年賀ハガキが当選してるかそろそろ確認しようかと思ったが大安は月曜なので今日は止めとこう(´・_・`)
楽天スーパーSALEスロット、事前のは2つともハズレちまったし(ノ`m´)ノ ~┻┻ (/o\) ミドリン ヤメテー!!
オリ戦のNHK中継を視てたけど、また勝ちゲーム捨ててるしさ(ノ;ω;)ノ ~┻┻ (/o\) ミドリン ナカナイデー!!
【読んだ本】
片桐洋一『古今和歌集全評釈(上)』(講談社学術文庫,2019)所蔵本
伊勢タンと呼んでるけど、オキニと言えるほど歌は知らない(^_^;) ナンバーワン女流歌人であることは
知ってるけど(^_^;) 女流歌人を1人挙げよと問われたら、小野小町を挙げる人が多そうだけど、伊勢と
答えるのが通(^^)v ホイチョイ・プロダクション『見栄講座』(小学館,1983)には書いてないが(^_^;)
春霞 立つを見捨てて ゆく雁は 花なき里に 住みやならへる
最初の勅撰集『古今和歌集』の入集歌数では伊勢タンが女性作者で一番多く(モチ小野小町より多い)、
小生の好きなこの歌(歌番号31)もその一つ(⌒~⌒) 中島輝賢『コレクション日本歌人選023 伊勢』
(笠間書院,2011)の「口語訳」(20頁)と「鑑賞」(21頁)の一部を引いておこうか( ̄ヘ ̄)y-゚゚゚
春霞が立つのを見捨てて北国に帰っていく雁は、花がない里に住み慣れているのだろうか。
都では、これから花が咲くというのに。
・・・/この歌では、春霞が立ち、もうすぐ花も咲くのに、それを見捨てて帰る雁に焦点を
当てている。それは、自らが春を待ち、花を待ち焦がれているのと正反対である。この歌
での春や花への憧れは、冬の寒さよりも春の暖かさを求めるという現実的なものではなく、
その美しさへの耽美的な関心である。・・・だからこそ擬人化された雁が、春の美しさを
理解することもなく、住み慣れた故郷とはいえ、永遠に花の咲かない荒涼とした北の土地へ
帰ることに驚き、不思議がっているのだ。/・・・
霞が立って待望の春が来たわけだから、これから花も咲き始めるというのに、北へと去って行く雁を、
伊勢タン、雁さんはお花には興味ないのかしらん、と「不思議がっている」わけですな(〃'∇'〃)
ところが、定価3240円もするだけあって本書は一味違うヒィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ 【鑑賞と評論】を引く(⌒~⌒)
・・・「春霞」は春を感じさせる最初の景物であったが、そのいっぽう、
『古今集』では、/・・・/というように、山の桜を隠す働きをするものとして
よく詠まれていたことがわかるのだが、これを当面の三一番歌に適用すると、
「春霞の背後にはすばらしい花がいっぱいに咲いているのに、春霞だけだと思って
見捨ててゆく雁は……」という気持ちで詠まれていることがわかる。まさに春至れりと
感じさせる霞が立って、その背後の花々が間もなく眼前に展開しようという時に、
この地を、そしてこの霞を見捨てて帰る雁は何と馬鹿なのか、あの遠い花も咲かぬ里に
住み慣れてしまっているために花に関心がないのだろうかと言っているのである。/・・・
伊勢タン、雁さんを不思議ちゃんじゃなくバカチン呼ばわりしてたとは∑( ̄ロ ̄|||)にゃんですと!?
六月も ファンを見捨てて ゆくオリは 勝ちなき里に 住みやならへる
・和歌の割り当てを忘れてたのに気付いた醍醐帝、伊勢タンに御指名キタ━━━━(゚д゚;)━━━━!!
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.so-net.ne.jp/2019-02-07
・伊勢タンの秀歌「散り散らず」を桑原博史(校注)『新潮日本古典集成 無名草子』が謎の解釈(゚ロ゚;)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.so-net.ne.jp/2019-05-29
・ウダダが譲位した際に伊勢タンが弘徽殿に書きつけた歌とソレに対するウダダの返歌について(⌒~⌒)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.so-net.ne.jp/2018-12-07
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.so-net.ne.jp/2018-12-08
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.so-net.ne.jp/2018-12-09
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【読んだ本】
片桐洋一『古今和歌集全評釈(上)』(講談社学術文庫,2019)所蔵本
伊勢タンと呼んでるけど、オキニと言えるほど歌は知らない(^_^;) ナンバーワン女流歌人であることは
知ってるけど(^_^;) 女流歌人を1人挙げよと問われたら、小野小町を挙げる人が多そうだけど、伊勢と
答えるのが通(^^)v ホイチョイ・プロダクション『見栄講座』(小学館,1983)には書いてないが(^_^;)
春霞 立つを見捨てて ゆく雁は 花なき里に 住みやならへる
最初の勅撰集『古今和歌集』の入集歌数では伊勢タンが女性作者で一番多く(モチ小野小町より多い)、
小生の好きなこの歌(歌番号31)もその一つ(⌒~⌒) 中島輝賢『コレクション日本歌人選023 伊勢』
(笠間書院,2011)の「口語訳」(20頁)と「鑑賞」(21頁)の一部を引いておこうか( ̄ヘ ̄)y-゚゚゚
春霞が立つのを見捨てて北国に帰っていく雁は、花がない里に住み慣れているのだろうか。
都では、これから花が咲くというのに。
・・・/この歌では、春霞が立ち、もうすぐ花も咲くのに、それを見捨てて帰る雁に焦点を
当てている。それは、自らが春を待ち、花を待ち焦がれているのと正反対である。この歌
での春や花への憧れは、冬の寒さよりも春の暖かさを求めるという現実的なものではなく、
その美しさへの耽美的な関心である。・・・だからこそ擬人化された雁が、春の美しさを
理解することもなく、住み慣れた故郷とはいえ、永遠に花の咲かない荒涼とした北の土地へ
帰ることに驚き、不思議がっているのだ。/・・・
霞が立って待望の春が来たわけだから、これから花も咲き始めるというのに、北へと去って行く雁を、
伊勢タン、雁さんはお花には興味ないのかしらん、と「不思議がっている」わけですな(〃'∇'〃)
ところが、定価3240円もするだけあって本書は一味違うヒィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ 【鑑賞と評論】を引く(⌒~⌒)
・・・「春霞」は春を感じさせる最初の景物であったが、そのいっぽう、
『古今集』では、/・・・/というように、山の桜を隠す働きをするものとして
よく詠まれていたことがわかるのだが、これを当面の三一番歌に適用すると、
「春霞の背後にはすばらしい花がいっぱいに咲いているのに、春霞だけだと思って
見捨ててゆく雁は……」という気持ちで詠まれていることがわかる。まさに春至れりと
感じさせる霞が立って、その背後の花々が間もなく眼前に展開しようという時に、
この地を、そしてこの霞を見捨てて帰る雁は何と馬鹿なのか、あの遠い花も咲かぬ里に
住み慣れてしまっているために花に関心がないのだろうかと言っているのである。/・・・
伊勢タン、雁さんを不思議ちゃんじゃなくバカチン呼ばわりしてたとは∑( ̄ロ ̄|||)にゃんですと!?
六月も ファンを見捨てて ゆくオリは 勝ちなき里に 住みやならへる
・和歌の割り当てを忘れてたのに気付いた醍醐帝、伊勢タンに御指名キタ━━━━(゚д゚;)━━━━!!
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.so-net.ne.jp/2019-02-07
・伊勢タンの秀歌「散り散らず」を桑原博史(校注)『新潮日本古典集成 無名草子』が謎の解釈(゚ロ゚;)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.so-net.ne.jp/2019-05-29
・ウダダが譲位した際に伊勢タンが弘徽殿に書きつけた歌とソレに対するウダダの返歌について(⌒~⌒)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.so-net.ne.jp/2018-12-07
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.so-net.ne.jp/2018-12-08
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.so-net.ne.jp/2018-12-09