241112読んだ本
俳句王にワシはなる!と言って海を渡るとかハイキング?(゚Д゚≡゚Д゚)ビッケ?ヾ(-_-;)バイキング!
【読んだ本】
富山奏(校注)『新潮日本古典集成 芭蕉文集』(新潮社,1978)所蔵本
江橋崇『ものと人間の文化史189 百人一首』(法政大学出版局 ,2022)の〈第2章 「古型百人一首
歌かるた」の内容〉の〈2 「歌合せかるた」類の「貝覆」起源説の消滅〉の「2 西行法師の和歌
[今ぞしる二見のうらのはまぐりを貝あはせとておほふなりけり]の再解釈」の一部(同書84頁)を
引く(^_^;)
・・・/歌人が歌枕になるような名所の和歌を詠んでいても、「歌人は居ながら名所
を知る」である。何しろ歌人という人たちは行ったこともない中国浙江省の西湖の風景
を和歌に詠んでしまう芸当すらできるのだから、西行法師が本当に二見ヶ浦でこういう
情景を実見して詠[うた]ったのか、京都に帰還してから二見ヶ浦のこういう情景を
思い出して、あるいは想像して詠ったのかは定かではない。・・・
嘱目・実見しか認めぬ写生バカ(^_^;) この「西湖[さいこ]」は『おくのほそ道』にも出ており、
当該一文を久富哲雄(全訳注)『おくのほそ道』(講談社学術文庫,1980)の訳で引くよん(⌒~⌒)
・・・/さて、先人たちによって言いふるされていることではあるが、松島は
日本第一のすぐれた風景であって、まず中国の洞庭湖や西湖のながめに比べても
恥ずかしくないほどである。・・・
「行ったこともない中国浙江省の西湖の風景」と松島を比較「してしまう芸当すらできる」松尾芭蕉
は「歌人という人たち」ではないね(^_^;) んにゃ、江橋崇は富士五湖のだと解・・ヘ(__ヘ)☆\(^^;
気になるのは本書所収の「嵯峨日記」の元禄4年(1691年)4月29日条で、頭注2とともに引く(@_@;)
二十九日
晦日
『一人一首』奥州高館の詩を見る。
高館は天に聳[そび]えて星冑[かぶと]に似たり
衣川は海に通じて月弓の如し
その地の風景、いささか以てかなわず。古人といへども、その地に至らざる時は、
その景にかなはず[←「実際の風景と一致しない」と傍注訳]。
奥州高館の風景は、この詩の言うところと少しも一致していない。高館の丘はさほど
高くなく、衣川は直接海に流入していないことをさす。奥羽行脚の折に実見したところ
(一三一頁「平泉」の項参照)に基づいての言葉。芭蕉の行脚の最大の目的は、歌枕
などの名所旧跡を自分の目で実見し確認することであった。ここの記事は、そのような
芭蕉の意識が書かせたものである。
「西湖」は白居易や蘇軾の「詩文に著名な景勝。」(本書の『おくのほそ道』の頭注)なんだから、
芭蕉は海を渡って「自分の目で実見し確認する」べきだったね( ̄^ ̄)ヾ( ̄o ̄;)オイオイ無茶ゆーな!
【読んだ本】
富山奏(校注)『新潮日本古典集成 芭蕉文集』(新潮社,1978)所蔵本
江橋崇『ものと人間の文化史189 百人一首』(法政大学出版局 ,2022)の〈第2章 「古型百人一首
歌かるた」の内容〉の〈2 「歌合せかるた」類の「貝覆」起源説の消滅〉の「2 西行法師の和歌
[今ぞしる二見のうらのはまぐりを貝あはせとておほふなりけり]の再解釈」の一部(同書84頁)を
引く(^_^;)
・・・/歌人が歌枕になるような名所の和歌を詠んでいても、「歌人は居ながら名所
を知る」である。何しろ歌人という人たちは行ったこともない中国浙江省の西湖の風景
を和歌に詠んでしまう芸当すらできるのだから、西行法師が本当に二見ヶ浦でこういう
情景を実見して詠[うた]ったのか、京都に帰還してから二見ヶ浦のこういう情景を
思い出して、あるいは想像して詠ったのかは定かではない。・・・
嘱目・実見しか認めぬ写生バカ(^_^;) この「西湖[さいこ]」は『おくのほそ道』にも出ており、
当該一文を久富哲雄(全訳注)『おくのほそ道』(講談社学術文庫,1980)の訳で引くよん(⌒~⌒)
・・・/さて、先人たちによって言いふるされていることではあるが、松島は
日本第一のすぐれた風景であって、まず中国の洞庭湖や西湖のながめに比べても
恥ずかしくないほどである。・・・
「行ったこともない中国浙江省の西湖の風景」と松島を比較「してしまう芸当すらできる」松尾芭蕉
は「歌人という人たち」ではないね(^_^;) んにゃ、江橋崇は富士五湖のだと解・・ヘ(__ヘ)☆\(^^;
気になるのは本書所収の「嵯峨日記」の元禄4年(1691年)4月29日条で、頭注2とともに引く(@_@;)
二十九日
晦日
『一人一首』奥州高館の詩を見る。
高館は天に聳[そび]えて星冑[かぶと]に似たり
衣川は海に通じて月弓の如し
その地の風景、いささか以てかなわず。古人といへども、その地に至らざる時は、
その景にかなはず[←「実際の風景と一致しない」と傍注訳]。
奥州高館の風景は、この詩の言うところと少しも一致していない。高館の丘はさほど
高くなく、衣川は直接海に流入していないことをさす。奥羽行脚の折に実見したところ
(一三一頁「平泉」の項参照)に基づいての言葉。芭蕉の行脚の最大の目的は、歌枕
などの名所旧跡を自分の目で実見し確認することであった。ここの記事は、そのような
芭蕉の意識が書かせたものである。
「西湖」は白居易や蘇軾の「詩文に著名な景勝。」(本書の『おくのほそ道』の頭注)なんだから、
芭蕉は海を渡って「自分の目で実見し確認する」べきだったね( ̄^ ̄)ヾ( ̄o ̄;)オイオイ無茶ゆーな!
俳句王(バイク王)とも読めたり・・・。
「西湖」の景色はサイコーと思ったのかも(最高)。
by tai-yama (2024-11-12 22:55)
ベタすぎて座布団はあげられませんなC= (-。- ) フゥー
by middrinn (2024-11-13 05:24)
ものと人間の文化史の「百人一首」は、遊戯史本であり、該遊戯
の内容は、「楽曲当型ゲームの速度争い」と「目視の札画像認識速度
争い」遊びの組み合わせと、了解されているように思える。遊戯史は
起源と歴史経過の解明にあるという点で、和歌の内容考察は、論点の
主体では無い。対応画像が有れば、本来は読まれる文言は、何にでも
置き換えられると思う。つまり和歌は、本質的にたまたまの題材で
あり、内容考察は従属的な内容のカテゴリーの本のはずだったと私
思う。江橋崇氏は遊戯史の学会組織内で、有力者だが。この本の展開
は、通常の遊戯史論展開方法と、ベクトルが有っているような気が、
このブログの記事を読んでいると、私には余り感じられ無い。ので、
通読の経験が、結局のところ私には、まだ無いという結果になって
いる。そもそも「歌当て名人」が、和歌歌詠みの世界で重鎮された
とみられる起源およびその経緯を、江橋崇は厳格に追及するという
のが、遊び発生を解明するのが目的の、遊戯史研究の基本ではない
のかと私は疑う。
by df233285 (2024-11-13 06:47)
書名を『百人一首歌かるた』とすべきでしたし、他方で、
こーゆー余事記載はすべきではなかったですね(^_^;)
『百人一首』研究で売れっ子の吉海直人が、かるた研究
においては如何にデタラメな研究者であるかを、同書が
ほぼ全編にわたって暴露してる点は有益でした(^_^;)
by middrinn (2024-11-13 14:44)