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221208読んだ本

その新解釈に研究者も惹かれ学界で有力説となった小説、作品名の漢字2文字の読み方が判らぬ(@_@;)

【読んだ本】

細川重男『鎌倉幕府抗争史 御家人間抗争の二十七年』(光文社新書,2022)

細かいミスもある本書だが(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-12-07 )、
源実朝殺害事件に関する「黒幕はいたのか」という見出しの節で、「三浦義村説」を次のように紹介
している(本書239頁)(@_@;)

    小説家永井路子が連作小説『炎環[えんかん]』中の「覇樹[はき]」(同氏一九六四)
    で公表し、歴史研究者の石井進氏が『鎌倉幕府』(同氏一九六五)で賛同して、昔から
    あった[北条]義時説に匹敵する有力説となった。/・・・

「覇樹」は「はき」と読むのか( ̄◇ ̄;)マジッ!? 手元にあった永井路子『炎環』(文春文庫,1978)を
確認するもルビは無いので、図書館で『永井路子歴史小説全集 第8巻 炎環』(中央公論社,1995)も
見たけど読み方は出ていないし、『作品名よみかた辞典』の類いも数冊調べたが載ってない(@_@;)
ネット検索すると、「Webcat Plus」が「著作名ヨミ」を「ハジュ」としており、小生も「はじゅ」が
適してる気がする(@_@;) この短・中篇小説が描いているのは「四郎」こと北条義時で、タイトルの
「覇樹」も義時を指していると思われるけど、(征夷大)将軍の異名である「大樹」が「たいじゅ」
と読むから、同じような語感で「はじゅ」かなと(@_@;) ちなみに、上記全集あとがきで永井路子は
「炎環」を「私の造語」と書いていたので、おそらくは「覇樹」も永井路子の「造語」かと(@_@;)

なお、本書231頁に「[源頼家の次男の善哉(その法名が公暁)の]乳母夫は三浦義村(建永元年十月
二十日条)。」、更に本書235頁にも「公暁はここから乳母夫であり、門弟駒若丸の父である三浦義村
に使者を送り、/・・・」とあるが、高橋秀樹『対決の東国史2 北条氏と三浦氏』(吉川弘文館,2021
https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-10-01 )に、公暁の「乳母夫」とするの
は「史料[『吾妻鏡』建永元年(1206年)10月20日条]の誤読」で、義村は実朝の「乳母夫」と(^^)
タグ:歴史 小説
コメント(6) 
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コメント 6

tai-yama

きっと作者も"覇樹"の読み方がわからなくて、"はじゅかしい"
と思ったり(笑)。実朝・信長、殺害の黒幕はこの先の研究が
進んだとしても分かることはないだろうな・・・
by tai-yama (2022-12-08 22:45) 

ナベちはる

「覇樹」、漢字だけ見たら「はじゅ」「はき」「はいつき」…候補はいろいろとありそうですね(^^;)
by ナベちはる (2022-12-09 00:26) 

middrinn

( ^o^)ノ◇ 山田く~ん 作者も読み方がわからなくて"はじゅかしい"座布団1枚 ♪
tai-yama様、ワシが育てた風にワシが命じたと自慢する人が当時もいたりして(^_^;)
ちなみに、現在は公暁の単独犯行説を支持する研究者が増えているみたいです(^_^;)
by middrinn (2022-12-09 05:58) 

middrinn

一番びっくりしたのは、ネット検索したら、「覇樹」は名前として、
ナベちはる様、使われてて「はるき」と読ませてることです(^_^;)
この作品を作者の永井路子がどこかで語ってないか探すしか(^_^;)
本書が「はき」というルビを振った根拠を知りたいものです(^_^;)
by middrinn (2022-12-09 06:31) 

df233285

そういえば「うやむやになり、黒幕が判らなくなる
パターン」の常かと思うのだが・・
web上だけでかどうかは実際には謎だが。安倍晋三
殺害の黒幕も、願望で単独犯説が流行った方が良い
との空気が、政治的立ち位置が逆でも共通だったのか。
さいきんでは何か、更なる追及自体がタブー視される
ようになって来たように見える。私見ではつまりいっ
しょ。「木を隠すなら森の中」のパターンであるから、
三浦義村等、御家人の誰かとみなすのは頭が良い女性。
自己判断で死刑の長沼宗政などでも、誰でも良いかも。

by df233285 (2022-12-09 08:00) 

middrinn

世間では陰謀論が流行っているのに、陰謀論の一種である黒幕説が
源実朝暗殺事件に関しては廃れてきてるのが面白いですね(^_^;)
源実朝から畠山重忠の遺児重慶の生け捕りを命じられたのに殺して
きて叱責されたら「逆切れ」した長沼宗政の話も本書217~218頁
で紹介されてますけど、たしかに動機面で相応しいですね(^_^;)
梶原景時を弾劾する御家人の連署状について「人々は各々、訴状に
花押(サイン)を記した。ところが、結城朝光の兄であるにもかか
わらず、長沼宗政だけは姓名は載せたものの花押は書かなかった。
武闘派で聞こえた宗政だが、景時を恐れたのである。」と本書63頁
にありましたが、小生は知らなかったので興味深かったです(^_^;)
by middrinn (2022-12-09 09:31) 

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