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211209読んだ本

読書の厄介なところは、ヨイショの志ん駒も兜を脱ぎそうなヨイショである〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)
古今亭志ん駒『志ん生最後の弟子 ヨイショ志ん駒一代』(うなぎ書房,2002)は読了済かな(@_@;)

【読んだ本】

橘健二&加藤静子(校注・訳)『新編日本古典文学全集34 大鏡』(小学館,1996)

    ・・・/この殿(道長)が、何か事ある折にお作りになった漢詩や和歌などは、
    白居易・[柿本]人麿・[凡河内]躬恒・[紀]貫之などといっても、とても
    ようこうは思いつかなかったろうと思われます。/・・・

本書314頁の訳を引いたけど、『大鏡』は藤原道長を讃えるために書かれたとはいえ、漢詩は白楽天、
和歌は柿本人麻呂や紀貫之よりも、道長の方が優れているというヨイショには、流石に苦笑い(^_^;)

道長の漢詩の作品は知らないし漢詩のことは解らないけど、道長が和歌に自信があったことは、日記
『御堂関白記』から判るし(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-10-13 )、
その実力も意外にある(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-11-15 )(^_^;)

さて、人麻呂と貫之は歌聖で(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-06-03 )、
その優劣が議論にもなったが(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-05-27 )、
人麻呂・貫之と並べて、凡河内躬恒の名を挙げているのが、チト気になる(@_@;) モチ凡河内躬恒は
『古今和歌集』撰者の一人で優れた歌人だけど、人麻呂・貫之と並称されるほどかね(@_@;) コレが
『大鏡』成立当時の一般的な歌人評価に基づくものなのか、単に『大鏡』作者の躬恒推しか(@_@;)

醍醐天皇の命で躬恒が詠んだ歌に感心された天皇が自ら大袿を下賜されると更に素晴しい歌を躬恒が
詠んだ『大和物語』132段の話を『大鏡』も紹介し、ソレに加えた評を本書415頁の訳で引く(@_@;)

    ・・・このような身分の低い者に、御階[みはし]の下近く召し寄せて、
    天皇じきじきのご褒美をご下賜になることなどなさるべきではありませんが、
    それを非難申しあげる人がないのも、君たるお方が重々しくいらっしゃり、
    また一方では、躬恒が和歌の道において世間から認められていたからだと
    思いましたよ。・・・

「大袿を賜わるのは下賜の事情にもよろうが、概してかなりの高官だったのではあるまいか。八位相当
の卑官の躬恒にとっては、破格の光栄である。」と今井源衛『大和物語評釈 下巻 笠間注釈叢刊28』
(笠間書院,2000)にもあるのに「非難」が無かったとなると、醍醐朝で「世間から認められていた」
歌人としての格は高かったのか(@_@;) にしても、「白居易・人麿・躬恒・貫之」には違和感(^_^;)
タグ:歴史 和歌
コメント(4) 
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コメント 4

tai-yama

柿本人麻呂も天皇ヨイショ・・・って前、書かれていた様ないない
様な(うろ覚え)。「白居易・人麿・躬恒・貫之」実はヨイショの
達人順だったり(笑)。
by tai-yama (2021-12-09 23:27) 

ナベちはる

「白居易・人麿・躬恒・貫之」には、何かの順番があるかもしれませんね(^^;
by ナベちはる (2021-12-10 00:47) 

middrinn

拙ブログでは『栄花物語』作者の赤染衛門が藤原頼通を
ヨイショした歌を最近紹介しました(^_^;) 貫之の方が、
tai-yama様、ヨイショ歌の数は多い気がします(^_^;)
by middrinn (2021-12-10 07:16) 

middrinn

フツー「人麻呂・貫之」がセット扱いなので、
間に躬恒が入っているというのは、たしかに、
ナベちはる様、何か意味があるのかも(^_^;)
by middrinn (2021-12-10 07:24) 

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