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【読んだ本】

植木久行『唐詩歳時記』(講談社学術文庫,1995)所蔵本

我が蔵書に昨日加入の面々を愛でてて、本書の「主要語彙索引」を見てたら「三峡」という語彙(@_@)
このブログの左下にある「検索ボックス」で「三峡」を検索してヒットした3つの記事を基に書く(^^)

川口久雄全訳注『和漢朗詠集』(講談社学術文庫,1982)所蔵本は「巴峡」の「語釈」として、

  四川東部、揚子江の急流地帯に巫峡・瞿塘峡・巴峡があり、これを三峡という。

大曽根章介&堀内秀晃校注『新潮日本古典集成 和漢朗詠集』(新潮社,1983)の「巴峡」の語釈も

  四川省の東部にあり、巫峡・瞿塘峡とともに三峡と称す。

などとするように、国文学者たちは「三峡」を巫峡、瞿塘峡、巴峡としてる(@_@) これに対して、

松浦友久『李白~詩と心象』(現代教養文庫,1970)所蔵本は、

  揚子江が四川省から湖北省に移るあたり、瞿唐峡、巫峡、西陵峡を中心とした
  「三峡」の地帯がある。

松原朗『唐詩の旅~長江篇』(現代教養文庫,1997)所蔵本も、

  三峡は、上流から瞿唐峡・巫峡・西陵峡の三つの総称である。

とするように、中国文学者たちは「三峡」を巫峡、瞿塘峡、西陵峡としているぞ(@_@;)

それでは、同じく中国文学者の手による本書はどうかというと、次のように記されていた(^^)

  「三峡」とは、一般に瞿唐峡・巫峡・西陵峡をいう。

国文学者と中国文学者のどちらが正しいのか(@_@) 常識的には中国文学者だよね(^_^;) 不審なのは、
和漢朗詠集というアンソロジーは中国の詩歌も含むのに国文学者が中国文学者の書いた物を参照して
ないこと(+_+) 放送大学面接授業8年で鍛えられた経験を活かし(?)、今日は難しくないはず^_^;

今夜は早く寝よっと(..)