241027読んだ本【18禁?】
エロとかにも時代を感じさせるものがあって、二ヶ月前に図書館から借りて読んだ谷崎潤一郎の短篇
「少年」(同『刺青・少年・秘密』[角川文庫,2021]所収)も世評ほどではなかったかな(@_@;)
【読んだ本(18禁?)】
目加田さくを『私家集全釈叢書4 源重之集・子の僧の集・重之女集全釈』(風間書房,1988)所蔵本
斎宮の女御うちにおはせしむかし、あるたちはきのをさ、承香殿のにしのつまどに
立よれり。小納言といふ人、いとくちとくものをかしくわかよむ。このきみたちも
人に物いひかけよといひよりて、まづいかゞいはんとおもふとて、そでとりかはし
たり。たれにとゝへば、みなもとこたへず、おなじきなのらずといふ。いろにおもふ
をとこ
こゆるぎのいそのなのりそなのらねどそこばかりをぞさぐりしりたる
斎宮女御様が宮中においでであった昔日のこと、さる帯刀長が承香殿の西の妻戸
に立ち寄った。小納言という女房がいたが、その人は大変すばやく洒落たことを
言うし巧みに歌をよむ。帯刀長に友人達が、この小納言に何か言ひかけよとせつく
(AEF本文に従う)。そこで帯刀長は小納言のもとに歩みよって、「さて何と
言おうかな」と思案するというので、まず男は簾の下から手をさし入れて女と
お互の袖を取り交わした。小納言が、「貴下はどなた」と尋ねるので(AEF本文
に従う)、男は「源のこたへず(です)」と返事する。すると「私も同じく
なのらず(ですわ)」と女がいう。そこで、これはしやれた雰囲気だと思う男は、
こうよみかける。
こゆるぎの磯に生えている名のりそぢやあないが、な、名乗りそ、で、貴女はお名のり
にならないが、そこらへんにいらっしゃるのが小納言さんだろうと、手でさぐりあてた
んですよ。
をんな、さればよといひて、きゝもはてぬに、
いそなつむあまならばこそわたつうみのそこのものめくこともゆるさめ
といひつゝぞとしへける
女は、「だからさ、」と言って、男の歌を終りまで聞きもおわらぬうちに
(こう返歌をする)
磯で海藻を摘む海女でしたらね、大海の底の藻[め]をさぐるようなことだって、
許しましようよ。ところが、私は海女ぢやあ、ありませんからね、おあいにくさまよ。
と言い言いまあ、年月がたったのだったよ。
句点の位置を修正し、一部の繰り返し符号は用いずに、本書から訳とともに原文ママで引いた(^_^;)
源重之の歌の「なのりそ」は「・・・海藻とな告[の]りそ、懸詞。」と語釈で説明はいいとして、
チト笑ったのが、「小納言」の歌の「そこのものめく」の語釈の次の説明(^_^;)
いささかエッチな行動。
「きゝもはてぬに」上手く返歌したところが、まさに「いとくちとくものをかしくわかよむ」という
評判通りなわけで、この「小納言」が何者なのか知りたいぞ(@_@;) 同時代の歌人の家集とかにも
登場してそうなのに、目加田さくをは「未詳」とすら記してなく、誰なのか考証したのかな(@_@;)
一応、「この詠歌年次は、したがって、斎宮女御が承香殿女御であった期間、天暦二年十二月948~
康保四年五月四日967村上帝崩[ママ]までである。」とあり、181「ふくかぜも今日はのどかになり
けりものおもふほどにはるやいぬらん」の詞書の「・・・かへるはるにあひて」について、「・・・
春宮[後の冷泉天皇]の帯刀長に任ぜられたのを意味するのではあるまいか。一八〇・一八一の作歌
年代は[源]信明陸奥守時代962[年]963年あたりか。」と推定してるので、更に絞れるが(@_@;)
ただ、この遣り取りについて、目崎徳衛「源重之について─摂関期における一王孫の生活と意識─」
(同『平安文化史論』[桜楓社,1968]所収)は次のように「補注」している(@_@;)
ここに「あるたちはきの長」・・・・の如く物語的文脈がみられることは、史料性から
すれば若干問題であって、厳密にはこの・・・所については史実を強く主張できまい。
・・・但し、重之集には右の個所以外にほとんど物語化は進んでいないので、重之集を
伝記史料として用いうるという小論の前提は、基本的にはすこしも動揺しないと思う。
「少年」(同『刺青・少年・秘密』[角川文庫,2021]所収)も世評ほどではなかったかな(@_@;)
【読んだ本(18禁?)】
目加田さくを『私家集全釈叢書4 源重之集・子の僧の集・重之女集全釈』(風間書房,1988)所蔵本
斎宮の女御うちにおはせしむかし、あるたちはきのをさ、承香殿のにしのつまどに
立よれり。小納言といふ人、いとくちとくものをかしくわかよむ。このきみたちも
人に物いひかけよといひよりて、まづいかゞいはんとおもふとて、そでとりかはし
たり。たれにとゝへば、みなもとこたへず、おなじきなのらずといふ。いろにおもふ
をとこ
こゆるぎのいそのなのりそなのらねどそこばかりをぞさぐりしりたる
斎宮女御様が宮中においでであった昔日のこと、さる帯刀長が承香殿の西の妻戸
に立ち寄った。小納言という女房がいたが、その人は大変すばやく洒落たことを
言うし巧みに歌をよむ。帯刀長に友人達が、この小納言に何か言ひかけよとせつく
(AEF本文に従う)。そこで帯刀長は小納言のもとに歩みよって、「さて何と
言おうかな」と思案するというので、まず男は簾の下から手をさし入れて女と
お互の袖を取り交わした。小納言が、「貴下はどなた」と尋ねるので(AEF本文
に従う)、男は「源のこたへず(です)」と返事する。すると「私も同じく
なのらず(ですわ)」と女がいう。そこで、これはしやれた雰囲気だと思う男は、
こうよみかける。
こゆるぎの磯に生えている名のりそぢやあないが、な、名乗りそ、で、貴女はお名のり
にならないが、そこらへんにいらっしゃるのが小納言さんだろうと、手でさぐりあてた
んですよ。
をんな、さればよといひて、きゝもはてぬに、
いそなつむあまならばこそわたつうみのそこのものめくこともゆるさめ
といひつゝぞとしへける
女は、「だからさ、」と言って、男の歌を終りまで聞きもおわらぬうちに
(こう返歌をする)
磯で海藻を摘む海女でしたらね、大海の底の藻[め]をさぐるようなことだって、
許しましようよ。ところが、私は海女ぢやあ、ありませんからね、おあいにくさまよ。
と言い言いまあ、年月がたったのだったよ。
句点の位置を修正し、一部の繰り返し符号は用いずに、本書から訳とともに原文ママで引いた(^_^;)
源重之の歌の「なのりそ」は「・・・海藻とな告[の]りそ、懸詞。」と語釈で説明はいいとして、
チト笑ったのが、「小納言」の歌の「そこのものめく」の語釈の次の説明(^_^;)
いささかエッチな行動。
「きゝもはてぬに」上手く返歌したところが、まさに「いとくちとくものをかしくわかよむ」という
評判通りなわけで、この「小納言」が何者なのか知りたいぞ(@_@;) 同時代の歌人の家集とかにも
登場してそうなのに、目加田さくをは「未詳」とすら記してなく、誰なのか考証したのかな(@_@;)
一応、「この詠歌年次は、したがって、斎宮女御が承香殿女御であった期間、天暦二年十二月948~
康保四年五月四日967村上帝崩[ママ]までである。」とあり、181「ふくかぜも今日はのどかになり
けりものおもふほどにはるやいぬらん」の詞書の「・・・かへるはるにあひて」について、「・・・
春宮[後の冷泉天皇]の帯刀長に任ぜられたのを意味するのではあるまいか。一八〇・一八一の作歌
年代は[源]信明陸奥守時代962[年]963年あたりか。」と推定してるので、更に絞れるが(@_@;)
ただ、この遣り取りについて、目崎徳衛「源重之について─摂関期における一王孫の生活と意識─」
(同『平安文化史論』[桜楓社,1968]所収)は次のように「補注」している(@_@;)
ここに「あるたちはきの長」・・・・の如く物語的文脈がみられることは、史料性から
すれば若干問題であって、厳密にはこの・・・所については史実を強く主張できまい。
・・・但し、重之集には右の個所以外にほとんど物語化は進んでいないので、重之集を
伝記史料として用いうるという小論の前提は、基本的にはすこしも動揺しないと思う。
海苔だけでなく、あわびまで漁獲したと・・・
蟹工船のホモシーンはなかなか生々しいですよ(笑)。
by tai-yama (2024-10-27 22:46)
『蟹工船』も世間のイメージと異なるのかな(@_@;)
by middrinn (2024-10-28 05:19)
今だと、和歌が川柳と入れ替わるんですかね。
by df233285 (2024-10-28 07:14)
川柳は五七五で、では、狂歌かと言えば、狂歌はもっと卑俗かと(^_^;)
by middrinn (2024-10-28 16:24)