ポイント10倍に釣られて、つい注文しちゃった(ノ_-;)トホホ… 明石家サンタに電話してやるぅヾ(`◇´)ノ
既に持っているのに買ってしまったとか、買った後でもっと安く買えたことに気付いた、などといった
不幸話(なのか?)が結構あった気はするけど、自分のブログは読み返さない主義だぜ( ̄ヘ ̄)y-゚゚゚
「最大10,000ポイントが当たるスーパーSALEダーツ」、今日の分は2つともハズレ((;゚Д゚)ヒィィィィ!

【読んだ本】

橘健二&加藤静子(校注・訳)『新編 日本古典文学全集34 大鏡』(小学館,1996)

昨日は井上宗雄(全訳注)『増鏡(中)』(講談社学術文庫,1983)を読んだけど、増鏡の記述の中に、
宇多天皇との間に皇子まで儲けた有名女流歌人の伊勢が、宇多天皇の譲位の際に弘徽殿に書きつけた歌
についての言及があることも紹介したよ(^^) この歌には宇多天皇からの返歌があり、セットで色々な
古典作品で取り上げられてる(^^) 犬養廉&後藤祥子&平野由紀子(校注)『新 日本古典文学大系28
平安私家集』(岩波書店,1994)に収録されてる伊勢の家集にも入っているので(歌番号は239と240)、
平野由紀子による歌の大意とともに引いておく(^o^)丿

    わかるれどあひもおもはぬ百敷を見ざらんことのなにか悲しき

     別れてもこちらほど嘆いてくれない宮中を、見なくなることが
     どうしてこんなに悲しいのかしらん。

      と、弘徽殿の壁にかきたるを、みかど御覧じてかたわらに

    身一つにあらぬばかりぞおしなべてゆきかへりてもなどか見ざらん

     (帝)私こそ退位して宮中を出るが、(私以外の者は)誰もが縁あり
      めぐり戻って宮中を再び見る日がどうしてなかろうか(きっとある)。

平野由紀子は「退位により女御と仕える女房[←伊勢は宇多帝の女御・藤原温子に仕える女房]たちは
全員内裏を去る。その折の切なる感慨を述べた伊勢に対し帝も慰撫の言葉で唱和。」と脚注に記す(;_;)
伊勢の歌が宮中を擬人化して詠んでいるところなんかは、個人的には好きなんだよねぇ(〃'∇'〃)

この二首はセットで大鏡でも紹介されてるけど、何故かヘンな話も付け加えられているので、本書から
その口語訳の部分(本書372頁)を引く(@_@;)

    ・・・と言いますと[=夏山重木が二首を紹介]、そばにいる人が、/『宇多法皇が、
    「別るれど」の御歌をお書きになったのを、醍醐天皇が後でお見つけになって、その
    そばに、「身ひとつの」の御製をお書きつけなさったのだともうけたまわっておりますが、
    どちらが本当なのでしょうか』/と申します。

伊勢の歌は宇多法皇が、宇多天皇の歌は醍醐天皇が、それぞれ詠んだという話があるんだと( ̄◇ ̄;)
本書の頭注四は、「・・・歌の内容からは明らかに誤伝であり、それを承知しつつ挿入したのは、次の
醍醐天皇関係逸話への移行をなめらかにする意図があったか。」(373頁)とする(@_@;) 大鏡は和歌
に関しデタラメを書いてるから(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.so-net.ne.jp/2018-11-21 )、
この「誤伝」にも驚かないけど、もしかしたら、この「誤伝」には深~い意味があったりして(⌒~⌒)

宇多天皇の引き立てによって醍醐天皇の右大臣にまでなった菅原道真が大宰府へ左遷された昌泰の変、
知らせを受けた「・・・宇多上皇は、我が子醍醐帝にとりなすべく参内したが、終日取り次ごうとする
者がなく、仕方なく帰られたという(扶桑略記)。」(本書75頁の頭注二〇)ので、宮中からの退去を
嘆く宇多法皇、また宮中に戻って来られますよと慰撫する醍醐天皇という「誤伝」は意味深かと(^_^;)

陽射しがあって外はポカポカしてるのに何故か寒気がする(´ヘ`;) よって予定を変更した(ノ_-;)トホホ…