211021読んだ本
読書の厄介なところは、外交も恋愛も「会う」ことから始まるのである〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ
「恋愛政治家」という本か映画があった気が(´・_・`)ヾ( ̄o ̄;)オイオイ映画「恋愛小説家」と勘違い?
【読んだ本】
君塚直隆『悪党たちの大英帝国』(新潮選書,2020)
第七章 ウィンストン・チャーチル──最後の「帝国主義者」
歴史知らずのお坊ちゃま?/宮殿で生まれた赤ん坊/生き急ぐ若者──キューバ・
インド・アフリカへ/政界進出と最初の鞍替え/ガリポリの悲劇──海相時代の光と影
/失われた二〇年?──落選・鞍替え・「荒野の一〇年」/この時、この試練のため……
/いかなる犠牲を払っても勝利を……/生き急ぐ老人──最後の頂上会談への執念/
最後の帝国宰相?/
おわりに──政治的な成熟とは
偉大さと悪/国民は指導者に何を求めるのか/
冒頭ではマハトマ・ガンディーがチャーチルを〈「歴史を知らない」と揶揄した〉ことを紹介(゚o゚;)
ノーベル文学賞に輝いた『第二次世界大戦』や、第一次世界大戦を描く『世界危機』は現代史だし、
しかも、当事者だったのだから、「歴史書」なのか疑問だけど、『英語諸国民の歴史』があるから、
チャーチルは「歴史家」と呼ばれてもいいわけで、本章もまた興味深~い出出しになってた(⌒~⌒)
・・・当初は劣勢に立たされた連合軍側が一九四三年頃からは完全に優勢に立ち始めて
いた。しかしその原動力となったのは大英帝国ではなく、いまやアメリカとソ連の底力
であった。一九四三年一一月に米英ソ三巨頭会談がイランのテヘランで初めて開催された。
その折のチャーチルの回想である。「私はテヘランにいたとき、この国(イギリス)が
実にちっぽけな国であることに初めて気がついた。片方にはロシアの巨大な熊が両腕を
拡げて構えている。もう片方にはアメリカという巨大な象が鎮座ましましている。両者の
間でこの哀れなイギリスというロバは家路に就くしか術がないのだ」。/・・・
といった本書271~272頁の叙述とか読むと、チャーチルの著作を読んでみたくなるけど、残念ながら
チャーチル(佐藤亮一訳)『わが青春記』(旺文社文庫,1973)しか手元に無い(-ω-、) ちなみに、
「頂上会談[サミット]」は「チャーチルの造語のひとつである」と本書271頁にあった( ̄◇ ̄;)
「足を運ぶことも評価基準のようだ」と前に書いたけど、第四章には〈「外交」は「会う」ことから
始まる。会いにも来ない人物を、誰が信用できるだろうか。〉とあるし(本書159頁)、本章も〈外交
とは「会う」ことから始まる。会わなければ、外交そのものが始まらない。〉と本書276頁に(@_@;)
首相就任後の戦時中の3年間に70歳近いのに「地球を優に四周できる距離」も外遊と本書271頁(゚ロ゚;)
1999年末に発表されたアンケート「二〇世紀で最も偉大な首相たち」で第一位と第六章にあったこと
を取り上げたので、チト意外なのだが、チャーチルの評価は「難しい」と本書281~282頁に(@_@;)
・・・/チャーチルもまた評価が難しい「悪党」である。若くして商務相や内相に就き、
その後の「社会福祉国家」イギリスの源流を築き上げた功績は高いが、その多くは
「兄貴分」のロイド=ジョージによる薫陶によるものだった。海相としての「ガリポリの
悲劇」がその後の彼につきまとう影となったのはいうまでもなく、海相辞任後も六つの
閣僚ポストに就いたもののこれといった功績が見当たらない。それどころか、彼自身も
のちに回顧しているように、財務相時代に金本位制に戻したのは時期尚早の大失敗だった。
/第五章で、パーマストンが七〇歳で亡くなっていたら彼は二流で終わっていたかも
しれないという『タイムズ』の評を紹介したが(二〇〇頁)、チャーチルの場合にも
六五歳で首相に就いていなかったなら、彼の評価は、いくつもの失敗を犯した無鉄砲な
政治家として歴史の片隅に追いやられていたことだろう。チャーチルの第二次世界大戦
におけるリーダーシップは、それまでの大失敗をすべて覆い隠してしまうほどに重要な
ものだった。/子どもの頃から「チャーチルの伝記を穴が開くほど眺め、写真の説明文
まで暗記した」という英首相ボリス・ジョンソン(一九六四~、首相在任二〇一九年~ )
は自らもついに書き上げたチャーチルの評伝のなかで、次のように語る。「マルクス主義
の歴史家たちは、歴史とは巨大で非人間的な経済の力によって形づくられるものだと考え
ている。チャーチルはこうした考えに対する生きた反証だ。『チャーチル・ファクター』、
つまりチャーチル的要素とはつまるところ、『一人の人間の存在が歴史を大きく変え得る』
ことを意味する」。/・・・
政治指導者の評価の在り方や「時代遅れの歴史家(old-fashioned historian)」について色々と興味
深い「おわりに」も読んで、本書も読了(^o^)丿 大変勉強になった一冊で、再読もアリだな(⌒~⌒)
・はじめに──「悪党」たちが時代を動かす
・第一章 ヘンリー八世──「暴君」の真実
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-09-19
・第二章 クロムウェル──清教徒の「独裁者」
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-10-07
・第三章 ウィリアム三世──不人気な「外国人王」
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-10-08
・第四章 ジョージ三世──アメリカを失った「愛国王」
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-10-11
・第五章 パーマストン子爵──「砲艦外交」のポピュリスト
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-10-13
・第六章 デイヴィッド・ロイド=ジョージ──「王権と議会」の敵役
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-10-18
・君塚直隆によると、「水上の音楽」のヘンデルは実はジョージ一世の隠密だったとかヒィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-10-12
・12歳の時に吃驚して泣き出した後で「良い子になりますわ」と呟くヴィクトリア女王に萌え(〃'∇'〃)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-10-14
「恋愛政治家」という本か映画があった気が(´・_・`)ヾ( ̄o ̄;)オイオイ映画「恋愛小説家」と勘違い?
【読んだ本】
君塚直隆『悪党たちの大英帝国』(新潮選書,2020)
第七章 ウィンストン・チャーチル──最後の「帝国主義者」
歴史知らずのお坊ちゃま?/宮殿で生まれた赤ん坊/生き急ぐ若者──キューバ・
インド・アフリカへ/政界進出と最初の鞍替え/ガリポリの悲劇──海相時代の光と影
/失われた二〇年?──落選・鞍替え・「荒野の一〇年」/この時、この試練のため……
/いかなる犠牲を払っても勝利を……/生き急ぐ老人──最後の頂上会談への執念/
最後の帝国宰相?/
おわりに──政治的な成熟とは
偉大さと悪/国民は指導者に何を求めるのか/
冒頭ではマハトマ・ガンディーがチャーチルを〈「歴史を知らない」と揶揄した〉ことを紹介(゚o゚;)
ノーベル文学賞に輝いた『第二次世界大戦』や、第一次世界大戦を描く『世界危機』は現代史だし、
しかも、当事者だったのだから、「歴史書」なのか疑問だけど、『英語諸国民の歴史』があるから、
チャーチルは「歴史家」と呼ばれてもいいわけで、本章もまた興味深~い出出しになってた(⌒~⌒)
・・・当初は劣勢に立たされた連合軍側が一九四三年頃からは完全に優勢に立ち始めて
いた。しかしその原動力となったのは大英帝国ではなく、いまやアメリカとソ連の底力
であった。一九四三年一一月に米英ソ三巨頭会談がイランのテヘランで初めて開催された。
その折のチャーチルの回想である。「私はテヘランにいたとき、この国(イギリス)が
実にちっぽけな国であることに初めて気がついた。片方にはロシアの巨大な熊が両腕を
拡げて構えている。もう片方にはアメリカという巨大な象が鎮座ましましている。両者の
間でこの哀れなイギリスというロバは家路に就くしか術がないのだ」。/・・・
といった本書271~272頁の叙述とか読むと、チャーチルの著作を読んでみたくなるけど、残念ながら
チャーチル(佐藤亮一訳)『わが青春記』(旺文社文庫,1973)しか手元に無い(-ω-、) ちなみに、
「頂上会談[サミット]」は「チャーチルの造語のひとつである」と本書271頁にあった( ̄◇ ̄;)
「足を運ぶことも評価基準のようだ」と前に書いたけど、第四章には〈「外交」は「会う」ことから
始まる。会いにも来ない人物を、誰が信用できるだろうか。〉とあるし(本書159頁)、本章も〈外交
とは「会う」ことから始まる。会わなければ、外交そのものが始まらない。〉と本書276頁に(@_@;)
首相就任後の戦時中の3年間に70歳近いのに「地球を優に四周できる距離」も外遊と本書271頁(゚ロ゚;)
1999年末に発表されたアンケート「二〇世紀で最も偉大な首相たち」で第一位と第六章にあったこと
を取り上げたので、チト意外なのだが、チャーチルの評価は「難しい」と本書281~282頁に(@_@;)
・・・/チャーチルもまた評価が難しい「悪党」である。若くして商務相や内相に就き、
その後の「社会福祉国家」イギリスの源流を築き上げた功績は高いが、その多くは
「兄貴分」のロイド=ジョージによる薫陶によるものだった。海相としての「ガリポリの
悲劇」がその後の彼につきまとう影となったのはいうまでもなく、海相辞任後も六つの
閣僚ポストに就いたもののこれといった功績が見当たらない。それどころか、彼自身も
のちに回顧しているように、財務相時代に金本位制に戻したのは時期尚早の大失敗だった。
/第五章で、パーマストンが七〇歳で亡くなっていたら彼は二流で終わっていたかも
しれないという『タイムズ』の評を紹介したが(二〇〇頁)、チャーチルの場合にも
六五歳で首相に就いていなかったなら、彼の評価は、いくつもの失敗を犯した無鉄砲な
政治家として歴史の片隅に追いやられていたことだろう。チャーチルの第二次世界大戦
におけるリーダーシップは、それまでの大失敗をすべて覆い隠してしまうほどに重要な
ものだった。/子どもの頃から「チャーチルの伝記を穴が開くほど眺め、写真の説明文
まで暗記した」という英首相ボリス・ジョンソン(一九六四~、首相在任二〇一九年~ )
は自らもついに書き上げたチャーチルの評伝のなかで、次のように語る。「マルクス主義
の歴史家たちは、歴史とは巨大で非人間的な経済の力によって形づくられるものだと考え
ている。チャーチルはこうした考えに対する生きた反証だ。『チャーチル・ファクター』、
つまりチャーチル的要素とはつまるところ、『一人の人間の存在が歴史を大きく変え得る』
ことを意味する」。/・・・
政治指導者の評価の在り方や「時代遅れの歴史家(old-fashioned historian)」について色々と興味
深い「おわりに」も読んで、本書も読了(^o^)丿 大変勉強になった一冊で、再読もアリだな(⌒~⌒)
・はじめに──「悪党」たちが時代を動かす
・第一章 ヘンリー八世──「暴君」の真実
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・第二章 クロムウェル──清教徒の「独裁者」
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-10-07
・第三章 ウィリアム三世──不人気な「外国人王」
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-10-08
・第四章 ジョージ三世──アメリカを失った「愛国王」
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-10-11
・第五章 パーマストン子爵──「砲艦外交」のポピュリスト
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-10-13
・第六章 デイヴィッド・ロイド=ジョージ──「王権と議会」の敵役
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-10-18
・君塚直隆によると、「水上の音楽」のヘンデルは実はジョージ一世の隠密だったとかヒィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-10-12
・12歳の時に吃驚して泣き出した後で「良い子になりますわ」と呟くヴィクトリア女王に萌え(〃'∇'〃)
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G7サミットに日本が居たと言う事実。アメリカが象でソビエトが
熊なら日本は・・・・アリかな? チャーチルがいなかったら
ルーズベルトとスターリンが暴走していたので、日本にとっては
ある意味恩人なのかも。
by tai-yama (2021-10-21 22:46)
実際に「会う」ことで相手の顔を見て直接話が出来るので、電話など相手の顔が見えない状況で話すよりも良い気がします。
by ナベちはる (2021-10-22 01:07)
かつての日本は、(働き)アリでしたけど、
tai-yama様、バブルでキリギリスに(^_^;)
by middrinn (2021-10-22 07:35)
やはり表情は判断しますよね(^_^;) 他にも、
ナベちはる様、身振り手振りとかでも(^_^;)
by middrinn (2021-10-22 07:37)