にはまずい返歌をしないということなのである。/

こーゆー解釈を山本淳子の創見の如くネットは伝えるが、彼女の論文は2018年オホホホ( ^^)/~~~~ ピシッ!

・「古今集に次ぐ勅撰和歌集である拾遺集」だとぉ!土田直鎮も無教養ヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2018-03-26

・土田直鎮『日本の歴史5 王朝の貴族』は『紫式部日記』を誤読してるヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-12-04