ハンゲショウ(半夏生、半化粧)というのを、初めて見たよ(〃'∇'〃) 庭にあったんだけどね(^_^;)
試合展開に我慢出来なくなり、また古本を注文しちゃったよ(ノ`m´)ノ ~┻┻ (/o\) ミドリン ヤメテー!!

【読んだ本】

圷美奈子『コレクション日本歌人選007 清少納言』(笠間書院,2011)

清水好子『王朝女流歌人抄』(新潮社,1992)の「清少納言」の章から昨日紹介した記述を再引用(..)

    ・・・/清少納言は老いてのち、居処も定まらなかったのか、次の歌がある。

     風のまに散るあはゆきのはかなくて
       ところどころにふるぞわびしき

    風の吹き止んだ時、ちらちらと淡雪がはかなげにあちこちに降る。まるでそんな
    淡雪のように心細い有様で、あちらこちらと暮さねばならないのが悲しいこと。
    淡雪の降る早春の歌である。新年早々又住居を移さねばならなかったのか。・・・

「降る」と「経る」を掛けてる「ところどころにふる」を、作者の清少納言自身が「あちらこちらと
暮さねばならない」の意と清水好子は解し、晩年の清少納言は「居処も定まらなかった」と推定も、
コレは清少納言零落説話( ← 説話である)に引き摺られてしまった解釈ではないかと(@_@;)

森本元子『私家集の女流たち─現し身の恋─ 古典選書10』(教育出版センター,1985)は次の解釈(^^)

    ・・・/「風のまに散る淡雪のはかなくて」は、いかにもやさしくかなしい句だ。
    「ところどころにふる」は、「降る」に「経る」をかけ、一ところでなく、
    親しい者同士が住む所を異にして年をとってゆくという意だろう。
    誰のことを思っているのか、ここにはやはり年老いた身の感慨がある。/・・・

本書で圷[あくつ]美奈子は、清少納言の家集『清少納言集』に入っている上記歌を、『枕草子』で
展開されてる趣味(センス)を踏まえて解釈しており(森本・前掲書も他の歌で同様の解釈をする)、
その同歌の口語訳(本書60頁)と鑑賞(本書60~61頁)を引く(^^)

    まるで、風に吹かれて散る淡雪のようにはかなく心細く、皆があちらこちらに
    離れて暮らしていることこそ、本当にわびしいものです。

    /「風のまに散る淡雪」は、自分も含め、定子亡き後、御所を去って、散り散りになって
    しまった仲間たち、かつての同僚女房のことを指しているだろう。「降る」に「経る」を
    掛ける。/・・・/思い出されるのは、悲しみではない。定子を囲んで、互いに慈しみ、
    笑い語り合って過ごした、かけがえのない日々である。・・・/清少納言には夢があった。
    /宮中出仕の女房たちを集めて暮らす、広い邸を持つことである。『枕草子』「宮仕への
    里なども」(一七八段)ほかに語られている。「宮仕へする人々の出で集まりて、おのが
    君々、その家あるじにして聞くこそをかしけれ」(二八三段)など、・・・

『枕草子』二八三段の「宮仕へする人々の」について脚注(61頁)で次のように訳して補足説明(^^)

    宮仕えをする女房たちが、退出して来て集まり、それぞれ自分の主の君の話を
    するのを、その家の主人として聞くのこそ、楽しいものだ。

宮仕えする女房たちの私設サロンという清少納言の夢を前提にして、同歌の「ところどころにふる」
とは「親しい者同士が住む所を異にして年をとってゆくという意」という解釈には納得した(⌒~⌒)

ちなみに、その和歌から、清少納言の晩年を推定した清水好子の方法そのものは間違いではない(^^)

専門家による歴史書や伝記を読んでると、和歌やその詞書等から作者(多くは歌人)の伝記的事実を
推定している記述が多いので、専門家ではないけど同様のアプローチで拙ブログに記事を書いてたら、
和歌なんて本当のこと書いてないじゃんとのコメントを頂戴したことが∑( ̄ロ ̄|||)にゃんですと!?
So-netブログ以外にも複数の読書ブログをお持ちの方で、最近の小生なんか足元にも及ばないほどの
読書家だけど、お読みなのはフィクション系が多く、王朝時代の和歌を現代短歌(不特定多数の人々
あるいは社会に向けて発信する作者個人の内面の表現)と同一視され、おそらく研究者(≠作家)に
よる専門的な歴史書や伝記などはお読みになったことがないのではないかと想像(^_^;) とりあえずは
「和歌文学会五十周年記念出版」とされる田中登&松村雄二(責任編集)『戦後和歌研究者列伝──
うたに魅せられた人びと』(笠間書院,2006)の平野由紀子「12 関根慶子──中古私家集論序説」の
一節を引いておく(⌒~⌒)

    ・・・/私家集[=家集]はたとえば貫之、伊勢、紫式部、能因、和泉式部といった
    人物の伝記的事実を知るために関心が寄せられ、研究が始まった。平安時代の人々は
    会話や手紙のように和歌のやりとりを日常生活の中で行っていたから、それら贈答歌
    の詳解は、その人をめぐる人々──父や母、子、孫といった家族・友人・恋人・
    宮仕え先の人々──との関係の解明なしには行えない。また、私家集が読み解かれるに
    したがって、歌人の実生活の詳細があきらかになってきた。その意味で私家集は未発掘の
    「宝の山」であるといえる。ある歌人の生涯の歌を正確に把握したい、どのような人生を
    歩み、どんな場面でそれらの歌は詠出されたのか。こういった目的で私家集は研究された。
    これらは資料として私家集を用いる研究、先の(一)である。/・・・  

【買った本】

駒田信二『中国好色犯罪小説集』(旺文社文庫,1986)

ブックオフで美品が108円であったので(^^) コレでもコンプリート出来ない駒田信二の文庫本(@_@;)