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230217読んだ本

最下位の頃に評論家達は異口同音に「吉田正尚の前後を誰が打つかがポイント」とコメしてたが、
オリの野手は吉田正尚しか知らず、吉田正尚以外の野手の名が思い付かなかったのだろう(@_@;)
たしかに打線は貧打タイムリー欠乏症で、正尚の孤軍奮闘は正尚個人軍と揶揄されてたけど(^_^;)

【読んだ本】

北山茂夫『藤原道長』(岩波新書,1970→1995特装版「岩波新書 評伝選」)

昨日の続きで、本書の「第2章 クーデターとその後」の「彰子の入内」という見出しの節で入内の
準備に関する次の件(本書66頁)を読んで思ったことが、もう一つある(@_@;)

    ・・・第二に、すくなくとも三〇人はこえる侍女(女房)らの徴募である。
    彰子は一二歳、入内してからも、その教育は侍女たちに委ねなければならない。
    具体的な資料の乏しい後者から書こう。中宮[定子]の方は、すでに一〇年に
    わたって、清少納言をはじめ、すぐれた才女、忠勤を励む女をよりすぐって集め、
    異彩を放っている。中宮大夫の官にもついたことのある道長には、この状況が
    痛いほど焼きついていたはずである。道長は、それをにらみすえながら、昵懇の
    公卿、家司、受領らにいい含め、八方に女をさがしたであろう。宮仕えのこと
    ではあり、道長の御声がかりとあれば、受領、没落に瀕した公卿の家では、
    すすんで女をさしだしたにちがいない。そしてこの女さがしはかなりあとまで
    つづき、やがて、著名な人をあげれば紫式部、赤染衛門、伊勢大輔、和泉式部
    らが姿を現わす。これらすべての女たちがいかにそれぞれ個性的であったかは、
    『紫式部日記』からよくうかがわれる。王朝文化をうみだした生活的根源の一つが
    この侍女グループにあった。なかんずく文人系血脈をひく女が傑出している。
    なお、宮廷のそとの、中くらいの貴族層の家々が王朝ふうな教養に富む女を
    多く育てていた、より一般的事実にも想到せざるをえない。ここにおける
    左大臣道長の役割は、現代風にいえば、最高のスポンサーでプロデューサー
    をも兼ねたものとみなされようか。/・・・

ちなみに、本書は「第3章 寛弘時代の道長」で、中関白家(藤原道隆&皇后定子)側の女房集団と
御堂関白家(藤原道長&中宮彰子)側の女房集団とを次の如く「対比」してる(本書72頁)(@_@;)

    ・・・かれ[=一条天皇]は寵姫定子を失った悲傷はなお癒えていなかったが、
    道長がその側におくりこんだ中宮彰子は、この[寛弘]年代において、少女から
    女の豊熱へと匂いやかな成長をきわだたせている。そしてその座所に属した局には、
    紫式部、赤染衛門らの才女たちが、亡き后にかしずいた女房たちとは異なる雰囲気
    をつくっていた。その対比を、季節にたとえれば、中関白家の人々の気風は
    早春の生気であり、左大臣家の集団のそれは中秋の充実性であろうか。その差異は、
    生家とヒロインの個性に根ざすばかりでなく、より多く女房群の集団の創造性に
    もとづくことは、もう少しさきのところで詳察したいとおもう。/・・・

さて、さて、さ~て!名が列挙されてるように彰子側の女房には有名タレントが集まっているのに、
定子側の女房は清少納言の名しか挙げられていないけど、他に有名タレントはいないのかな(@_@;)

『枕草子』は拾い読みしただけだからなぁと反省しつつ探したら、見落としがあるかもしれないが、
藤原道隆の二女で定子の妹の藤原原子が春宮(居貞親王=三条天皇)に入内する段で淑景舎(原子)
付きの女房の中にいたイタ━━━━゚+.ヽ(≧▽≦)ノ.+゚━━━━!!! イタヨイタヨヽ(゚∀゚=゚∀゚)ノイチャッタヨ-!!!

その「宰相の君」=参議菅原輔正女(菅典侍)を、萩谷朴(校注)『新潮日本古典集成 枕草子 下』
(新潮社,1977→2012年14刷)巻末附録の「枕草子現存人名一覧」は次のように紹介してる(⌒~⌒)

    ・・・長元八年五月十六日左大臣頼通歌合の左方和歌清書人であり、天喜四年三月
    三十日皇后宮春秋歌合には、左方和歌清書人に予定していた[故源顕基の妻]行成女
    が触穢のために、この菅典侍に依頼したが、所労[=病気]と称して辞退したので、
    やむなく源兼行が担当したというほど、能書として知られていた・・・

菅典侍は後一条天皇の乳母になってるから、中関白家が没落して彰子側に宮仕えしたのかな(@_@;)

藤原実資が「菅丞相(菅原道真)の自筆の草書一巻」を菅原孝標(『更級日記』作者の父)ではなく
菅原忠貞(菅原輔正の孫で、菅典侍の甥)に与えたのは、実は意味があったのかもしれない(@_@;)

・書道の神様とされている菅原道真は実は能書ではなかったと春名好重『上代能書伝』は断定(^_^;)

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-08-20

・藤原実資が「隠し置いていた」菅原道真の「自筆の草書一巻」、そもそも何で持ってるんだ(@_@;)

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-06-15
タグ:評伝 書道 歴史
コメント(6) 
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コメント 6

df233285

ホント。どこの世界も、評論家のそのときの言なんて、ほとんど
あてになりませんよね。「32bit、64bitのパソコンの
時代が来れば、世界は大きく変わるだろう」という言が、8bit
16bitのパソコンが出回っていたときには、雑誌「日経エレ」
なんかに、複数出ていたように記憶するけど。実際には、いまも軽
く巧みなアプリケーション・ソフトウェアーで、16bitpcで
しか動作し無いものが多数なんで。フロッピーディスケットが
完動して、ディスプレーがそこそこ明るいのがあれば、win11
pcなんかよりも購入したい位ですわ。フォルダ内全検索が意味の、

初期バージョンのころのmifesの「ワールド検索機能」なんて、
winのエクスプローラーより検索漏れが無くて、最高

でしたよねぇ。そのころの某E社pcのディスプレー、劣化して、
液漏れしなけりゃ良かったんですがねぇ。ちなみに、画面が暗い
機種のは、どういうわけか、ディスプレー30年近くもってます。
ディスプレー端子が、その時代のはバラバラなんで、外とつながら
ないので、いかんともしがたいのですが。
by df233285 (2023-02-18 09:07) 

middrinn

野球評論家のほとんどは、パリーグの試合など観ていないからでしょうし、
ましてBクラスが常連のチームなんか眼中に置かないからでしょう(+_+)
定子のサロンの女房として清少納言の名しか挙がらぬのも同じかと(^_^;)
早急にwin10か11のを買わねばならない事態に追い込まれましたよ(+_+)
そのためには数年来の課題である部屋の片付けを緊急にしないと(ノ_-;)ハア…
by middrinn (2023-02-18 11:30) 

ナベちはる

他の選手も実力があってプロに入った選手なわけなので、名前が出てこないというのは失礼ですよね(^^;
by ナベちはる (2023-02-18 11:44) 

middrinn

野球評論家になれるのはプロ野球でそこそこ活躍した元選手ですから、
Bクラスの常連で最下位チームの選手には上から目線だったり(^_^;)
最下位から優勝した2021年は打撃成績が重視されると言われるベスト
ナインに選出された杉本裕太郎と宗佑磨は新人じゃないですし(^_^;)
by middrinn (2023-02-18 12:52) 

tai-yama

清少納言の前後を固める女房がいれば中関白家(西村監督)も最下位に
転落しなかったのに・・・。道長(中嶋監督)の方は戦力を育てて、
さらに中関白家からも外人補強までしたと言う。
by tai-yama (2023-02-18 19:12) 

middrinn

( ^o^)ノ◇ 山田く~ん リーグ優勝&日本一座布団1枚 ♪
中関白家は藤原道隆が身内の官位ばかり引き上げたために貴族
社会からは浮いていたようですが、オリ西村前監督も依怙贔屓
としか思えぬ選手起用・采配でファンからは総スカン(^_^;)
特に鈴木昴平と小島脩平をやたら起用したがって、「隙あらば
昴平」「隙あらば小島」とネット上で揶揄されました(^_^;)
by middrinn (2023-02-18 20:19) 

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