220223昨日買った本&読んだ本
千円以下で買えなかったけど得られた知識はプライスレスv( ̄∇ ̄)ヾ(-_-;)上手いこと言ったつもり?
【昨日買った本&読んだ本】
雨海博洋編『新典社研究叢書 歌語りと説話』(新典社,1996)
Amazonマケプレ出品者「不死鳥BOOKS【古書組合加盟店】コンビニ決済可能/迅速発送」から1877円
「可」をAmazonギフト券304円&Amazonポイント159円使って1414円で20日注文し22日届いた(^_^;)
コンディションは「中古品 - 可 - 函付。函に多少の汚れがあります。多少のヤケがあります。最終
ページに紙の剥がし跡があります。」と説明されていた通りだけど、書き込み等は見当たらないし、
個人的には「良い」と「非常に良い」の間かなヤッタネ!!(v゚ー゚)ハ(゚▽゚v)ィェーィ♪ 「函」付きの本なのに、
プチプチ等で梱包されてないけど、追跡可能なレターパックプラスゆえ問題ナシオン主権ウラー!(^o^)丿
当初2000円を超えてたのが値下げ競争で毎日1~数円下がり続けてたけど止まったので注文した(^_^;)
序(神作光一)
雨海博洋 「歌語りと説話」と私
福井貞助 歌物語の行方──平安朝歌語り基盤との関わりについての素描──
中田武司 歌語りと説話断片──枕草子の創造──
針原孝之 大伴家持と歌語り
山田清市 『伊勢物語』の構成手法をめぐって
松田喜好 「伊勢物語の生長」試論
水原一 業平詠「忘れては夢かとぞ思ふ」
松本寧至 大和物語小考──仏教的視点から──
岡山美樹 歌語りに生きた女性たち──としこ と 藍の命婦──
杉谷寿郎 後撰集と大和物語(六八・七四段)
柳田忠則 『大和物語』覚書──『後撰集』との関わりの一面──
山崎正伸 歌語り享受の重層性──大和物語の読みの一側面──
森本茂 「小倉山」再考
半田公平 寂蓮の『伊勢物語』『大和物語』の受容歌をめぐって
松田存 『大和物語』をめぐる謡曲説話の形成
今西幹一 吉井勇の歌物語『水荘記』について──その序説──
高橋貢 伴大納言が応天門に放火した話
──『宇治拾遺物語』(一一四)についての一考察──
千葉覚 藤原朝成について──怨霊説話をめぐって──
志村有弘 高階業遠説話の背景──『古事談』の説話を視座として──
梶原正昭 合戦伝承・武人説話の展開
──後藤内則明のいくさ語りを手がかりとして──
磯水絵 『古今著聞集』の『台記』受容──巻第六、管弦歌舞篇第七を中心に──
清水義秋 土左日記本文の批評と解釈──「よくくらべつる」は原形にあらず──
高橋良雄 滝尾本後撰和歌集──そのイ本注記について──
下玉利百合子 〈伊周像〉二つの選択に惑う──二九五段「明王の眠り」をめぐって──
上坂信男 『源氏物語』の物語歌──独泳歌遡源──
小谷野純一 『源氏物語』夕顔巻における〈霊物〉の介在をめぐって
井上宗雄 中御門宗家について
青山忠一 『為愚痴物語』巻一、第十六「養生の道しる事」の和歌と説話の
典拠をめぐって
雨海博洋 年譜
雨海博洋 業績一覧
あとがき(山崎正伸)
「雨海博洋頌寿記念論集」ゆえヴァラエティに富んでる(^_^;) 森本茂の論文の書き出しを引く(゚ロ゚;)
/小倉山(二九三米)は、大井川をはさんで嵐山(三七五米)と対峙する山で、
お椀を伏せたような優美な形をしていて、遠くからでもよく目立つ山である。/
ところで、平安時代の「小倉山」はこの山ではなく、今の嵐山のこととされている。
香川景樹は『百首異見』の中で「小倉山は今いふ嵐山也。此事門人穂井田忠友が
著せる名蹟臆断にくはしく弁じたれば、ここにいはず」といい、『日本国語大辞典』
(小学館)の「小倉山」②[←四角の中に漢数字二]項も「嵐山のこと」としている。
さらに、増田繁夫氏は「小倉山・嵐山異聞」において、例証をあげてこの説を
補強され、中世に入ってから従来の「亀山」を「小倉山」と称するようになった
といわれた。/・・・
森本茂は『大和物語の考証的研究』(和泉書院研究叢書,1990)や『大和物語全釈』(小生未見)では
平安時代の「小倉山」=今の小倉山・亀尾山・嵐山の総称説(『大和物語の考証的研究』によると、
掘永休編著『嵯峨記』が上記三山+愛宕山に及ぶ諸山の総称説)だったから、この論文で香川景樹&
増田繁夫説に改説したようだが、平安時代の「小倉山」が今の小倉山ではなくて嵐山だったとすると
(「嵐の山」「嵐山」とも呼ばれてた由)、影響するところが広範囲に及び、衝撃的である( ̄◇ ̄;)
しかも、藤原定家が今の小倉山(平安時代は「亀山」と呼ばれた由)を「小倉山」とし、子の為家や
孫の為氏・為相、『古今著聞集』『撰集抄』は踏襲したけど、『平家物語』や『増鏡』は平安時代の
ように嵐山を「小倉山」と理解してたとあるから複雑である( ̄◇ ̄;) この論文も以上のことを例証
しているけど、念のため井上宗雄(全訳注)『増鏡(中)』(講談社学術文庫,1983)で確認すると、
語釈や解説にその旨の指摘は無いが、たしかに「小倉の山」は嵐山と解するのが自然である( ̄◇ ̄;)
目崎徳衛(日本歴史学会編集)『西行』(吉川弘文館人物叢書,1980→1989新装版)には、
・・・
秋の末に法輪にこもりて詠める
わがものと秋の梢を思ふかな 小倉の里に家居しより
この作によれば、[西行の]草庵は大堰川の左岸の[現在の]小倉山の麓、または
対岸の[嵐山の麓の]法輪寺の辺、あるいはその寺域内にあったものであろうか。
/・・・
という、どっちなんだよ!的な記述があるが、後者が正解ということか〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ
【昨日買った本&読んだ本】
雨海博洋編『新典社研究叢書 歌語りと説話』(新典社,1996)
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「可」をAmazonギフト券304円&Amazonポイント159円使って1414円で20日注文し22日届いた(^_^;)
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個人的には「良い」と「非常に良い」の間かなヤッタネ!!(v゚ー゚)ハ(゚▽゚v)ィェーィ♪ 「函」付きの本なのに、
プチプチ等で梱包されてないけど、追跡可能なレターパックプラスゆえ問題ナシオン主権ウラー!(^o^)丿
当初2000円を超えてたのが値下げ競争で毎日1~数円下がり続けてたけど止まったので注文した(^_^;)
序(神作光一)
雨海博洋 「歌語りと説話」と私
福井貞助 歌物語の行方──平安朝歌語り基盤との関わりについての素描──
中田武司 歌語りと説話断片──枕草子の創造──
針原孝之 大伴家持と歌語り
山田清市 『伊勢物語』の構成手法をめぐって
松田喜好 「伊勢物語の生長」試論
水原一 業平詠「忘れては夢かとぞ思ふ」
松本寧至 大和物語小考──仏教的視点から──
岡山美樹 歌語りに生きた女性たち──としこ と 藍の命婦──
杉谷寿郎 後撰集と大和物語(六八・七四段)
柳田忠則 『大和物語』覚書──『後撰集』との関わりの一面──
山崎正伸 歌語り享受の重層性──大和物語の読みの一側面──
森本茂 「小倉山」再考
半田公平 寂蓮の『伊勢物語』『大和物語』の受容歌をめぐって
松田存 『大和物語』をめぐる謡曲説話の形成
今西幹一 吉井勇の歌物語『水荘記』について──その序説──
高橋貢 伴大納言が応天門に放火した話
──『宇治拾遺物語』(一一四)についての一考察──
千葉覚 藤原朝成について──怨霊説話をめぐって──
志村有弘 高階業遠説話の背景──『古事談』の説話を視座として──
梶原正昭 合戦伝承・武人説話の展開
──後藤内則明のいくさ語りを手がかりとして──
磯水絵 『古今著聞集』の『台記』受容──巻第六、管弦歌舞篇第七を中心に──
清水義秋 土左日記本文の批評と解釈──「よくくらべつる」は原形にあらず──
高橋良雄 滝尾本後撰和歌集──そのイ本注記について──
下玉利百合子 〈伊周像〉二つの選択に惑う──二九五段「明王の眠り」をめぐって──
上坂信男 『源氏物語』の物語歌──独泳歌遡源──
小谷野純一 『源氏物語』夕顔巻における〈霊物〉の介在をめぐって
井上宗雄 中御門宗家について
青山忠一 『為愚痴物語』巻一、第十六「養生の道しる事」の和歌と説話の
典拠をめぐって
雨海博洋 年譜
雨海博洋 業績一覧
あとがき(山崎正伸)
「雨海博洋頌寿記念論集」ゆえヴァラエティに富んでる(^_^;) 森本茂の論文の書き出しを引く(゚ロ゚;)
/小倉山(二九三米)は、大井川をはさんで嵐山(三七五米)と対峙する山で、
お椀を伏せたような優美な形をしていて、遠くからでもよく目立つ山である。/
ところで、平安時代の「小倉山」はこの山ではなく、今の嵐山のこととされている。
香川景樹は『百首異見』の中で「小倉山は今いふ嵐山也。此事門人穂井田忠友が
著せる名蹟臆断にくはしく弁じたれば、ここにいはず」といい、『日本国語大辞典』
(小学館)の「小倉山」②[←四角の中に漢数字二]項も「嵐山のこと」としている。
さらに、増田繁夫氏は「小倉山・嵐山異聞」において、例証をあげてこの説を
補強され、中世に入ってから従来の「亀山」を「小倉山」と称するようになった
といわれた。/・・・
森本茂は『大和物語の考証的研究』(和泉書院研究叢書,1990)や『大和物語全釈』(小生未見)では
平安時代の「小倉山」=今の小倉山・亀尾山・嵐山の総称説(『大和物語の考証的研究』によると、
掘永休編著『嵯峨記』が上記三山+愛宕山に及ぶ諸山の総称説)だったから、この論文で香川景樹&
増田繁夫説に改説したようだが、平安時代の「小倉山」が今の小倉山ではなくて嵐山だったとすると
(「嵐の山」「嵐山」とも呼ばれてた由)、影響するところが広範囲に及び、衝撃的である( ̄◇ ̄;)
しかも、藤原定家が今の小倉山(平安時代は「亀山」と呼ばれた由)を「小倉山」とし、子の為家や
孫の為氏・為相、『古今著聞集』『撰集抄』は踏襲したけど、『平家物語』や『増鏡』は平安時代の
ように嵐山を「小倉山」と理解してたとあるから複雑である( ̄◇ ̄;) この論文も以上のことを例証
しているけど、念のため井上宗雄(全訳注)『増鏡(中)』(講談社学術文庫,1983)で確認すると、
語釈や解説にその旨の指摘は無いが、たしかに「小倉の山」は嵐山と解するのが自然である( ̄◇ ̄;)
目崎徳衛(日本歴史学会編集)『西行』(吉川弘文館人物叢書,1980→1989新装版)には、
・・・
秋の末に法輪にこもりて詠める
わがものと秋の梢を思ふかな 小倉の里に家居しより
この作によれば、[西行の]草庵は大堰川の左岸の[現在の]小倉山の麓、または
対岸の[嵐山の麓の]法輪寺の辺、あるいはその寺域内にあったものであろうか。
/・・・
という、どっちなんだよ!的な記述があるが、後者が正解ということか〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ
小倉百人一首ではなく嵐山百人一首だったとは・・・・
亀山だとひらがな4文字だし、小倉山の方が5文字で都合が良い理由
とかもあったり。
by tai-yama (2022-02-24 00:00)
思っていた以上にいい状態で本を入手、嬉しいですね☆彡
by ナベちはる (2022-02-24 01:23)
「小倉百人一首」は、嵐山ではなく、
tai-yama様、亀山を「小倉山」と
呼んだ藤原定家の編纂なので(^_^;)
by middrinn (2022-02-24 05:13)
「可」と記載されてても、この出品者のは、
ナベちはる様、「良い」以上です(^_^;)
by middrinn (2022-02-24 05:32)
wikiでは、嵐山が375mではなくて382m(2011頃?)、
小倉山が293mではなくて296m(同)になってる。平安時代に、
地殻変動か桂川の洪水浸食で、地形が急変するような要因でも、もし
かすると有るんだろうか?
by df233285 (2022-02-24 07:49)
1996年に本書が刊行された時には「あとがき」によると森本茂は亡くなっていた由、
1996年以前のデータなのでしょう(^_^;) その後、盛り土が・・ヘ(__ヘ)☆\(^^;
by middrinn (2022-02-24 07:59)