240623読んだ本【バカチン2.5冊】
陸奥から船で北方への避難・移住を試みてたけど南下して越前敦賀に上陸し都を急襲する賭けに出て
マッカーサーの仁川上陸作戦のように成功すれば安倍頼時は生き延びられた可能性あるかな(@_@;)
【読んだ本(バカチン2.5冊)】
川村晃生&柏木由夫&工藤重矩(校注)『新日本古典文学大系9 金葉和歌集 詞花和歌集』(岩波書店,1989)所蔵本
橋本不美男&有吉保&藤平春男(校注・訳)『新編日本古典文学全集87 歌論集』(小学館,2002)所蔵本
川村晃生&柏木由夫&伊倉史人(校注)『金葉和歌集』(岩波文庫,2023)所蔵本
・・・/たとえば、第五の勅撰集『金葉和歌集』(一一二六年からその翌年頃の成立)
の巻第十・雑部下には、「連歌」と題された十八組の作品が載っている。その最初は、
「居たりける所の北の方に、声なまりたる人の物言ひけるを聞きて」(私の住まいの
北のほうで、声に訛りのある人が物を言うのを聞いて)という詞書を持つ、
東人[あづまうど]の声こそ北にきこゆなれ 永成法師
陸奥[みちのく]によりこしにやあるらん 権律師慶範
という作品である。永成法師は「北のほうから東国の人の訛りある声が聞こえるぞ」と
五七五を詠んだ。権律師慶範は「陸奥[みちのく]の国から来たんじゃないですか」と
七七を付け加えた。かつて陸奥が日本の東の果てと思われていたゆえの答えである。
また、「こし」は「来し」と「越[こし]」(越の国、越前から越後までの北陸道)の
掛詞だというのが気が利いている。この応酬は東・北の組み合わせに陸奥・越を対置した
言葉のパズルでもあり、また、「北から東国人の声がするのはなぜだ?」という質問に
「北にある越の国のその先の東の涯、陸奥の国から来たんですね」と答えてみせた、
謎解きのあそびでもあった。/このように、初期の「連歌」には機知的で笑いの要素を
持つ作品が多い・・・
深沢眞二『芭蕉のあそび』(岩波新書,2022)からの引用だが、ナルホドと思うだけで、歌の解釈も
問題ナシオン主権かと(⌒~⌒) 念のために正宗敦夫『金葉和歌集講義』(自治日報社,1968)からも
引いておく(^_^;)
あづまうどの声が北の方に聞えた。東人[アヅマウド]の声ならば東の方に聞ゆべき
筈だのに、北の方に不思議にも聞ゆるよと云ふを受けて、陸奥国[ミチノクニ]から
来たので有らうと云つたのである。越しに来しを添へたのである。陸奥国は東方、
越の国は北方にあるからである。
呆れたのが、橋本不美男(校注・訳)『俊頼髄脳』(本書所収)の「こし」に付された頭注の説明と
付句の訳で、「陸奥」を「北」と誤解し、付合[つけあい]がイミフなものになっちゃってる(^_^;)
「越(こし)」と「来[こ]し」をかける。前句の東・北の対語に対して、
北に関連して「陸奥」と「越」の対語でつける。
奇妙なことに、東国人の声が、北の方から聞えてくることよ
それは、さらに北の陸奥の国から越と通って来たのではなかろうか
川村晃生&柏木由夫(校注)『金葉和歌集』(本書所収)も川村晃生&柏木由夫&伊倉史人(校注)
『金葉和歌集』(本書)も付句を誤訳してしまったため、やはりイミフな付合となっている(^_^;)
東国の人のなまった声が、北の方で聞こえるよ。陸奥の国ではなく越の国から
来たのであろうか。
マッカーサーの仁川上陸作戦のように成功すれば安倍頼時は生き延びられた可能性あるかな(@_@;)
【読んだ本(バカチン2.5冊)】
川村晃生&柏木由夫&工藤重矩(校注)『新日本古典文学大系9 金葉和歌集 詞花和歌集』(岩波書店,1989)所蔵本
橋本不美男&有吉保&藤平春男(校注・訳)『新編日本古典文学全集87 歌論集』(小学館,2002)所蔵本
川村晃生&柏木由夫&伊倉史人(校注)『金葉和歌集』(岩波文庫,2023)所蔵本
・・・/たとえば、第五の勅撰集『金葉和歌集』(一一二六年からその翌年頃の成立)
の巻第十・雑部下には、「連歌」と題された十八組の作品が載っている。その最初は、
「居たりける所の北の方に、声なまりたる人の物言ひけるを聞きて」(私の住まいの
北のほうで、声に訛りのある人が物を言うのを聞いて)という詞書を持つ、
東人[あづまうど]の声こそ北にきこゆなれ 永成法師
陸奥[みちのく]によりこしにやあるらん 権律師慶範
という作品である。永成法師は「北のほうから東国の人の訛りある声が聞こえるぞ」と
五七五を詠んだ。権律師慶範は「陸奥[みちのく]の国から来たんじゃないですか」と
七七を付け加えた。かつて陸奥が日本の東の果てと思われていたゆえの答えである。
また、「こし」は「来し」と「越[こし]」(越の国、越前から越後までの北陸道)の
掛詞だというのが気が利いている。この応酬は東・北の組み合わせに陸奥・越を対置した
言葉のパズルでもあり、また、「北から東国人の声がするのはなぜだ?」という質問に
「北にある越の国のその先の東の涯、陸奥の国から来たんですね」と答えてみせた、
謎解きのあそびでもあった。/このように、初期の「連歌」には機知的で笑いの要素を
持つ作品が多い・・・
深沢眞二『芭蕉のあそび』(岩波新書,2022)からの引用だが、ナルホドと思うだけで、歌の解釈も
問題ナシオン主権かと(⌒~⌒) 念のために正宗敦夫『金葉和歌集講義』(自治日報社,1968)からも
引いておく(^_^;)
あづまうどの声が北の方に聞えた。東人[アヅマウド]の声ならば東の方に聞ゆべき
筈だのに、北の方に不思議にも聞ゆるよと云ふを受けて、陸奥国[ミチノクニ]から
来たので有らうと云つたのである。越しに来しを添へたのである。陸奥国は東方、
越の国は北方にあるからである。
呆れたのが、橋本不美男(校注・訳)『俊頼髄脳』(本書所収)の「こし」に付された頭注の説明と
付句の訳で、「陸奥」を「北」と誤解し、付合[つけあい]がイミフなものになっちゃってる(^_^;)
「越(こし)」と「来[こ]し」をかける。前句の東・北の対語に対して、
北に関連して「陸奥」と「越」の対語でつける。
奇妙なことに、東国人の声が、北の方から聞えてくることよ
それは、さらに北の陸奥の国から越と通って来たのではなかろうか
川村晃生&柏木由夫(校注)『金葉和歌集』(本書所収)も川村晃生&柏木由夫&伊倉史人(校注)
『金葉和歌集』(本書)も付句を誤訳してしまったため、やはりイミフな付合となっている(^_^;)
東国の人のなまった声が、北の方で聞こえるよ。陸奥の国ではなく越の国から
来たのであろうか。
今の時代だと「越」の国はベトナムと勘違いされると言う・・・
さらに、訛り人は東ではなく、むしろ西の方と。
by tai-yama (2024-06-23 22:41)
それなら「越南」ですし、南では(^_^;)
by middrinn (2024-06-24 05:40)
奈良京都から見て、越前・越中・越後は北東だと思っていたので。私
には、3冊共良く判りません。たとえば【大福節用集・日本国全図】
(松島、竹島在り)等。
by df233285 (2024-06-24 06:07)
足利義満の山荘(現・鹿苑寺)は衣笠山の麓にありましたけど、
その衣笠山は北山文化と呼ばれるように「北山」とされますが、
御所から見ると西北(厳密には西北西か)の方角ですよ(^_^;)
実際の方角はどうであれ「越(の国)」も「北(国)」(^_^;)
by middrinn (2024-06-24 15:20)