月末の心境:今月は買い過ぎた(ノ_-;)ハア… ⇒ 明日から何を買おうかなウキウキ♪o(^-^ o )(o ^-^)oワクワク♪
今日にも注文したくてウズウズ君も今日中に発送されて今月分で引き落とされたら困るから我慢(-ω-、)

【読んだ本】

久保田淳『富士山の文学』(文春新書,2004 → 角川ソフィア文庫,2013)所蔵本

西行の出家の理由は謎なわけだが、小説類でよく見かける悲恋遁世説について、久保田淳『旅人草庵
の歌人 西行の世界』(日本放送出版協会,1988)は次のように記している(^^)

    ・・・/そこで、中世には、西行が苦しい恋の悩みに堪えかねて世を背いたのである
    という説が生まれたらしい。軍記物語である『源平盛衰記』は、西行が後年崇徳院の
    白峯御陵に詣でたことを語ったついでに、次のように述べている。

      ・・・此の仰せを承りて西行が読[ママ]みける。

        思ひきや富士の高嶺に一夜寝て雲の上なる月を見んとは

      此の歌の心を思ふには、一夜の御契りは有りけるにや。・・・

    これは説話以上のものではありえないのであるが(そして、「思ひきや」の歌に
    至っては到底西行の詠とは考えられないのであるが)、・・・

『源平盛衰記』の引用は大幅に省略したけど、御覧の通り、悲恋遁世説は軍記物語『源平盛衰記』に
よる説話でしかないと久保田淳は否定し、その中に出てくる西行が詠んだとされている歌についても
「到底西行の詠とは考えられない」と一蹴オホホホ!!♪( ̄▽+ ̄*) ところが、本書では( ̄◇ ̄;)エッ!?

    ・・・ただ、彼の没後一世紀ほど経つと、叶わぬ恋ゆえの出家であったという、
    悲恋遁世説話が流布している。

      ・・・
                          (『源平盛衰記』巻八)

    身分違いの高貴な女性に恋をし、一度はそれも叶えられたらしいというのであるが、
    近代の研究はおおむね、彼の伝記を構成する際にこのような伝説は斥けるのが
    通例である。しかし、この伝説の中で語られる西行の「思ひきや」という歌は、
    到底叶えられそうもない高望みが一度は叶ったことのたとえとして、
    誰一人登ろうとしない富士の高嶺に一夜寝て雲の上の月を見ると言っている点、
    西行らしいと言えば言えるかもしれない。・・・

「到底西行の詠とは考えられない」⇒「西行らしいと言えば言えるかもしれない」ヒィィィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ
新事実・新史料の発見で解釈を変える場合ならともかく、国文学者にはコロコロ君が多い印象(^_^;)

29日:ヴィダル・ドゥ・ラ・ブラーシュ ⇒ 30日:ヴィダル・サスーン & 富士山気象レーダー ⇒
31日:『富士山の文学』もまたシュニッツラー『輪舞』みたいv( ̄∇ ̄)ヾ( ̄o ̄;)オイオイ偶然だろ?