日本史の抜き打ちテストでもしますか(´・ω・`) 例によって、間違い探しなんだけどねv( ̄∇ ̄)ニヤッ

【読んだ本】

目崎徳衛『百人一首の作者たち』(角川ソフィア文庫,2005)所蔵本

4~5回も取り上げてきたが、本書で紹介・言及された勅撰集入集歌に対する目崎徳衞の解釈・理解・
評価は各注釈書と照らし合わせると疑問の連続だし、百人一首についての理解も浅く感じられたが、
それでも(もはや信じてもらえないかもしれないけど)教わることの多い本書は小生にとっては良書
(^。^;) そんな本書も、ついに「二章 敗北の帝王――陽成院・三条院・崇徳院」読了(^o^)丿イェーイ!
だけど、「史学の徒」にあるまじきミスがあるじゃんか(;_;) 「そして八月になると、[三条]天皇
は代って官奏を覧[み]ることを道長に命じたが、道長はこれを辞退した。暗に天皇に対して、職務
が遂行できなければ譲位をなさるべきだと促したことになる。道長は正面から譲位を要請することも
度々に及んだようだ。天皇はこれに抵抗し、次の皇太子にわが子敦明親王を立てることを譲位の条件
とし、外孫敦成親王の立太子をもくろむ道長と対立した。道長は、ついに妥協して、敦明親王の立太子
を認め、ようやく年を越えて、譲位は実現する。」という段落だけど、コレを読んだだけで、誤りに
気付かれた人はかなり歴史にお詳しい方(^^) もっと前の方から読み進めてきて、この段落に入れば、
明らかに間違っていることに誰もが気付くはずで、担当編集者や校正担当者の眼は節穴かしら(^。^;)
「外孫敦成親王の立太子」とあるけど、敦成[あつひら]親王じゃねーよ(-"-) 三条天皇(厳密には
居貞親王か)が即位した時点で敦成親王は「立太子」されてて、三条天皇の譲位に伴って敦成親王が
即位して後一条天皇になられたわけだからね(^^) 土田直鎮『日本の歴史5 王朝の貴族』(中公文庫,
2004改版)には三条天皇が藤原資平(実資の養子)に打ち明けたという次のような話が載ってる(^^)
「道長は自分の前で、退位後、次の東宮には敦明親王以下、自分の子供たちはみなその器ではない、
故一条天皇の皇子、今の東宮敦成親王(後一条天皇)の弟である敦良[あつよし]親王こそ、次代の
東宮たるにふさわしい、と放言した。もうこうなっては譲位の事などはいっさい思いとどまった」と、
つまり、本書の「外孫敦成親王の立太子」という件は「外孫敦良親王の立太子」が正しいわけだ(^^)
こんなこと言うまでもないことだけど、敦良親王は後一条天皇の次の後朱雀天皇になられる方ね(^^)
ようやく本書も3分の1近くを読み終えたわけだけど、本をスラスラと読める人は幸せだよねぇ(^。^;)

【買った本】

杉本圭三郎(全訳注)『平家物語(六)』(講談社学術文庫,1984)

258円のをポイント使って100円(..) 「良い」だけど表紙カヴァーの汚れと本文に傍線&記号が鉛筆で
書き込みあるも許容範囲内^_^; この種の本は教科書として使用され書き込みある場合が多いから^_^;

実物は見た記憶ないけど、エナガも可愛いな(^^) 今スランプで明日は本を読めるか心配(..)