SSブログ

211025読んだ本

読書の厄介なところは、電子書籍だと誤読しそうな個人的不安である〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ
珍しく選挙公報が昨日投函されてた(゚o゚;) ネットで見られるらしいが小生は紙じゃないとダメ(^_^;)
パソコンで書いた原稿とか何度も何度も確認した上で印刷するのに何故か誤植が見付かるから(^_^;)

【読んだ本】

岡村繁『新釈漢文大系103 白氏文集 七上』(明治書院,2008)
岡村繁『新釈漢文大系119 白氏文集 十二下』(明治書院,2016)
岡村繁『新釈漢文大系100 白氏文集 四』(明治書院,1990)
岡村繁『新釈漢文大系104 白氏文集 八』(明治書院,2006)

承前(^o^)丿 漢詩文で国司など地方官の意味で用いられている「分憂」は、『晋書』に載る魏の文帝
(曹丕)が司馬懿に嘆いた「吾於庶事、以夜繼晝、無須臾寧息。此非以為榮、乃分憂耳」という発言
が出典で、天子の憂いを分かつ意なのに、民の憂いを分かつとする本が結構あると昨日指摘( ̄◇ ̄;)

川端善明&荒木浩(校注)『新日本古典文学大系41 古事談 続古事談』(岩波書店,2005)を昨日紹介
したが、小島憲之(校注)『日本古典文学大系69 懐風藻 文華秀麗集 本朝文粋』(岩波書店,1964)
380頁の菅原文時(菅三品)作に出てくる「分憂」に付された頭注9も「分憂は憂を民と分ける、共に
憂えるの意、・・・」としてるし、不思議なのは新釈漢文大系(明治書院)の『白氏文集』( ̄◇ ̄;)

岡村繁『新釈漢文大系103 白氏文集 七上』(明治書院,2008)は、元和4年(809年)作の「韋丹に與
ふる詔」の中の「卿、喜びは稱慶に深く、忠は分憂に切なり。」(同書460頁)を、「貴公は、慶賀を
述べて心から喜び、天子と共に憂える深い忠誠を示した。」(同書461頁)と「通釈」し、「語釈」の
「分憂」は、ちゃんと次のように解説している(同書462頁)v( ̄∇ ̄)ニヤッ

    天子の憂いを分担する。地方長官となっていることをいう。『晋書』巻一・宣帝紀、
    黄初五年(二二四)の条に「帝(司馬懿)留まりて許昌に鎮す。改めて向郷侯に
    封ぜられ、撫軍に転じ、節を仮り、兵五千を領し、給事中・録尚書事を加へらる。
    帝固辞す。天子曰く、吾庶事に於て、夜を以て昼に継ぎ、須臾として寧息すること無し、
    此れ以て栄と為すに非ず。乃ち憂ひを分かつのみ」と。杜甫(七一二-七七〇)の
    「裴施州に寄す」詩に「堯には四岳有りて至理を明らかにす、漢の二千石は真に
    憂ひを分かてり」と。『白氏六帖事類集』巻二十一、観察使の条に「求人瘼」の項を
    載せ、「分国憂」と注する。

岡村繁『新釈漢文大系119 白氏文集 十二下』(明治書院,2016)も「浙左を廉察しては、分憂を以て
切と爲す。」(同書370頁)という件を「ついで浙東観察使として、この地域を視察した時には天子と
憂いを分けあって民衆の苦しみを救うことを最も切実な使命とした。」(同書371頁)と「通釈」し、
その「語釈」も「天子と憂いを分かち、共に憂えて民衆の困苦を救う。・・・」(同書372頁)(^^)v

だけど、岡村繁『新釈漢文大系100 白氏文集 四』(明治書院,1990)の「江州赴忠州、至江陵以來、
舟中示舎弟」の「通釈」には、次の件(同書115頁)があった∑( ̄ロ ̄|||)ニャンじゃそりゃあ!?

    /私は昔長安に滞在していたころ、いつも江湖を旅してみたいと願っていたが、
    今度は私だけでなく家族までも引き連れてここ江陵に来、更にここを去って
    忠州に刺史として行くことになった。江州司馬でさえも僥倖と思っていたのに、
    忠州刺史として民と憂いを分かつことは晴れがましいことであり、赴任途上の州では
    蓋いのついた立派な官用車で送迎してくれ、途中の水駅でも官用の艛[やかたぶね]
    や艓[こぶね]が送迎してくれる。・・・

「典午[=司馬の官]も猶ほ幸ひと爲す、分憂は固より是れ榮なり、・・・」(同書112頁)の「分憂」
の「語釈」でも〈分憂の官。民と憂いを分かつ官の意。刺史を言う。杜甫「寄裴施州」詩に、「漢の
二千石 真に憂ひを分つ〉(同書117頁)としてるが、「立派な官用車で送迎してくれる」云々などと
嬉嬉としてる人物が「民と憂いを分かつことは晴れがましい」だなんてちゃんちゃらおかしい(^_^;)

岡村繁『新釈漢文大系104 白氏文集 八』(明治書院,2006)にも、おかしな「通釈」がある( ̄◇ ̄;)
同書473頁の「是れ衆を濟[すく]ふの誠を輸[いた]し、允[まこと]に憂ひを分つの政に叶ふ。」
は「語釈」で〈憂いを分かつ。『晋書』巻一・宣帝紀に「吾、庶事に於て、夜を以て昼を継ぎ、須臾
の寧息する無し。此れ以て栄と為すに非ず、乃ち憂ひを分かつのみ」と。『白氏六帖事類集』巻二十一、
刺史の条に「憂ひを分かつ(主の憂いを分かつ)」を載せる。〉(同書475頁)として「これは民衆を
救う誠意を尽くしたものであり、実に君主と憂いを分かつ善政にかなっている。」と「通釈」(同書
474頁)しているのに、同書573頁の「甲は憂ひを分かちて職に率[したが]ひ、俗に從[したが]ひ
て人を勉[はげ]ます。」の方は〈ともに憂える。『晋書』巻一・宣帝紀に「(黄初五年)吾庶事に
於て夜を以て昼を継ぎ、須臾すら寧息すること無し。此れ以て栄と為すに非ず、乃ち憂ひを分かつ
のみ」と。〉(同書574頁)と「語釈」は同旨なのに「甲は民と憂いを分かって職に従事し、習俗に
従って民を励ました。」(同書574頁)と「通釈」している(@_@;) この『白氏文集』の「語釈」の
担当者は各巻それぞれ別とはいえ(岡村繁は担当せず)、「通釈」担当は岡村繁だけなのに(@_@;)
タグ:中国 古典 歴史
コメント(6) 
共通テーマ:

コメント 6

tai-yama

立派な公用車で通勤する知事様が、皆様の憂いの満員電車(内情を
知らないくせに)を解消すると言ったりもすると言う(公約未達成)。
今も昔も変わらんと(笑)。
by tai-yama (2021-10-25 23:29) 

ナベちはる

何度確認しても、字が間違っているときは割とありますよね。
同音異義語も含めて調べて入力しているはずなのに…不思議です。
by ナベちはる (2021-10-26 01:10) 

middrinn

しかも、チョー御「立派な官用車」を自分のために、
tai-yama様、民の税金を使って導入したり(^_^;)
by middrinn (2021-10-26 07:39) 

middrinn

ホント不思議ですよねぇ(^_^;) プリントアウトした途端、
ナベちはる様、打ち込んだ字が別の字になるのかも(^_^;)
by middrinn (2021-10-26 07:45) 

ニッキー

先日、RUNの時に自転車3台で選挙活動してる候補者がいました^^
前後にスタッフで真ん中に候補者、そしてヘルメットに
マイクつけて挨拶してましたが、車で大音量で喚いてる候補者よりは
断然好感が持てました=(^.^)=
PC画面で確認してるときは気づかないのに
印刷するとすぐに間違いが見つかるってなんでなんでしょうねぇ-_-b
by ニッキー (2021-10-26 19:30) 

middrinn

河村たかし名古屋市長が衆議院選挙においても自転車街宣をやってましたけど、
もっと大昔(タレント議員ではない)誰かやってたような記憶はあるのですが、
思い出せません(ノ_-;)トホホ… 誤植は印刷すると見付かるのがマジ謎です(^_^;)
by middrinn (2021-10-26 20:08) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。