SSブログ

240831読んだ本

初時雨水もしたたるいい男と芭・・ヘ(__ヘ)☆\(^^; 秋はこれからなのに降ったり止んだり(@_@;)

【読んだ本】

今栄蔵(校注)『新潮日本古典集成 芭蕉句集』(新潮社,1982)所蔵本

    いづく時雨傘を手に提[さ]げて帰る僧

     どこで時雨に降られたか、一人の僧が、まだぬれている傘[からかさ]を手にさげて、
     夕暮の道を寺に帰って行く。

本書は〈『和漢朗詠集』の章句「蒼茫タル霧雨ノ霽ノ初メ…晩寺ニ僧帰ル」の趣きを換骨奪胎した。〉云々
と頭注欄で指摘するが、「趣きを換骨奪胎」だなんて、最早単なるパクリに過ぎないような(@_@;)
菅野禮行(校注・訳)『新編日本古典文学全集19 和漢朗詠集』(小学館,1999)から引くv( ̄∇ ̄)

    蒼茫たる霧雨[ふう]の霽[は]れの初めに 寒汀に鷺立てり
    重畳たる煙嵐の断えたる処に 晩寺[ばんじ]に僧帰る

     今まで降っていた薄暗い霧がはれ、雨も上がると、寒々とした川の渚に早くも鷺が
     立っているのが見える。峰を仰ぐと、幾重にも重なった山あいのもやの切れ目に、
     夕暮の寺に帰る僧の姿が望まれる。

『笈の小文』にも「旅の具多きは道ざはりなりと、物皆払捨たれども、・・・」=「旅の道具の多い
のは道中のじゃまであると、物という物はみんな払い捨てたけれども、・・・」(麻生磯次[訳注]
『現代語訳対照 奥の細道 他四編』[旺文社文庫,1970]の訳)とあるし、衣更えも「一つ脱いで後
[うしろ]に負ひぬ衣更」、つまり、「旅中のこととて、衣更の日を迎えても着替えの夏衣を持たぬ
身だ。重ね着の一枚を脱いで背中に背負い、さて、これで衣更がすんだとしよう。」(富山奏[校注]
『新潮日本古典集成 芭蕉文集』[新潮社,1978])と詠んでいるぐらい「旅中」の荷物をミニマムに
抑えている状況を見れば、旅人である芭蕉が「傘」など持って行く余裕などナシオン主権かと(^_^;)

時雨に遭ったら、宗祇みたいに止むまで「ある人の宿所」や「松の木陰」で雨宿りすればいいのに、
芭蕉の場合は笠を被るだけで時雨に濡れながら旅を続けていたとされてる(240425読んだ本)(^_^;)

芭蕉には「宿借りて名を名乗らする時雨かな」=「宿を乞い求めて、門口で大声に名を名乗らせる。
そんなことを私にさせる俄に降り出した時雨であるよ」(富山奏[校注]『新潮日本古典集成 芭蕉
文集』[新潮社,1978])もあるけど、「旅の一夜を求めて」のもので一時的な雨宿りに非ず(^_^;)

    笠もないわれを時雨るるかこは何と

     笠も持たぬ我をめがけて時雨は降りそそぐのか。これはまたなんと心ない仕業よ。

本書のこの句と同じ頁の「狂句木枯[こがらし]の身は竹斎に似たる哉」に「笠は長途[ちゃうど]
の雨にほころび、・・・」と前書があり、もしかして長旅で「ほころび」て「笠もない」とか(^_^;)

「被った笠によってかろうじて時雨をしのいでいる宗祇の姿が、芭蕉にとっての旅人の理想像」など
と深沢眞二&深沢了子編『芭蕉・蕪村 春夏秋冬を詠む 春夏編』(三弥井古典文庫,2015)が指摘も
宗祇に関しては誤りな点はともかく(240819読んだ本【バカチン本能寺2冊】)、芭蕉が「被った笠
によってかろうじて時雨をしのいで」旅をするのを「旅人の理想像」と思ってた可能性はある(^_^;)
コメント(4) 
共通テーマ:

コメント 4

df233285

元禄の芭蕉の時代は、さし傘。晩秋の着膨れの季節に荷物になるだけ
で無く、時代が古く、まだあんまり普及してい無かったみたいですよ。
by df233285 (2024-08-31 18:06) 

tai-yama

雨が止むのを待てない人(ライダー)も居たり(笑)。
傘も、すぐ捨ててしまう人が今の時代もたくさん居て、駅傘パクリ
な人も多数。そんなのばかりなので、駅傘は貸さない・・・・
by tai-yama (2024-08-31 19:38) 

middrinn

この句が実景を詠んだものだとすると、もしそうなら、
長さん様、この「僧」は高僧か何かですかね(@_@;)
by middrinn (2024-09-01 05:17) 

middrinn

「ライダーは 水もしたたる いい男」と
tai-yama様・・ヘ(__ヘ)☆\(^^;季語は?
by middrinn (2024-09-01 05:36) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。