230207読んだ本【バカチン】
ポイント当たるスロットが今回も無いので楽天市場お買い物マラソンはエントリーもせず(-ω-、)
とはいっても、前々回の時のスロットは一回も当たらなかったけどね〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ
【読んだ本】
海音寺潮五郎『武将列伝(四)』(文春文庫,1975→『武将列伝 戦国終末篇』2008新装版)所蔵本
・・・/彼の鴆殺[ちんさつ]説は勿論虚伝だ。江戸の家康と仙台の政宗と、
油断のならぬ人間同士の間に据えた氏郷を、数年ならずして毒殺しようとは、
秀吉としてあるまじきことだ。到底信じられないことだ。しかし、彼には、
或時政宗が毒を仕込んだ茶をすすめたという話がある。氏郷はそれを毒と
知りつつ飲んだ。そして外へ出るや否や西大寺を服して吐いてしまったという。
或は政宗と彼の間には、そうした事実もあったろうか?/
森銑三『偉人暦(上)』(中公文庫,1996)の「二月七日 蒲生氏郷」から引いたけど、蒲生氏郷と
伊達政宗は色々と対立してたような(@_@;) 本書(両書)の「蒲生氏郷」から引く(@_@;)
・・・/氏郷と政宗とは、大崎の一揆のおこる以前から領分の境目論などで
不和であったようだ。こんな話が蒲生軍記に出ている。/安達ガ原は蒲生家
の所領であったが、その近くの黒塚は自分の領分であると伊達家では主張し、
公訴になった。その時、氏郷が、/「平兼盛の歌に『陸奥の安達の原の黒塚に
鬼こもれりと人や見るらん』というのがござる。されば黒塚は安達ガ原のうち
ではござるまいか」/と言ったので、氏郷の勝訴になったというのだ。/・・・
チト不審な点に気付いたけど、南條範夫『武家盛衰記』(文春文庫,2010)の「蒲生氏郷」とwikiの
「蒲生氏郷」の項からも、順に引く(@_@;)
・・・しぶとい政宗は、この後も、常に氏郷の領土を狙い、事毎に文句をつけ、
争いを起こしている。/両者の国境近くにある安達原は蒲生領と認められていたが、
その川向うにある黒塚は伊達領だと、政宗が強く主張した時、氏郷は、『拾遺集』
の平兼盛の、/──陸奥の安達ヶ原の黒塚に鬼こもれりといふはまことか/という
歌を引き、昔から黒塚は安達原に属しているから、当然蒲生領だと反駁して勝利を
得たこともある。/氏郷はかなり文事を解したらしい。/・・・
氏郷が会津に入ると、隣国の政宗と領地の境界をめぐって度々対立した。
ある時、政宗は氏郷領内の安達が原の川を挟んだ向かいにある黒塚は
自分の領土だと難癖をつけてきた。しかし氏郷は「みちのくの安達が原の
黒塚に鬼こもれりといふはまことか」と拾遺和歌集に載っている平兼盛の歌
を引用して自分の領地であることを主張し、政宗を黙らせた。
同歌の第五句を、本書(『蒲生軍記』)は「人や見るらん」、南條範夫やwikiは「いふはまことか」
(おそらく能の「黒塚」「安達原」のかと)としているが、『拾遺和歌集』では「聞くはまことか」
(小町谷照彦[校注]『新日本古典文学大系7 拾遺和歌集』[岩波書店,1990]、小町谷照彦&倉田
実[校注]『拾遺和歌集』[岩波文庫,2021])、『拾遺抄』(竹鼻績『拾遺抄注釈』[笠間書院,
2014])や『大和物語』(柿本奨『大和物語の注釈と研究』[武蔵野書院,1981])でも「聞くは
まことか」となっているので、南條範夫とwikiは「『拾遺集』の」「拾遺和歌集に載っている」と
する以上は間違いヾ(`◇´)ノ それはさておき、小生がチト不審に思ったのは別の点である(@_@;)
・平兼盛は「伝説」の「鬼」のこと=「鬼女伝説」を詠んだと苑子タンは思い込んでるが、この歌は
「女性」(しかも若い「女性」)を「鬼」と詠んでからかった歌ヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-11-02
とはいっても、前々回の時のスロットは一回も当たらなかったけどね〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ
【読んだ本】
海音寺潮五郎『武将列伝(四)』(文春文庫,1975→『武将列伝 戦国終末篇』2008新装版)所蔵本
・・・/彼の鴆殺[ちんさつ]説は勿論虚伝だ。江戸の家康と仙台の政宗と、
油断のならぬ人間同士の間に据えた氏郷を、数年ならずして毒殺しようとは、
秀吉としてあるまじきことだ。到底信じられないことだ。しかし、彼には、
或時政宗が毒を仕込んだ茶をすすめたという話がある。氏郷はそれを毒と
知りつつ飲んだ。そして外へ出るや否や西大寺を服して吐いてしまったという。
或は政宗と彼の間には、そうした事実もあったろうか?/
森銑三『偉人暦(上)』(中公文庫,1996)の「二月七日 蒲生氏郷」から引いたけど、蒲生氏郷と
伊達政宗は色々と対立してたような(@_@;) 本書(両書)の「蒲生氏郷」から引く(@_@;)
・・・/氏郷と政宗とは、大崎の一揆のおこる以前から領分の境目論などで
不和であったようだ。こんな話が蒲生軍記に出ている。/安達ガ原は蒲生家
の所領であったが、その近くの黒塚は自分の領分であると伊達家では主張し、
公訴になった。その時、氏郷が、/「平兼盛の歌に『陸奥の安達の原の黒塚に
鬼こもれりと人や見るらん』というのがござる。されば黒塚は安達ガ原のうち
ではござるまいか」/と言ったので、氏郷の勝訴になったというのだ。/・・・
チト不審な点に気付いたけど、南條範夫『武家盛衰記』(文春文庫,2010)の「蒲生氏郷」とwikiの
「蒲生氏郷」の項からも、順に引く(@_@;)
・・・しぶとい政宗は、この後も、常に氏郷の領土を狙い、事毎に文句をつけ、
争いを起こしている。/両者の国境近くにある安達原は蒲生領と認められていたが、
その川向うにある黒塚は伊達領だと、政宗が強く主張した時、氏郷は、『拾遺集』
の平兼盛の、/──陸奥の安達ヶ原の黒塚に鬼こもれりといふはまことか/という
歌を引き、昔から黒塚は安達原に属しているから、当然蒲生領だと反駁して勝利を
得たこともある。/氏郷はかなり文事を解したらしい。/・・・
氏郷が会津に入ると、隣国の政宗と領地の境界をめぐって度々対立した。
ある時、政宗は氏郷領内の安達が原の川を挟んだ向かいにある黒塚は
自分の領土だと難癖をつけてきた。しかし氏郷は「みちのくの安達が原の
黒塚に鬼こもれりといふはまことか」と拾遺和歌集に載っている平兼盛の歌
を引用して自分の領地であることを主張し、政宗を黙らせた。
同歌の第五句を、本書(『蒲生軍記』)は「人や見るらん」、南條範夫やwikiは「いふはまことか」
(おそらく能の「黒塚」「安達原」のかと)としているが、『拾遺和歌集』では「聞くはまことか」
(小町谷照彦[校注]『新日本古典文学大系7 拾遺和歌集』[岩波書店,1990]、小町谷照彦&倉田
実[校注]『拾遺和歌集』[岩波文庫,2021])、『拾遺抄』(竹鼻績『拾遺抄注釈』[笠間書院,
2014])や『大和物語』(柿本奨『大和物語の注釈と研究』[武蔵野書院,1981])でも「聞くは
まことか」となっているので、南條範夫とwikiは「『拾遺集』の」「拾遺和歌集に載っている」と
する以上は間違いヾ(`◇´)ノ それはさておき、小生がチト不審に思ったのは別の点である(@_@;)
・平兼盛は「伝説」の「鬼」のこと=「鬼女伝説」を詠んだと苑子タンは思い込んでるが、この歌は
「女性」(しかも若い「女性」)を「鬼」と詠んでからかった歌ヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-11-02
政宗からしたら「(黒塚の)オニはーうち(のもの)」と言う心境だった
のかも(笑)。政宗が恵方巻を食べていたら方角は安達ケ原・・・
by tai-yama (2023-02-07 23:45)
スロットに魅力を感じなければ、エントリーを見送りするのもアリですね(゜゜)
by ナベちはる (2023-02-08 01:07)
( ^o^)ノ◇ 山田く~ん 座布団1枚 ♪ よく思い付きますねぇ(^_^;)
tai-yama様は、その類い稀な才能を活かせる職場なのだろうか(^_^;)
恵方巻は子供の頃は無かったですし、未だに食べたこと無いです(^_^;)
by middrinn (2023-02-08 05:23)
変な話、小生なんかスロットをしたいがために、
ナベちはる様、エントリーしてました(^_^;)
んで、ポイント当たれば買い物すると(^_^;)
だから、買う予定の無かった買い物も(^_^;)
今回は無駄遣いせずに済んで良かった(^_^;)
by middrinn (2023-02-08 06:49)
本文の話。蒲生氏郷の勝利の話そのもののが、私には
初耳でした。なるほど、近江の国方面から、漆の漆器
等、都の文化を福島県に導入した領主は、京都の雅と
も言える和歌にも詳しかったのですね。会津若松市で
は、戊辰戦争に無関係でかつ、元々の土地の領主ではなく、
刀狩り時代の為、蒲生氏の会津若松市市内政策に関しては、
比較的低い歴史評価教育が、少なくとも昭和の時代には、
市内で行われていたと、出身者に聞いたことがあります。
by df233285 (2023-02-08 08:31)
海音寺潮五郎は本書で「・・・彼は少年の時学問が好きで、儒学・仏道・和歌
ともに身を入れて学び、あまりにそれに深入りしたことを後悔している彼の
手紙がのこっているほどであるから、・・・」と紹介し、『蒲生軍記』の別の
逸話を紹介し、「こういう古歌を引用したところ、氏郷の歌道の嗜みのほども
しのばれて、ゆかしいかぎりである。/歌道といえば、氏郷に中山道を通って
京上りする時の彼の紀行文があって、続群書類従におさめてある。蒲生軍記に
も収めてある。文章も流麗な和文であるが、中に九首の歌がある。さしてよい
歌はないが、調べがよくととのって、ふつつかなものは一首もない。/・・・
/戦国武人としては出色の歌人であったことがわかるのである。」と評(^_^;)
ただ、本文の逸話は、第五句が『拾遺和歌集』と異なる故、能の有名な「黒塚」
あるいは「安達原」から創作されたものかと愚考(^_^;) だとしても、氏郷が
歌人としても知られていたので不自然とは思われずに伝わったものかと(^_^;)
刀狩りで低評価に( ̄◇ ̄;) 保科正之の評価によって上書きされてそう(^_^;)
by middrinn (2023-02-08 10:20)