241107読んだ本
ウダダと道真と醍醐天皇、醍醐天皇と道真と藤原時平、どっちがBL三角関係・・ヘ(__ヘ)☆\(^^;
【読んだ本】
江談抄研究会(編)『類聚本系江談抄注解』(武蔵野書院,1983)所蔵本
本書から「通釈」(詩句の意味を「語釈」から補った)と「余言」を順に引用する(´;ω;`)ウッ…
酔望西山仙駕遠 微臣涙落旧恩衣 内宴。昭宣公[藤原基経]
[酔って西方の山を望めば太上天皇は遙か遠くにおはします。
私の感涙はかつて恵み賜った衣の上に流れ落ちる、の意。]
昭宣公の「家伝」に次のようにいう。元慶四年[880年]正月二十日、内宴の座に
侍して、そば近くの人々にいうには、以前(まだ在位時の)太上皇[=清和天皇]
につき従っていて、内宴に出席するようにと御下命を頂いたものだ。今日着ている
ものは太上皇が脱いで御下賜くださったお召し物なのだと。この日の(昭宣公の)
応製詩の終りの句はこのことにいい及んでいる。その宴の座の者は皆感動し、涙を
拭う者もあった。この時、太天皇は水尾山寺においでになったと。
清和上皇は、基経の山荘栗田院で出家し、またこれを寺に改めた円覚寺で没しており、
両者の関係の深さを思わせる。
この条から二つの場面を連想(^_^;) 一つは菅原道真の「去年の今夜 清涼に侍す 秋思の詩篇 独り
腸を断つ 恩賜の御衣は 今此に在り 捧げ持ちて毎日 余香を拝す」(藤原克己『菅原道真 詩人の
運命』[ウェッジ選書,2002]の訓読文)だけど、菅原道真は「涙」を流さなかったのかな(@_@;)
・・・村上天皇が世をお去り遊ばして、その翌年に、小野宮〔[藤原]実頼公〕の
邸に人々がお伺いなされて、かくべつ、正月臨時の客などの儀はなかったのですが、
人々が「嘉辰令月」などと、『和漢朗詠集』の一句を口ずさみなさったついでに、
一条左大臣〔源雅信公〕や六条殿〔源重信公〕などが、御笏で拍子を取られて、
「席田」という催馬楽の歌曲をうたい出しなされましたが、そのとき、「ああ、
こんなときに先帝〔村上天皇〕がおいでになったらなあ」とおっしゃって、拍子の
御笏も置いて、主人の殿〔実頼公〕をはじめ、〔お正月だというのに〕言忌もなさ
らず、皆々袍の袖をお濡らしになったということです。・・・
保坂弘司『大鏡全評釈 下巻』(學燈社,1979)の訳だけど、この時、位についてたのがアノ冷泉天皇
ということもあった様子(@_@;) 『江談抄』の説話も陽成天皇ということもあったのでは(@_@;)
[追記241111]
保坂弘司『大鏡全評釈 上巻』(學燈社,1979)では「・・・毎日捧げ持って名残の御香を拝しては、
聖恩のかたじけなさに感泣していることである。」と、石川徹(校注)『新潮日本古典集成 大鏡』
(新潮社,1989)では「賜ったお召物にたきしめられたお香[こう]の残り香の匂いを嗅いで、君恩
のありがたさに泣いております。」と、菅原道真の詩を訳してて、「涙」を流してると解釈(@_@;)
【読んだ本】
江談抄研究会(編)『類聚本系江談抄注解』(武蔵野書院,1983)所蔵本
本書から「通釈」(詩句の意味を「語釈」から補った)と「余言」を順に引用する(´;ω;`)ウッ…
酔望西山仙駕遠 微臣涙落旧恩衣 内宴。昭宣公[藤原基経]
[酔って西方の山を望めば太上天皇は遙か遠くにおはします。
私の感涙はかつて恵み賜った衣の上に流れ落ちる、の意。]
昭宣公の「家伝」に次のようにいう。元慶四年[880年]正月二十日、内宴の座に
侍して、そば近くの人々にいうには、以前(まだ在位時の)太上皇[=清和天皇]
につき従っていて、内宴に出席するようにと御下命を頂いたものだ。今日着ている
ものは太上皇が脱いで御下賜くださったお召し物なのだと。この日の(昭宣公の)
応製詩の終りの句はこのことにいい及んでいる。その宴の座の者は皆感動し、涙を
拭う者もあった。この時、太天皇は水尾山寺においでになったと。
清和上皇は、基経の山荘栗田院で出家し、またこれを寺に改めた円覚寺で没しており、
両者の関係の深さを思わせる。
この条から二つの場面を連想(^_^;) 一つは菅原道真の「去年の今夜 清涼に侍す 秋思の詩篇 独り
腸を断つ 恩賜の御衣は 今此に在り 捧げ持ちて毎日 余香を拝す」(藤原克己『菅原道真 詩人の
運命』[ウェッジ選書,2002]の訓読文)だけど、菅原道真は「涙」を流さなかったのかな(@_@;)
・・・村上天皇が世をお去り遊ばして、その翌年に、小野宮〔[藤原]実頼公〕の
邸に人々がお伺いなされて、かくべつ、正月臨時の客などの儀はなかったのですが、
人々が「嘉辰令月」などと、『和漢朗詠集』の一句を口ずさみなさったついでに、
一条左大臣〔源雅信公〕や六条殿〔源重信公〕などが、御笏で拍子を取られて、
「席田」という催馬楽の歌曲をうたい出しなされましたが、そのとき、「ああ、
こんなときに先帝〔村上天皇〕がおいでになったらなあ」とおっしゃって、拍子の
御笏も置いて、主人の殿〔実頼公〕をはじめ、〔お正月だというのに〕言忌もなさ
らず、皆々袍の袖をお濡らしになったということです。・・・
保坂弘司『大鏡全評釈 下巻』(學燈社,1979)の訳だけど、この時、位についてたのがアノ冷泉天皇
ということもあった様子(@_@;) 『江談抄』の説話も陽成天皇ということもあったのでは(@_@;)
[追記241111]
保坂弘司『大鏡全評釈 上巻』(學燈社,1979)では「・・・毎日捧げ持って名残の御香を拝しては、
聖恩のかたじけなさに感泣していることである。」と、石川徹(校注)『新潮日本古典集成 大鏡』
(新潮社,1989)では「賜ったお召物にたきしめられたお香[こう]の残り香の匂いを嗅いで、君恩
のありがたさに泣いております。」と、菅原道真の詩を訳してて、「涙」を流してると解釈(@_@;)
天皇が自分の着ているお召し物をそのまま脱いで下賜されるとは。
はぁはぁはぁはぁ。天皇の匂いってどんなんだろう(笑)。
by tai-yama (2024-11-07 23:02)
薫物の香りでしょ(^_^;) 皇室御用達のがあったのかな(^_^;)
by middrinn (2024-11-08 05:22)
今回は複数の天皇が絡んでいるようですが。で、後三条天皇は
誰をどう扱ったんでしたっけ。
by df233285 (2024-11-08 07:22)
後三条天皇なら藤原実政ですかね(210618読んだ本)(@_@;)
by middrinn (2024-11-08 14:39)