241031昨日買った本
血の繋がらぬ亡夫の長男から言い寄られるとは、紫式部も罪な女よのぉ~(* ̄∀ ̄)ノ
【昨日買った本】
江談抄研究会(編)『古本系江談抄注解』(武蔵野書院,1978)
11回目の利用となるAmazonマケプレ出品者「〈インボイス対応〉かわせみ 書房」の840(500+送料
等340)円「良い」をギフトカード払いで28日注文し追跡不可能クリックポストで30日着(^_^;) コン
ディション説明は「中古品 - 良い - 初版。函にヤケがありますが、本の状態は概ね良好です。」も
なにわのブラックダイヤモンド橋本梨菜に鼻で笑われそうな程度の焼けで書き込みも見当たらなかっ
たので、ビニールに包んでプチプチを用いず紙封筒に入ってたけど、問題ナシオン主権ウラー!(^o^)丿
植松茂、田口和夫、後藤昭雄、根津義が執筆し、研究会の他の参加者については「序」に説明(^_^;)
序[植松茂(江談抄研究会代表)]
凡例
醍醐寺蔵 水言鈔[256項目]
神田喜一郎氏蔵 江談抄[水言鈔に既出のものを除く34項目]
前田家蔵 江談抄[水言鈔・神田本に既出のものを除く12項目]
補注
索引
人名の部
書名の部
詩文の部
和歌の部
語句・件名の部
届いたのが昨日の記事アップ後ゆえ、とりあえず「追記」をし、今日も補足の「追記」をした(^_^;)
山根對助&後藤昭雄(校注)『江談抄』(後藤昭雄&池上洵一&山根對助[校注]『新日本古典文学
大系32 江談抄 中外抄 富家語』[岩波書店,1997]所収)から『江談抄』の二つの条の訓み下し文を
昨日は引いたけど、(両条が一つになっている)『醍醐寺蔵水言鈔』の本書の「通釈」を引く(^_^;)
なお、本書は通釈はあるんだけど、原文は返り点が付けられてるだけで、訓読文ナシオン主権(^_^;)
源道済が蔵人であった時、藤原頼貞(荒武蔵とはこの人である。)を船路の君と称した
という。この人は腹を立てない時は、はなはだおだやかな人である。しかし、本性は
はなはだ悪い人であるから、まともに向かう事はできない。船路は天気が静かな時は
はなはだおだやかである。そして、風波の悪い時には人はとても堪えられない。そこで、
船路の君と称したのである。また、藤原隆光を大法会の獅子と名づけた。大法会の獅子は
その様子が極めて威儀があるが、心は持っていない。それでこう言ったのである。
この「藤原隆光」は、本書の語釈も説明してるように、藤原宣孝の長男で紫式部の義理の子だけど、
萩谷朴『枕草子解環 三』(同朋舎出版,1982)の語釈には次の一文が(^_^;)
・・・因みに、隆光は、紫式部にとっては異腹の長男ということであるが、天延二年
(九七四)出生と推定される紫式部よりも、却って一歳の年長となり、宣孝の没後、
隆光が継母の紫式部に懸想しかけて来た事実があって、それが『源氏物語』の空蟬と
その継子紀伊守のモデルとなっているという岡一男説さえ提出されている。/
金峰山は質素な服装で詣でるものなのに藤原宣孝・隆光父子は前代未聞の華美な服装で参詣した話を
『枕草子』に記した清少納言に紫式部が激怒したとは同書や萩谷朴『紫式部の蛇足 貫之の勇み足』
(新潮選書,2000)が指摘するところだが、『江談抄』の「あだ名」への言及が無いのは意外(^_^;)
【昨日買った本】
江談抄研究会(編)『古本系江談抄注解』(武蔵野書院,1978)
11回目の利用となるAmazonマケプレ出品者「〈インボイス対応〉かわせみ 書房」の840(500+送料
等340)円「良い」をギフトカード払いで28日注文し追跡不可能クリックポストで30日着(^_^;) コン
ディション説明は「中古品 - 良い - 初版。函にヤケがありますが、本の状態は概ね良好です。」も
なにわのブラックダイヤモンド橋本梨菜に鼻で笑われそうな程度の焼けで書き込みも見当たらなかっ
たので、ビニールに包んでプチプチを用いず紙封筒に入ってたけど、問題ナシオン主権ウラー!(^o^)丿
植松茂、田口和夫、後藤昭雄、根津義が執筆し、研究会の他の参加者については「序」に説明(^_^;)
序[植松茂(江談抄研究会代表)]
凡例
醍醐寺蔵 水言鈔[256項目]
神田喜一郎氏蔵 江談抄[水言鈔に既出のものを除く34項目]
前田家蔵 江談抄[水言鈔・神田本に既出のものを除く12項目]
補注
索引
人名の部
書名の部
詩文の部
和歌の部
語句・件名の部
届いたのが昨日の記事アップ後ゆえ、とりあえず「追記」をし、今日も補足の「追記」をした(^_^;)
山根對助&後藤昭雄(校注)『江談抄』(後藤昭雄&池上洵一&山根對助[校注]『新日本古典文学
大系32 江談抄 中外抄 富家語』[岩波書店,1997]所収)から『江談抄』の二つの条の訓み下し文を
昨日は引いたけど、(両条が一つになっている)『醍醐寺蔵水言鈔』の本書の「通釈」を引く(^_^;)
なお、本書は通釈はあるんだけど、原文は返り点が付けられてるだけで、訓読文ナシオン主権(^_^;)
源道済が蔵人であった時、藤原頼貞(荒武蔵とはこの人である。)を船路の君と称した
という。この人は腹を立てない時は、はなはだおだやかな人である。しかし、本性は
はなはだ悪い人であるから、まともに向かう事はできない。船路は天気が静かな時は
はなはだおだやかである。そして、風波の悪い時には人はとても堪えられない。そこで、
船路の君と称したのである。また、藤原隆光を大法会の獅子と名づけた。大法会の獅子は
その様子が極めて威儀があるが、心は持っていない。それでこう言ったのである。
この「藤原隆光」は、本書の語釈も説明してるように、藤原宣孝の長男で紫式部の義理の子だけど、
萩谷朴『枕草子解環 三』(同朋舎出版,1982)の語釈には次の一文が(^_^;)
・・・因みに、隆光は、紫式部にとっては異腹の長男ということであるが、天延二年
(九七四)出生と推定される紫式部よりも、却って一歳の年長となり、宣孝の没後、
隆光が継母の紫式部に懸想しかけて来た事実があって、それが『源氏物語』の空蟬と
その継子紀伊守のモデルとなっているという岡一男説さえ提出されている。/
金峰山は質素な服装で詣でるものなのに藤原宣孝・隆光父子は前代未聞の華美な服装で参詣した話を
『枕草子』に記した清少納言に紫式部が激怒したとは同書や萩谷朴『紫式部の蛇足 貫之の勇み足』
(新潮選書,2000)が指摘するところだが、『江談抄』の「あだ名」への言及が無いのは意外(^_^;)
連れ子の方が年上だったと・・・
藤原隆光からしたら、「この財産狙いの後妻め」と思っていたり(笑)。
by tai-yama (2024-10-31 22:55)
藤原宣孝が紫式部の財産目当てに再婚したのかも(@_@;)
by middrinn (2024-11-01 05:20)
なるほど。枕草子は五代末~北宋王朝時代の中国人にも読み取れ
たので。中国では余り聞かない父子恋愛の噂も伝わり、中原では、
「日本の貴族社会の奢侈・堕落を象徴」との噂が広がった、
モトネタなのかもしれませんね。日本へ、今の将棋の先祖の、
平安将棋が11世紀初に、特に選択されて輸出されたとみられる
原因が、文学だったと特定する上で、参考になりました。
by df233285 (2024-11-01 06:29)
「父子恋愛の噂」がイミフですし、『枕草子』のどこに出てるんですかね(@_@;)
by middrinn (2024-11-01 14:40)