ついに扇風機を出して寝室に置き、寝床の位置も風の通り道にしたキタヨキタヨヽ(゚∀゚=゚∀゚)ノキチャッタヨ-!!!!!!
【読んだ本】
原勝郎『東山時代に於ける一縉紳の生活』(講談社学術文庫,1978)所蔵本
昨日の「古今伝授」で宗祇から三条西実隆へのも出て来たので、大昔に読んだ本書を披いた(⌒~⌒)
・・・/講談中は魚味を食することに差支[さしつかえ]はないけれど、
房事は二十四時を隔てなければならぬということなども、談義中の一ヵ条
であった。・・・
流石「古今伝授」は「日本文学史上の一秘事」だけある( ̄◇ ̄;) にしても、大昔に世評につられて
読んで、そこそこ面白く感じられた記憶だけはあるけど、レディネスがほんのちょっとだけ備わった
現在の方がメチャクチャ面白く読めるし、興味深い記述も散見される(〃'∇'〃) 例えば、
・・・/[宗祇による]源氏物語の講義の始まっておる間に、それよりも少し遅れて、
文明十七年六月の朔日から、同じく宗祇の伊勢物語の講釈が、実隆邸に開かれた。
・・・/伊勢物語は同じく古典であっても、源氏などとは異り、肩のあまり凝らぬ
物語であるから宗祇も腕に撚[よ]りをかけ、源氏の場合とは違った手加減で
話巧[たくみ]に縦横自在に講釈をなしたらしい。したがって源氏の講釈にない
面白味もあったらしく、実隆はその日記に、言談之趣尤[もっとも]神妙々々と
記しておる。・・・/宗祇の伊勢物語の講義は、よほど面白いものであったと見え、
その証拠には伏見宮家からも実隆を経て頻[しき]りに所望せられた。宗祇は少々
渋ったのであるけれども、実隆の切なる勧め辞しがたく、ついに宮家に参入して
講義をすることにしたのは、それは文明十九年閏十一月のことであった。而して
その翌すなわち長享二年の四月には江州の陣に在る[足利]義尚将軍からして、
同じく伊勢物語の講釈を宗祇に命ぜられ、宗祇はわざわざ江州の御陣まで出張して
八ヵ度の講釈をなし、その功を終え、数々の拝領物をし、面目を施して帰洛した
とのことである。/・・・
宗祇の『伊勢物語』注釈は、冷泉家の〈お笑い伊勢物語〉、業平・小町の好色歌合戦も継承している
そうだから(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-02-24 )、面白いかと(^_^;)
百目鬼恭三郎『風の文庫談義』(文藝春秋,1991)が本書を取り上げ、原勝郎が「京大史上空前絶後の
カンシャク持ち」だったことを紹介している(^_^;)
・・・/カンシャク持ちのほうでは、原が怖くて京大の西洋史には学生が寄りつかず、
学生が零の年もめずらしくなかったとか、和辻哲郎が『日本古代文化』を著し、
高校時代の恩師である原に一本を献呈したところ、東京・本郷の喫茶店に
呼びつけられて、半時間[ママ]たてつづけにその内容をこきおろされた、
といった逸話を、鈴木成高が、筑摩叢書版『東山時代──』の「解説」で
紹介している。/・・・
百目鬼恭三郎は、「なお、講談社学術文庫版は、原文の漢字をかなり仮名に直したり、新仮名遣いに
したり、むずかしいと思われる漢字にルビをふるなどの改竄を行っている。これは著しく原文を損う
ものとして感心できない。わけてもルビは、・・・など、おそらくは無知に起因するらしいまちがい
が目につく。」として、その「まちがい」も例示列挙しているキタヨキタヨヽ(゚∀゚=゚∀゚)ノキチャッタヨ-!!!!!!
【読んだ本】
原勝郎『東山時代に於ける一縉紳の生活』(講談社学術文庫,1978)所蔵本
昨日の「古今伝授」で宗祇から三条西実隆へのも出て来たので、大昔に読んだ本書を披いた(⌒~⌒)
・・・/講談中は魚味を食することに差支[さしつかえ]はないけれど、
房事は二十四時を隔てなければならぬということなども、談義中の一ヵ条
であった。・・・
流石「古今伝授」は「日本文学史上の一秘事」だけある( ̄◇ ̄;) にしても、大昔に世評につられて
読んで、そこそこ面白く感じられた記憶だけはあるけど、レディネスがほんのちょっとだけ備わった
現在の方がメチャクチャ面白く読めるし、興味深い記述も散見される(〃'∇'〃) 例えば、
・・・/[宗祇による]源氏物語の講義の始まっておる間に、それよりも少し遅れて、
文明十七年六月の朔日から、同じく宗祇の伊勢物語の講釈が、実隆邸に開かれた。
・・・/伊勢物語は同じく古典であっても、源氏などとは異り、肩のあまり凝らぬ
物語であるから宗祇も腕に撚[よ]りをかけ、源氏の場合とは違った手加減で
話巧[たくみ]に縦横自在に講釈をなしたらしい。したがって源氏の講釈にない
面白味もあったらしく、実隆はその日記に、言談之趣尤[もっとも]神妙々々と
記しておる。・・・/宗祇の伊勢物語の講義は、よほど面白いものであったと見え、
その証拠には伏見宮家からも実隆を経て頻[しき]りに所望せられた。宗祇は少々
渋ったのであるけれども、実隆の切なる勧め辞しがたく、ついに宮家に参入して
講義をすることにしたのは、それは文明十九年閏十一月のことであった。而して
その翌すなわち長享二年の四月には江州の陣に在る[足利]義尚将軍からして、
同じく伊勢物語の講釈を宗祇に命ぜられ、宗祇はわざわざ江州の御陣まで出張して
八ヵ度の講釈をなし、その功を終え、数々の拝領物をし、面目を施して帰洛した
とのことである。/・・・
宗祇の『伊勢物語』注釈は、冷泉家の〈お笑い伊勢物語〉、業平・小町の好色歌合戦も継承している
そうだから(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-02-24 )、面白いかと(^_^;)
百目鬼恭三郎『風の文庫談義』(文藝春秋,1991)が本書を取り上げ、原勝郎が「京大史上空前絶後の
カンシャク持ち」だったことを紹介している(^_^;)
・・・/カンシャク持ちのほうでは、原が怖くて京大の西洋史には学生が寄りつかず、
学生が零の年もめずらしくなかったとか、和辻哲郎が『日本古代文化』を著し、
高校時代の恩師である原に一本を献呈したところ、東京・本郷の喫茶店に
呼びつけられて、半時間[ママ]たてつづけにその内容をこきおろされた、
といった逸話を、鈴木成高が、筑摩叢書版『東山時代──』の「解説」で
紹介している。/・・・
百目鬼恭三郎は、「なお、講談社学術文庫版は、原文の漢字をかなり仮名に直したり、新仮名遣いに
したり、むずかしいと思われる漢字にルビをふるなどの改竄を行っている。これは著しく原文を損う
ものとして感心できない。わけてもルビは、・・・など、おそらくは無知に起因するらしいまちがい
が目につく。」として、その「まちがい」も例示列挙しているキタヨキタヨヽ(゚∀゚=゚∀゚)ノキチャッタヨ-!!!!!!